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藤井二冠の将棋に魅せられているワケ

藤井二冠の将棋を見るのはとても楽しい。そう思えるワケを少し言語化してみよう。

相手をねじ伏せ、見る者を強引に納得させる強さ

藤井二冠の勝率は8割を超えており、対局があれば勝つというくらいの印象がある。最近では現役最強と言われる渡辺三冠からは棋聖を、木村王位からは王位のタイトルを奪い、もはや現役トップ棋士と呼んでも差し支えはない。現タイトルホルダーに匹敵する力量が無ければ彼と良い勝負ができない現状からすると、今後藤井二冠はタイトル挑戦に度々出場するだろう。それほどまでに相手をねじ伏せ、見る者を強引に納得させる将棋の強さを持っている。

神速かつ上質の将棋

藤井二冠の強さを(偏見を交えて)具体的に言うならば①先読みスピードの速さ、②AI利用による強化された序盤と一手当たりの質の高さにある。

①先読みスピードの速さは個人的に「神速」と形容してしまうほどに速い。詰将棋解答選手権5連覇中であり、対局終盤での相手玉を仕留めるのに活きているというのはメディアで報じられている通りだ。個人的に、もう一つ注目したいところは開戦への踏み込みだ。自分は藤井二冠が桂馬を跳ねる手が好きなのだろうという印象を持っている。まだ開戦前(駒組)の段階だと思っていたところからいきなり桂馬を跳ねて戦端を開くと言ったシーンを度々見るからだ。”少しでも隙があれば攻める” というこの姿勢は、見る者をとてもわくわくさせてくれる。普通なら見送ってしまうような局面をチャンスと捉え、自身の読む力でもって突破していこうというスタイルが藤井将棋の魅力の一つだと勝手に思っている。

②奨励会三段時代からAIを導入し、これによって弱点と言われていた序盤が改善されたそうだ。また、AIの局面ごとの形勢評価数値を参考にすることで、一局を通じて一手一手のクオリティがめちゃくちゃに高い。人の感覚と、純粋に損得で局面を評価するAIの良さとを上手くマッチさせればトッププロの領域にまで到達することができるということなのかもしれない。以上の2点をまとめて、藤井二冠は神速かつ上質な将棋を指していると自分は捉えている。

劣勢になっても逆転勝利を諦めない姿勢

勝負は終わるまで何が起こるか分からないから、本来は自分の玉が詰んで成す術がなくなるまで勝利を目指すべきなのだ。将棋は一手のミスで勝敗がひっくり返る一面があるため、いくら劣勢に立たされても簡単に諦めてはいけない。プロとはいえ人同士が指す以上、相手がミスする可能性は(限りなくゼロに近いが)ゼロではないのだ。藤井二冠は絶望的な状況になっても策を弄するからこそ、奇跡的な大逆転劇を度々演じている。素が強いことと、全身全霊で勝利を目指す姿が衆目を集めている要因なのだと思う。

しかしながら、プロ棋士の中には美しい棋譜を残すことを良しとする人がいるようだ。もちろんそれは理想的ではあるけれども、勝負中に勝敗から棋譜の美醜の方に意識が寄っているというのは何となく違和感を覚える。自分は見た目が悪くても勝利を目指す意思がある限り美しい棋譜であり、少し劣勢になった程度で勝負を早々に投げ出した手の混じったものは汚い棋譜だと見ている(メディア露出する時のサービスならその限りではない)。

将棋に対しての思想や理想、己の美学があるなら、勝って語る方が言葉として強い力を持つし、勝ちまくればメディアを通じて自然と伝搬してもいくだろう。なので、「第一に勝利、第二に美しい棋譜」と優先順位をつけた方が良いだろうなと自分は思っている。

追記:藤井二冠の殺害予告について

この前、藤井二冠への殺害予告というショッキングな出来事があった。

将棋は互いの命(王様)を取り合うゲームで、将棋における殺害予告は将棋用語で「詰めろ」と言う。”詰めろ” というのは一手パスしたら勝利が確定する状態のことで、UNOの残り一枚宣言や麻雀🀄のリーチに感覚が近い(が対局中は無言なので宣言などはしない)。

棋士は普段から盤上でこの ”詰めろ” という静かなる殺害予告を出しては出され、命のやり取りを繰り広げている。だから、この余りに現実離れしていたニュースに「ひょっとして野生のプロが将棋で藤井二冠に詰めろをかけるほど追い詰めてやるっていう挑戦状を出してきたのでは?」と脳内変換してしまった。普段から将棋基準で考えているとこういう見方もできてしまうのだ。

( 'ω' ).。oO( そうならよかったけど、リアルガチだったわね...

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