見出し画像

子供は保育園へ

わが子は保育園に通っていました。その当時の話。

上の子が3歳になったころ、同い年の子を持つママたちの間では幼稚園の話が出始めた。3年保育にするか、2年保育にするか…。3年保育にする人は、秋には幼稚園の願書を出さなくてはならない。
 地元には公立の幼稚園が無い。近所の幼稚園ではなんだかんだとイベントで親が呼び出されるらしい。幼稚園に行ったってお昼で帰ってくる日もある。母親同士のつきあいも面倒臭そう。うちは下の子もいるし、2年保育にしようと考えていた。
 が、ふと思った。下の子は1歳になった。思い切って保育園申し込みの申請をしてみようか。幼稚園と保育園ではかかる費用が全く違ってくる。私も働けるし。待機児がたくさんいるとは聞いているが、もし来年入れなくても上の子は幼稚園の2年保育には間に合う。来年度の申し込みが最初で最後のチャンスかも知れない。そう考えたのである。毎日子どもの相手ばかりで、いい加減、外へ出たくなっていたというのもある。一か八かの大勝負に出たのであった。(大袈裟な…)

幸い、ネットで知り合った育児サークルのメンバーには、子どもを保育園に入れて働いている人がかなりいた。その方たちから情報を集めることができた。
 まず、求職中や内職では入れないということだったので、私はお世話になっているA社長の事務所に就労内定の書類を書いてもらった。遠方なので実際に勤めることは無理だが、とにかく手を尽くすしかない。仕事は子どもが保育園に入れたら探せばいいのである。
 年明けに申請書類を提出。3月上旬に通知が来た。結果は二人とも入園決定。 しかし下の子は第一希望の保育園、上の子のそれは第二希望であった。つまり二人別々の保育園になってしまったのである。それでも他のママたちの反応は、「よく二人一度に入れたね」というのが多かった。予想通りの厳しさだったが、とにかく入れたのである。足がかりはできたのであった。

入園準備は忙しかった。それにも増して入園後が大変だった。二つの保育園への往復、慣らし保育。慣れない環境で子どもたちは体調を崩してばかり。それに加えて独居の義父までもが寝込んでしまい、とても仕事探しどころではなかった。
 やっと落ち着いてきた5月。市の保育課から、就労証明書を提出するよう通知が届いたのである。

仕事探しは大変だった。在宅での仕事も考えたが、まだ無謀というものだ。とにかく就労証明を出さなければならない。市役所へ飛んでいって保育課の担当には事情を話し、提出期限を一ヶ月延ばしてもらった。
 求人チラシは毎週目を通し、ハローワークにも行った。大型店舗のレジに応募したが不採用。どうも子どもがネックらしかった。子どもが熱を出した、で簡単に休まれてはたまらないということなのだろう。

そしてある日曜日、求人チラシに近所の食品工場でのパート募集の記事を見つけた。もうこれしかない。藁をもつかむ思いで応募し、その場で採用が決まった。朝10時から夕方5時まで、時給750円の仕事であった。
その工場はもともと製麺工場であった。私の仕事はコンビニで販売される、うどん・そば系の弁当製造であった。茹で上がった麺を容器に受け止め、スープの袋や具材を詰め込んでいく作業である。ベルトコンベアの脇にそれぞれの具材を担当する人が並び、わっせわっせと作っていた。10代から60代までの広い年代の人が大勢働く職場だった。

仕事を始めてしばらくは、体が慣れずきつかった。ずっと立ち仕事である。お昼に休憩が一時間あるが、一度作業服を着てしまうと外には出られない。トイレも作業中はまず行けない。
 茹でた麺を容器に受け取る作業は、冷房も効かない暑い場所である。逆に具材をトッピングするラインは寒い。さらに冷蔵庫はもっと寒い。そういう場所の行き来ですぐに体調がおかしくなった。
 それに子どもたちも本当によく熱を出してくれた。本当はそうしたくはないのだが、何度当日の朝に欠勤の連絡を入れたことか。それに保育園からの呼び出しも数回あった。人数の融通がきく(本当はきかないのだが)職場で本当に助かったと思う。
 この仕事は真夏の暑いときが、忙しさのピークである。毎日残業で、お迎えの時間ぎりぎりまで働いた。帰ってから夕飯や洗濯、風呂の支度…もうくたくたであった。世の働くお母さんはなんて大変なんだろう、そう思った。

職場には色んな人がいた。もう10年もこの仕事を続けているベテランのおばさん。私と同じ保育園ママ。高校を卒業してすぐここへ来たという若い独身女性。基本的には皆いい人だった。そして外国人も大勢働いていた。
 私がこの仕事を始めた後に、フィリピーナの保育園ママが4人入ってきた。そのうち二人はバツイチで、それぞれ二人の子どもを必死に育てていた。Dさんは明るく、仕事熱心で私はいつも8つ年上のこの人に元気をもらった。Eさんは私と同い年。更衣室で泣いている姿を見たときもあった。異国で一人で働き、子どもを育てる…私には想像を絶するものだった。働いてお金を得ることはどういうことか、彼女たちを見ていて身が引き締まる思いだった。

 パートの仕事を始めるのと同時に、私は自分の営業用サイトを作った。そこへ今までの“実績”を載せた。そして、あちこちのSOHO支援サイトに登録した。下手な鉄砲も数打ちゃ当たる…かどうかは分からないが、とにかくやれるだけのことはやってみようと思った。なるべく主婦臭さを出さないよう、プロっぽく見えるよう気をつけた。…でもマンガまで載せちゃったから、意味無いか(笑)
 パート勤めを始めても、在宅での仕事をすっぱり諦めるつもりは無かった。

画像は下の子の保育園の連絡帳です。朝に急いで書くのですが、やっぱりイラストを入れたくなっちゃうのよね。読み返すと今でも笑えますわ。本人、今年リモート成人式でした。

画像1

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?