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社会をつなぐ、孤独を癒す。それが私のミッションです。

先日、qbcさん率いる「無名人インタビュー」企画に応募して、お話したことを記事にしていただきました。

インタビュアーのくじらさんが聞き上手だったこともあり、これまで話したことのない黒歴史を、そこそこヘビーな過去も込みでぶちまけてます。こういうの、結構勇気要りますね。

私も無名人、インタビューを受けるのははじめて。
いえ、厳密には実名で少しだけ受けたこともあるんですが、晴海悠名義で、しかもこんな個人的なことを話すのは間違いなく、初です。

今回、カミングアウトに踏み切ったのにはいろいろ思惑がありました。
一言で言えば、もういい加減殻を破る時期に来ていて、それをしないと次の自分が見えてこなかったのだと思います。

切り札をいつまでも温存する自分が嫌だった

これまでセンシティブな過去を話さなかった理由は二つ。
ひとつは素性が文章のノイズにならないよう黒子に徹していたこと、もうひとつはライターとしての特ダネを温存したいとの打算からでした。

「書く」仕事をする上では、どんな経験も仕事の糧。特に小説に至っては、不幸な体験ほどパワーに変換できるものはありません
私が過去に経験したのはいわばとっておきの切り札で、いつ作品に昇華するか、少なくとも今じゃないな……と、姑息なことを考えていました。

でも、いざ作家やライターの道を考えると、私がめざしたい道は自己開示なしに歩めるものではない、と気づいたのです。

社会課題に取り組みたい。悩める人の手助けがしたい。御託を並べたところで「なぜ?」の動機がまわりには見えません。
私の今からしようとすることは、少なくとも動機や魂胆を明かさないことには何の信ぴょう性も生まない。そのためには、私はひきこもりの元当事者で、精神を病んだ経験もあって、今なおあがいている立場だと明かさねばならなかったのです。

Wordpressの勉強も兼ねてのんびり更新している、こちらのブログも。

発表こそインタビュー記事より前でしたが、順序的にはインタビューを受けたのが先で、洗いざらい話したからこそ「今更隠すものか」と行動に踏み切れたのでした。

ひきこもり当時の私が本当に必要だったもの

社会から取り残され、ひきこもっていたン十年前のこと。
「仕事がほしい。就職してお金を稼ぎたい」
私は自分の欲求をそんな風に勘違いしていました。

確かに、仕事で対価を得たり誰かに感謝されることは自信回復にも大いに役立つでしょう。でも思うに、当時の私が本当に必要だったものは、もっとシンプルで原始的なものでした。

「本当は、誰かが家に来て、ラーメン食いに行こうやって誘ってくれたらそれだけでよかったと思うんです。仕事とか収入とかの条件抜きに、人と人でいいんだって思えたら、生きるのに誰の許可も要らないんだってわかれば、それだけで前を向いて歩きだせたと思います」

先日話し込んでいた時、口をついて出たのはそんな思いでした。私だけの感覚でなく、共感してくださる方も多いんじゃないかな、と思います。

これからライター・作家として活動するにあたってのビジョンがあります。
私は書く仕事を通して、世の中に焚き火をおこしたいんです。

身分や立場を捨て去り、本当の「ひとり」に立ち戻れる場所を作る。そこでは働いている人も休んでいる人も遊んでいる人も同列で、誰もがただ「いる」だけでいい。
政治的立場、年収の違い、子持ちかそうでないか――そうやって自分と他者の間に線を引きうまれた孤独を、「ただの人間」に戻ることで癒したい。

もちろん、書くものすべてがそうはいかないでしょう。これはあくまで個人的な理想であり、お仕事として引き受けるものは別です。
ただ、すくなくとも作家として、あるいはライターとして、自身の裁量のおよぶ範囲では「人と人をつなぐ」「孤独を癒す」を影のテーマとして、己に課したいと考えています。

こんなことを考えてる人間です。ちょっと合わないな、という方もいるでしょうから、離れていくのは無理もありません。
でも、もし「わかるよ」と思ってくださったなら、これからもお応えできるよう頑張るので応援よろしくお願いします。
そして「こいつ面白いこと考えてんな。一緒に何かしようや」と思ってくださった方。大歓迎です。お手伝いできることがあれば、お気軽にご連絡くださいね!

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