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アフターコロナの錬金術

錬金術なんて聞くと、
「魔法か何かですか?」って思いますよね?

でも
「それは、あなたがすでに隠し持っている能力です。」
と言われたら、どうですか?

先日インドとネパールの旅から帰ってきました。
今回の旅でまずもって驚いたことがあります。

何だと思いますか?

それは・・・、円安&物価高です。

「それ、なんとなく知ってる。」
って思った方も多いですよね。
「ニュースで言ってる。」
ってやつですよね。

一番最初に実感したのは、航空券。
そして、次に実感したのは外貨両替。
さらに、町の市場のちょっとした飲み物の値段。
すべて僕の実感調べではありますが、1.5倍から3倍に爆上がりしてました。

「こんなんじゃ、旅なんて行ってらんねー!」
という声も聞こえてきそうですね。

でもそんな中で、僕はお金をほとんど使わずに帰ってきました。

なぜだと思いますか?

その答えこそが今日お話しする、「アフターコロナの錬金術」です。

今回の旅で僕がまず目指したのは、インド人の友達が住む村でした。
ヤシの木とたくさんの寺院が立ち並ぶとても穏やかな場所です。
インドで3番目に人口の多い大都市ベンガルールから車で10時間。
その村に着いたころにはすっかり日が暮れていました。

僕を迎え入れてくれたインドの友人は早速僕を家に招きました。
テーブルの中央にはチャパティの山。
大皿には大盛りのスパイスカレーとフレッシュな野菜。

こうして僕の第1夜は満腹のまま過ぎて行きました。

そして次の日もその次の日も、インドの友人はテーブルに僕を招いてくれるのです。
「いやぁ、また会えて嬉しいよ、4年ぶりだっけ?」
なんて笑いながら。

結局この村で僕は、1ルピーのお金も使いませんでした。

僕はインドの友人に別れを告げ、次の村に向かいました。
さらに北に上り、中央インドの乾燥地帯へ。

その村にも会いたい人がいました。
5年ほど前に訪れた時に偶然に出会って写真を撮らせてもらった少年です。

白い壁の街並みがどこまでも続く砂埃にまみれた小さなその村に着いたのは、お昼を過ぎた頃でした。

のび太くんのランドセルのごとく、宿のベッドにバックパックだけを放り投げると、僕はさっさと村へ出ました。
そんなに急いでいたのはもちろん、その少年に会うためです。

とは言っても、前回出会ったのは単なる偶然。
名前も知らなければ家ももちろん知りません。
狭い村とはいえ路地は入り組んでいます。

村をくまなく歩き、時刻はすでに夕暮れ前。
「そんなに簡単にはいかないか。」
と思いながら角を曲がった時でした。

僕は見つけたのでした。
赤い長袖シャツを着たその少年を。

「オーマイグッドネス!」とはまさにこの時のための英熟語。

僕は早速少年に話しかけました。
彼も僕に気がつきました。
そして僕たちは、再会のハグをかわしたのです。

しかし、そんな感動の名シーンを遠くから見ている一人の男がいました。
大柄で屈強そうな男でした。
少年の父親です。
ボブサップぐらい屈強に見えるその男は、右手の親指を立てて、僕に向かって「こっちへこい。」的なジェスチャーをしました。しかも真顔で。

「いや、決して怪しいものでは・・・。」
なんてびびりながら、僕は彼に近づきました。できる限り時間を稼ぎながらの小股で。

彼との距離1メートルに差し掛かった時です。
その大柄な男はいきなり、白い歯を見せて言いました。

「飯、食ってけよ!」

ということで、僕はこの村での滞在中、この家族に何食かご馳走になることになりました。

そしてこの村でも僕は、ほとんどお金を使っていないのです。

その次に足を向けたブッダガヤという村では、毎朝食事の施しを受けました。

別の村では路地を歩いているだけで結婚パーティに誘われて、食事をご馳走になったこともありました。

バラナシでは、友人に毎朝毎晩チャイをご馳走になりました。
そして、インドのソウルフード「ビタル」やバターナンも数え切れないほど食べさせてもらいました。

ネパールの村でも、同じです。車に乗せてもらったり、PCR検査料をおごって頂いたり、馴染みのお店でサービスしてもらったり。

そして彼らは口を揃えて言うのでした。
「君に会えて本当に嬉しいよ。」と。

僕にはその言葉が、嬉しくて、ぽっぺたと一緒に涙が溢れ落ちそうなほどだったのです。

さて、もうお分かりですね?

「アフターコロナの錬金術」とは、「人との心のつながり」です。

僕が今回の旅をほとんどお金を使わずに終えることができたのは、お金を頂いたとか、貨幣価値を利用してうまいことやったとかではなく、「人の愛情」を余すところなく受け取ったからです。

そして、僕がその愛情を受け取ることができたのは、出会う人出会う人すべてに心を開いていたからです。

あけっぴろげの扉からそよ風が吹き込んでくるように、出会う人たちの愛が僕に流れ込んできたのです。

そして僕はその度に思ったのです。
「この溢れんばかりの愛を、今度は僕が誰かに贈ろう。」と。

思えば僕は、ただ心を開いていただけではなかったのです。
僕には、頂いた愛を誰かに贈る準備ができていたのです。

ひとつの扉だけを開けても風は吹き込んでは来ませんよね。
けれど、もうひとつの窓も開けた瞬間に風は吹き込んでくる。
それと同じです。
出口を用意してあげるんです。

愛の出口を開けば、愛はいくらでも流れ込んでくるのです。

それが、「アフターコロナの錬金術」です。
愛の流れに乗ることです。
お金がなくなる世の中ならば、お金以外のもので助け合えばいいのです。


本日も文末までお付き合いいただきありがとうございました。
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あ、そういえば、今日カレーを作り過ぎちゃったんですが、誰か食べますか?

では、また次回。

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