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アフターコロナの旅コラム 5 〜境界線は曖昧でいい〜


おはようございます。
本日もカンボジアの村から。
先程ほど日本入国のためのPCR検査を受けてきました。3回接種なら9月からはノーチェックになるそうですね。
いよいよ日本もアフターコロナに突入するのでしょうか。

カンボジアの人たちにはちょっと羨ましい気質があります。
それは誰とでも仲良くなるという気質です。

例えば、朝食で市場に行った時など、たまたま隣のテーブルにいる人に普通に話しかけます。

「どこ行くの?」って。

これ、日本だったらただのナンパですよね笑

でも、カンボジアだと普通のこと。
しかも、「どこ行くの?」をきっかけに、ずいぶん長いこと話が弾みます。
仕事の話題や、家族の話題や、自分の悩みまで、「友達かよ!」ってぐらいに。

はじめの頃は、「いまの人友達?」とよく聞いていたものでした。

加えて彼らは人のことをよく見ています。
僕の小さな変化によく気がついて、気遣ってくれます。

「昨日よりも8カ所も蚊に噛まれてるじゃん!」なんて、結構遠目から気づいてくれて、10ドルもする軟骨を塗ってくれたりします。

他人のことに興味があるのか、もともと備わった気質なのか、彼らのオープンマインドはとても魅力的です。

我々の暮らしでは、個人情報保護だのプライバシーだので、日に日に境界線が増えてきています。国、都道府県、町、家、自分、世界は広くなっているようで、実は狭く狭くなっている気がします。パスワードを忘れた時なんて、自分にすらアクセスできない。笑

境界線はきっと「怖れ」から産まれます。
そして「怖れ」のほとんどはまだ見ぬ空想だったりします。

もしも「怖れ」が現実化してしまっても、きっとみんながいれば怖くない。

「怖れ」すぎて鍵を何個もかけてしまったら、いざという時に誰も助けに入れない。なんてことになったら元も子もない。

いきなり「ソーハム(私は彼ら)」、「ワンネス」とまではいかなくても、僕たちの境界線なんてもっと曖昧でいいのではないでしょうか。

などと考える朝でした。

今日も文末までお付き合いありがとうございます。それでは!

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