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アフターコロナの旅コラム 7 〜ルールと思いやり〜


おはようございます。
短い旅から帰国しました。

持ってきた本もすべて読み尽くし、帰りの電車ですることもないので、書きます。

旅の途中では決まった「ルール」がないことに心地よさを感じます。

例えば、東南アジアの道路事情。
信号はほとんどなく、それなのに車もバイクも自転車も歩行者もごちゃごちゃに入り乱れます。
大きな街はさておき、横断歩道もないので、そこらじゅうを歩行者が横断します。

一見カオスに見えるこの状況。
東南アジアを訪れたことのある方は大層驚かれたのではないでしょうか?
僕も初めての東南アジアではその一人でした。

現地の人に聞ききました。
「よくこれで事故が起きないね。」

彼は答えました。
「事故なんてルールがあるから起きるんだよ。」

「なるほど!(ぐるん)」

ぐるん、は価値観が180度変わった音です。

それ以来よく観察してみると、彼らの運転にはかなりの集中力と思いやりがあることに気がつきました。

すごく周りを見ているし、路肩に少しでも危険があったら必ずクラクションで知らせる。時には大声をかけ合う。
日本でのクラクションは「怒り」だったりするけど(もちろん「ありがとう」の時もありますが)、東南アジアのクラクションは「思いやり」です。
東南アジアの町に溢れかえるクラクションは、言ってしまえば穏やかさの象徴かもしれません。

ルールの作りすぎは、とても窮屈で下手をすると憎しみの根源にもなりかねませんよね。

例えば、空港でマスクをしない人。
確かにチラホラいらっしゃいます。
それでも「マスクをしなきゃダメだよ!」
と目鯨を立てても怒り損だったりします。

少し前ならともかく、今はもはや常時マスクをしている国の方が珍しいほどになってきましたし、たまたまうっかりつけ忘れただけかもですしね。

「ルールだから!」は、ともすれば偽りの正義です。
そして、偽りの正義は必ず憎しみに繋がります。

最低限の社会的規範は良いとして、過度な決めつけはせず、相手の立場に寄り添って、センターを見つけていきたい。
そんなことを思う僕でした。

文末までお付き合い頂きありがとうございます。それでは。

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