〈信じる心〉はなぜ生まれたのか?『宗教の起源』試し読み
10/3(火)発売の白揚社新刊『宗教の起源――私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』より、日本語版序文の試し読みをお届けします。
著者はオックスフォード大学進化心理学名誉教授のロビン・ダンバー。ヒトの安定的な集団サイズの上限である「ダンバー数」を導き出したことで世界的に知られ、人類学のノーベル賞「トマス・ハクスリー記念賞」を受賞した、人類学・進化心理学の世界的権威です。
本書でダンバーは、半世紀におよぶ研究の集大成として、「宗教の起源と進化」をテーマに取り上げます。
目に見えない何かを〈信じる心〉はなぜ生まれたのか?
世界の主要な宗教は、なぜ同じ時期に同じ気候帯で誕生したのか?
カルト宗教はなぜ次々と生まれ、人々を惹きつけるのか?
科学が隆盛を極める現代においても、影響力を強め続ける宗教。本書では、「宗教とは何か」という根源的な問いに、人類学や神経科学、そして進化心理学の知見を駆使して切り込みます。
お届けするのは、ダンバーが日本語版刊行にあたって特別に書き下ろした序文です。
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日本の読者へ
どんな社会にも、なんらかの宗教が存在する。これは普遍的な真実だ。ここでいう宗教とは、私たち人間を見守ってくれている高みの霊的世界を信じることを指し、私たちもある程度その利益にかなう行動をとらねばならない。キリスト教やイスラム教のように、単一の神がすべてを支配し、人間の行動に深く関与する宗教もあれば、ヒンドゥー教のようにたくさんの神がいて、それぞれが人生の異なる局面(出産、幸福、戦争、収穫など)を司る宗教もある。古代中国で誕生した二大思想である儒教と道教のように、神という形ではなく、漠然とした調和の感覚を重んじる宗教も存在する。このように体系は異なっても、人間より偉大な霊や力を信じ、人間の行動に影響を与える点はすべての宗教に共通している。
もちろん宗教といってもその形態はさまざまだ。伝統的な社会の素朴な宗教もあれば、大がかりな哲学理論を有するキリスト教や仏教といったおなじみの世界宗教もある。ヨーロッパのキリスト教や中東のイスラム教、チベットの仏教のように、多くの社会では単一の宗教を「国教」として掲げている。そのいっぽうで、いくつもの宗教が混在するインドのような社会では、人びとはそれぞれの宗教のあいだで分断される。めずらしいのは日本だ。というのも、多くの人は起源がはっきりしない日本古来の神道と、およそ一五〇〇年前にインドから伝来した仏教という、かなり異なる二つの宗教の両方に属しているからである。一〇〇〇年近く前に鎌倉幕府が開かれ、それまでの天皇に代わって武家が国を支配するようになると、仏教にも日本の文化や生活に合った独自の宗派が登場する。たとえば浄土宗や禅宗などだ。
だが日本の宗教で興味ぶかいのは、やはり二つの異なる宗教が日常生活で混在していることだろう。挙式は祝祭色の強い神前式で、葬式は厳粛かつしめやかな仏教の方式で行なうことが多い(もう何年も前のことだが、私は犬山にあった京都大学霊長類研究所に客員研究員として所属していた。そのころ参列した仏式葬儀の厳かな雰囲気は、いまでも脳裏に焼きついている)。
人類最古の宗教は、いまの狩猟採集民の宗教に近いものだったのだろう。人間の営みに関わる神が概念として存在していなかったので、神から与えられる道徳規範は持ちようがなかった。こうした社会では、数多の世代を重ねながら道徳を形成していった──こんな風にふるまうのは、それが正しいふるまいだからで、これがここでのやりかただ、というわけだ。歌や踊りなどの身体活動のほか、ときには精神に作用する薬物を通じて得られるトランス状態がそういった宗教の基盤であることも多い。規模はせいぜい数百人と小さく、カリスマ的な指導者やシャーマンが中心的役割を果たしていた。
トランス状態(瞑想中に体験する精神状態も含む)のときに覚える至高の存在とひとつになった感覚は、強烈で感動的だ。感情を揺さぶられるこの感覚こそが、すべての宗教の土台ではないかと私は考える。信仰の道に入るきっかけとなるのは感情面での体験であり、知性に訴える理論ではないのだ。これはトランス体験を基盤とする宗教にも、現在の世界宗教にもいえることである。事実、今日世界を席巻する宗教の歴史をひもとけば、そのはじまりはすべて、宇宙の真理を見つけたと主張するカリスマ指導者と、それを取りまく小さなカルトであることがわかる。そしてそのすべてにトランス状態をつくりだす儀式や慣習があり、信者に驚嘆をあたえ強烈な忠誠心を生みだしていた。
世界的な規模の宗教は、その歴史を通じて内部の信者集団が形成するカルトの存在に悩まされてきており、それは今日まで続いている。宗教指導者がカルトにいい顔をしないのは、その信仰が誤りだったり、異端だったりすることも関係している。それでも、熱狂的に支持されるがゆえに押さえつけることも難しく、母体の宗教の存続まで脅かされることもある。非常に成功したカルトはときに、その母体となる宗教から離脱して新たな宗教を生みだす。キリスト教はユダヤ教のごく小さなカルトから始まっているし、イスラム教も、キリスト教とユダヤ教、それに現在のサウジアラビアで信仰されていたアラブの伝統宗教が融合して誕生した。またときには、もとの宗教の一部として残りつづけ、新たな教派や分派となるカルトもある。実際プロテスタントは、キリスト教を一新した宗教(新教)として出発したにもかかわらず、いまだにキリスト教徒を名乗っている。さらにはスンニ派とシーア派とのあいだで生じた大分裂は、預言者ムハンマドの死後わずか数年でイスラム教の分断を招いた。シーア派はその後も数世紀にわたり細かく枝わかれして、一〇を超える分派が出現し、それぞれが信仰における数多くの重要な点で対立している。仏教も大乗仏教、上座部仏教、密教(チベット仏教)などに分かれている。
日本でもこの傾向は見られ、しばしば伝統的なシャーマニズム宗教の儀式や信仰を取りこむ形で、主流派の宗教から新しい宗教運動が出現する。一八三八年、貧しい農家の嫁だった中山みきに、「月日(つきひ)」と呼ばれる神が乗りうつった。この体験をきっかけに、中山はその後数十年かけて、伝統的な治療師として、また優れた教えを説く女性として信奉者を増やしていく。一八八七年に世を去るころには、天理教という宗教運動にまで成長し、その信者数は現在約二〇〇万人とされる。一九三〇年代に入って、天理教に改宗していた大西愛治郎がその教えに不満を抱き、天理本道と名づけた独自の分派を設立した。一九五八年に愛治郎が死去すると、娘の大西玉が独立して「ほんぶしん」を設立、「ほんみち」と改称していた天理本道の教義に浄土真宗の瞑想を組みあわせた、独自の宗教をつくりだした。分派からさらに枝わかれした宗教でありながら、約一〇〇万人の信者を集めている。
私たちが宗教を信じるかどうかはともかく、宗教が共同体意識を醸成するのに重要な役割を果たしてきたことはまちがいない。信仰に積極的な人は満足感と幸福感が強く、健康であることも事実だ。宗教に所属することで共同体の一員という感覚が得られ、困難に直面した際に、それが心の支えになるのだろう。同じ村の仲間ということだ。この帰属意識があるからこそ、膨大な数の人が巨大な世界宗教に参加するのだ。いま出あったばかりで名前も知らないけれど、同じ宗教を信じているのだから、あなたは私の兄弟姉妹。同じ教えを信じ、同じ聖典の文句を知っていて、儀式や祈祷でどうふるまえばいいかわかっている。その知識は、あなたが何者かを伝える合図にもなる。同じ村の人間であることを示せば、信頼してもらえるというわけだ。困っているときにも助けてもらえるだろう。実際、世界宗教の多くは、貧しき者に心を寄せて施しを行ない、身近な社会の役に立つ善行を積むように説いている。
この本には、私自身が学生や共同研究者と半世紀にわたって続けてきた研究の成果が盛りこまれている。信仰を持つ能力がなぜ人類で進化し、ほかの動物では進化しなかったのか。宗教には、個人の幸福と健康を増進するだけでなく、外からの脅威に立ちむかうときに共同体の団結を強める働きもあるが、それはどうしてなのか。現代の世界宗教──仏教、神道、ヒンドゥー教、キリスト教、ゾロアスター教──が、特定の時期(一五〇〇~三〇〇〇年前、枢軸時代とも)に、非常に限られた範囲(北半球の亜熱帯地方)で集中して出現したのはなぜか。ここではそんな疑問を取りあげ、説明を試みている。
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今日信仰されている宗教と、すでに姿を消して久しい宗教の教義や儀式について、多くのことを学びながら執筆する作業はとても楽しく、知的な気づきに富んだ体験だった。日本の皆さんにもこの本を楽しんでもらえたら幸いだ。
オックスフォード大学進化心理学名誉教授 ロビン・ダンバー
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本書の目次
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