体の傷と心の傷

さっきお風呂に入ってきましたが
最近は自分でつけた傷の処理(きれいに洗浄したり、でっかい絆創膏を変えたり)
が日課になっています。

1日の中で一回だけ見る、自分でつけた傷。
思い出したいような、思い出したくないような、記憶の中の傷。

最初はぱっくり皮膚が割れた中が、どす黒くて吸い込まれそうだったけれど
この数日で薄い透明の膜のようなモノが徐々に形成されて、深淵にはフタがされていってます。

不思議だなぁと思うのが、体の傷は別に治っても治らなくてもいいと思っているのに勝手に治って
心の傷は治ってほしい、どうにかしたいと思うのに、治るどころかどんどん傷口は広がっていく。

そればかりか死にたがっている。

体も、心も、同じ一人の人間の中に内包されているのに、この違いは何故?

一日の終わりには大きな絆創膏の中は体液みたいなのが染み出してて
なんだか頑張って治そうとしているのがよくわかる。

もしかして心の傷って、明確な治し方をしないと、治らないの?

治っていかないと、その状態を維持するんじゃなくてどんどん悪くなっていくの?

なんとなくイメージするのは、水浸しの部屋。

体の場合、呼んでもいないのに勝手に水道屋さんが来て、直していってくれる。
時間はかかるけど、徐々に部屋から水が減っていていくのがわかる
しかもタダ。

心の場合、水浸しというよりもう洪水のようになっていて、溺れかけてる
必死の思いで水道屋さんを呼んでも、まったく見当違いな事ばっかりして一向に水は減らないばかりか
「作業したんで・・・」といって費用を請求される。

言葉にしたら、ますます思うが、全くたまったもんじゃない(水は溜まっていくけど)

もうその部屋を諦めて、誰か洪水の中から手を引っ張ってくれる人がいればいいが
もちろんそんな人はおらず、そればかりか逆に私が苦しんでいるのを面白がって水を注ぎ込む人もいる(ように見える)

結局自分でなんとかするしかない。

洪水から自力で脱出するか(ただ、脱出したところで行くアテはない)

水が出ている根元を見つけて栓をするか

そのまま洪水に流されたまま、苦しいのを我慢して、それが普通と思うか

いずれにせよ、自分で自分を助けるしかない。

・・・ただ、溺れて苦しんでいる最中に、どうしたら助かるかなんて冷静に考えている余裕がないのが現状だったりする

いっそのこと、もがくのを止めてしまってもいいかなとも思う。

そしたら溺れ死んで、全部終わり。

ちょろちょろと水が漏れ出ている段階で、手を打っていればいいものを
見て見ぬふりをしてきた罰なのかもしれない。

明日は金曜日。
乗り切ればいったん水は引く。

今はただ、耐えるしか出来ない。

体の傷が増えようと

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