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この家の者は誰も働いていない  1 #創作大賞2024 #エッセイ部門

そして、誰も働かなくなった ≪私の話≫


 2024年4月下旬。
 順当に行けば、私はここで契約社員として次の仕事の契約を更新する予定だった。

 が、この時、現実には私は父と対面し、人生の決断を迫られていた。

 実は嫌だ。本当は嫌だ。命綱の収入が保証される、今の仕事を手放すのは、ものすごく嫌だった。
 でも。

 「私が仕事辞めて、家にいた方が助かるんだね?」結局、私は父に向けてこう問いかけた。
 頷く父。
 父はこういう時、決して「お願いだから仕事を辞めて家に入ってくれ」と、自分からは言い出さない。
 まるで意中の男性に告白させる、恋愛に手練れの女性のように、私から大事なことを言わせようとする。それが彼の“相手を尊重する”気持ちの表現なのだ。だから逆に今までは、私もこの父の“察してちゃん”モードを極力、無視して来た。
 が、ここまで来たら。

 ―――仕方ないねぇ―――。

 やっぱり仕事を辞めざるを得ないだろう。

 かくして我が家では働く者は、誰もいなくなった。

 実は私がこの問いかけをしたのは、これで2度目である。
 前回の更新直前にも、私は同じことを父に問い、やっぱり父は同じように頷いたのだが、数日考え抜いてその時には、「やっぱり収入がなくなるのは厳しい。まだ私が働いた方がいいと思う」と結論付けていた。
 私は現在57歳。放っておいても、ものの3年で、これまで通りの報酬が得られる仕事には就きにくくなる年齢だ。それでも最後まで、自分の手綱は自分で握っていたかった。

 が、今回はそうは行きそうになかった。

 この家には私のほかに、90歳になる父、85歳の母に加え、52歳の弟がいる。彼らは3人とも働いていない。

 高齢の両親はともかく、なぜ52歳の弟が働いていないのだろう、と思われる方も多いはずだ。理由はごく単純。彼が働けない病気(=てんかん)持ちだからである。しかも薬などでは抑えられず、月に1~2回は大木が倒れるように大きな音とともに倒れるタイプの、大掛かりな奴である。
 それでもって時々、本人の意思に関係なく、反抗期真っ盛りの高校生が家庭内暴力を振るったかのように、家の壁をへこませたり、穴を空けたりする。
 本人の名誉のために言うが、彼はそういう自分を恥じている。実に控えめで性格の優しい男だ。

 とはいうものの、どんなに性格が優しかろうが、割と頻繁にいつ倒れるか判らない存在、となると雇ってくれる会社などほぼ皆無である。そもそも会社は雇うことで自分たちの利益を上げられる人材に金を払うのである。雇え、という方が無理だろう。
 そんなわけで一時期は、障がい者の通う作業所に通ったこともあったが、どうしても相性が合わなかったということで結局、続けることは難しかった。
 そういうのは“わがまま”と言われるかもしれないが、健常者だってブラック企業で苦しんだり、そこまでいかなくても会社との相性が合わなくて、仕事を辞めたりする人もいるではないか。障がい者を受け入れてくれる働き口、というそれより更に狭い選択肢の中で、どうしても合わない職場での就職を拒んだとしても、誰が彼を責められよう。

 というわけで彼もまた、働いてはいない。

 父は筋金入りの仕事人間だったので、自分たちが困らない程度以上の蓄えは、社会人の現役時代に稼ぎ出している。だが、病人を抱えている以上、いつ何時、急な支出がいるかわからない。

 となると、正直、私はせめて自分の生活くらい自分で面倒見られるように極力、仕事は続けたかった。なので昨年、派遣の契約が終了になったのを機に、昼間には親だろうが弟だろうが、何かあれば病院に連れて行けるよう、新たに夕方から夜にかけての医療機関の準夜勤のサポート業務に就いたばかりだった。

 が、弟の変則的に起こる発作は常に予測不能なもの。これまでは弟が倒れるたびに介抱に当たってくれていた父が、さすがに体力的に悲鳴を上げはじめた。母も足を痛めているため、料理、洗濯、掃除の三大家事のうち、掃除については完全にドロップアウト、残り二つについてもかなりの負担になって来ていた。買い物に至ってはほとんど私がしなければならない。
 私も私で遅くまで仕事をして母の代わりに3食を作り、更に病院の付き添いも今まで以上に増える一家をサポートし続ける、というのには限界を感じていた。多分、このままではキャパオーバーで、体力的にも精神的にももたずに、潰れる日が来るだろう。
 弟が病人であるため、2人とも幸い、認知症にこそなってはいない。が、だからこそ、決して施設には行きたくない、と言う。

 これらの状況が、どう考えても一つの答を指し示そうとしている。今が仕事からの引き際なのかも知れない―――。
 その結論が今回の「仕事を辞める」だった。
 ただ、私も遠からず、仕事から退かなければならない年齢に達する。
 ならば、収入が極端に減っても生きのびる手段についてあれこれ模索するための、早めのチャンスを得た、と言えるようになりたい。

 そんなわけでギリギリ定額減税の恩恵も受けられないまま、私は仕事を退職して現在に至っているというわけだ。

 とは言うものの、さて、どうしよう。
 とにかく両親の介護認定だけは取って、収入がないまま何とか生きていかなければならない。となると、まずは自給自足だろうか…。
 退職時、同僚たちには去り際に「猟師になって食料を確保する!」などと冗談交じりに言い置いていったが、実はこれ、結構本気だった。
 が、実際問題、私の年齢で銃を扱って狩りをする、となると、そもそも私に銃が扱える才があるか、無いとしたら習熟するだけの金と時間があるか、から問い直さなければならない。
 また、猟師の種類にも比較的、女性人口が多い、と言われる“わな猟師”という選択もあるが、我ながらぼんやりした性格なので、自分が罠にかかってしまいそうだ。

 …どうやら釣りとか、プランター菜園から始めた方がよさそうである。時間をやりくりできるようになったら単発バイトも考えた方がいいだろう。

 というわけで今、我が家の庭のプランターには、はじめの一歩の小松菜が芽を出しはじめているのだった。

※今回は nakanoemi3 さんのイラストを使わせていただきました。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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