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この家の者は誰も働いていない  3 #創作大賞2024 #エッセイ部門

嵐の模様替え ≪母の話≫


 定年後も墓参りぐらいしか趣味(?)を持てていない父とは逆に、母には趣味が多い。それは園芸だったり、そこから派生して、服から食器から家具まで花模様で埋め尽くすことだったり、陶器集めだったり、刺繍だったりする。
 母は専業主婦。自己肯定感と自己主張がめちゃくちゃ強く「性格、わがままだなぁ」と娘の私が思うことも度々の人だ。けれど人の性格は何でも裏表。母はその反面、私が本当に困っている時は、私の気持ちに寄り添って、優しい言葉をかけてくれる。そんな情の厚さに助けられているからこそ、その裏目のわがままもアリだと思う娘だ。
 好奇心も旺盛だからあれが好き、これが好き、といった具合で母は多趣味になるんだろう。

 けれどもその中でも、母の最も“譲れない”趣味が、家族にとって最も迷惑になることもある。

 それが部屋の模様替えだ。
 家具を動かせる体力があった若い時は自力で、それができなくなった今でも、弟や私を使ってかなり頻繁に、彼女はとにかく模様替えをしたがる。

 ―――念のために言っておくと、別に、模様替え自体に罪はないと私だって思っている。
 だが、母の模様替えは大抵、嵐を巻き起こす。

 問題があるのはその指示内容だ。

 「冬から春になるので厚いじゅうたんをやめて、フローリングだけにしましょう」とかなら別に構わない。が、それと一緒に「居間のソファを動かしましょう」と言い出す。
 これも普通に聞いている分には支障がないように見える。しかし、そのソファを動かす先には棚の扉があり、移動すればこれが開かなくなるのだ。
 その点を指摘すると「この棚なんかめったに開けないからいいでしょう?」と言う。確かにそこまでしょっちゅう開ける棚ではないが、それまで普通に開けたはず棚の扉を、わざわざ塞ぐような移動をする意味が分からない。
 ので、更にそのことを指摘すると、母はキレ出す。
 「いいから私の言う通りにしてちょうだい!!」
 (エエエエエエエーッ!)
 私の心にまず浮かぶ言葉はこれである。もう、理由になってないんですけどーっ!

 子ども時代や若い頃はこういう母のヒスを武器にした要求に、唯々諾々と従っていた。けれど社会人になり、更に仕事で家を一旦は出て、そしてまた戻る、という、多少は世間を見聞して来た身には、こうなるともう、ただの理不尽なわがままにしか聞こえない。
 納得いかないので私が動かないと、弟に同じことを命ずる。私より魂の清い弟は、それを粛々と聞いて、家具を動かしてやる。彼が極端なまでに優しいのか、母のヒスに恐れをなしているのか、その両方なのかわからない。
 けれど、それでやっと母は満足する。

 ―――未だに棚の扉は開けないままだ。

 話を聞く限り母は戦前、まぁまぁ豊かな地主の娘だったらしい。「小さい頃には庭に築山(つきやま)があって、お手伝いさんがいたのよ」などという話すから、当時の経済状況が詳しくわからない私でも、彼女が相当なお嬢様だったのだろう、という予測はつく。更にこういうわがままを聞けば説得力が増す、というものだ。

 もっと元気な頃の母は、下手に体力があったため、子ども達の部屋の模様替えをも、しばしば強行していた。
 これが困る。
 タンスや本棚の位置とかが変わっているので、私や姉弟たちが学校から帰って部屋に入っても、いつもの所に服や本がないので、見つけるまでに時間がかかる。
 透明度の高いガラス戸で仕切られた部屋のガラスドアの左右が誰の断りもなく変わっているので、時々家の者が今まで空いていた側から部屋に入ろうとして、ガラスにぶつかる。(よくもガラスが割れなかったものだ)

 ここまで来るとハッキリ言って迷惑だ。

 もっとひどいのは自分の采配で、無闇に子ども達の部屋に花を飾りたがることだ。別に頼んでもいないのに、彼女の気が向いた時点で、いつの間にか棚の上に造花が飾られている。ぶっちゃけ私は、花より本とか自分の趣味のものを飾りたい。
 弟もフツーに男子らしいラジコンとかが趣味だったので、花じゃなく、そっちを飾りたいはずなのだが、そんなのはおかまいなしだ。「男の子だって花模様は似合うものよ」とまでのたまう。
 今なら、そしてこの言葉だけ聞くならジェンダーレスの、先進的で理解のある親っぽく見えるが、それはあくまで弟が“花好き”だった場合である。だが実際は弟にはそういう好みはない。彼女は端(はな)っから相手の気持ちなど聞いたりはしないのだ。
 しかも、それだけでは話が終わらず、「せっかくきれいに飾り付けたのに何で喜ばないの?」と、その後。ブンむくれ気味に責められる。
 花を「きれいだな」と思う心は、女子力低めの私であっても、実は持ち合わせてはいるが、こんなのが続くと花が嫌いになってしまいそうだ。

 私は生来の片付け下手だが、これに拍車がかかったのは、この「模様替えゲリラ」のせいもあると思う。つまり、うっかり部屋をきれいに整頓してしまうと、母が頼んでもいない花を飾りに来るので、わざと棚の上の物はごちゃごちゃにしておくのである。

 ―――決して片づけない。

 だがそんな抵抗などおかまいなしに、母の模様替えゲリラはさらに加速してゆく。下手をすると私のものまで「だって邪魔じゃない」の一言で処分したがる。さすがに私の天体望遠鏡に対してまでも「だって星なんか見ないでしょ?何で表に出しておくの?」と“お片づけ要請”の対象にされた時は私もキレた。これは私が社会人になってから給料を貯めて手に入れたものだ。欲しくて部屋に置いたものだ。
 いや、そもそも星や月、見てますし!!
 「じゃあ、お母さんがやたらに飾っている造花、捨ててよ!ホコリかぶって汚れてんじゃん!!そうしたら考えるけどねっ!!」と怒鳴り返し、この時は母娘間紛争が勃発した。
 そう。母は家のあちこちに花を飾るのはいいのだが、そこで満足してしまい、結構、飾った造花はホコリをかぶることが多いのだ。案外ずぼらだと、娘は思う。
 ちなみに私もこういう時は頭に血が上っているので、母が万が一にも造花を捨てたところで自分の望遠鏡は絶対、捨てない。

 それにしてもなぜだろう。

 他の事でも時々、これに近いわがままな主張をすることはあるが、ここまで食い下がるのは模様替えの時だけだ。本人に聞くと「時々たまらなく自分のいる空間の環境を変えたくなる」からだと言う。それ以上の答は得られないけれど、ひょっとして母はそうやって、家に閉じこめられているような感覚から逃れたいのかもしれない。
 母の体力の落ちた今では、ここまでの模様替えゲリラに襲われることはなくなったがまだ、たまに発動される模様替え指令に、私はついつい眉をひそめてしまう。

 しかし時に、周りの人々からこれに近い母親に関する愚痴を耳にすることがある。そんな時は「うちだけじゃないのね」と、私も親近感を覚えてちょっと安堵する。
 ただその類の話を聞く限り、自分の母親に近い映像が目に浮かぶのは、母と同じ年代の専業主婦であることが多い、
ーーーように思う。

 思えば、母の年代の女性は結婚すればほとんどが専業主婦になった。だから働いている人に比べて、相性の合わない人と無理にでも向き合わなければならない機会は減る。
 結果、自分たちが最も過ごしやすい、自分のオリジナル・ルールが出来上がりやすいのかなぁ、などと思ってもしまう。
 カテゴリー分けはしちゃいけないと思うけれど。そんなに簡単に人の気持ちは割り切れるものじゃないのだから。
 第一、働かずに家にいるってことは合わない人とは距離を取り、心穏やかに過ごせる反面、自分のいい所を認めてくれたり、世界を広げてくれる人にも会えるチャンスがないってことだから。

 人の気持ちを推測で判断しちゃいけない。けれど正直、模様替えにおいて発動される、母の強烈なこの「わがまま」と向かい合っていると、こういう方向でも考えていかないと時々、本当にブチギレそうになる。
 喧嘩のたびに『アメリカ・インディアンの教え』って本にもあった、「子どもは母親という通路を通って来ただけの、全く別の人間である」という言葉が頭の中をよぎる。
 もっともこんな時は多分、母の方も私に対してこれに近い言葉を噛みしめているはずだ。

 そして母って時々、ものすごくわがまま!と怒る一方で、大きくなるにつれ、私は、私が相手をそれほど責められるほど立派な人間か、と問いかけるようになった。その答えはきっとNO、だ。私だって周りの人間や家族、そして他ならぬ母に、色々許されて生きて来られたのだ。
 家族ってそんなどうしようもないものを、引き受けながら(時に引き受けきれなければ距離を取りながら)進んでいくもんなんだろう。きっと。

※今回は nakanoemi3 さんのイラストを使わせていただきました。

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