0184信頼はなぜ裏切られるのか

あらゆる人間関係の要となる「信頼」を科学する『信頼はなぜ裏切られるのか』試し読み

「誰を信頼できるのか?」「この話を信頼してもいいか?」「信頼できるかどうかを見抜くにはどうしたらいいか?」「そもそも、信頼とは何なんのか?」…、人間関係、仕事、プライベートで大切になってくる「信頼」。その仕組みから、裏切られないようにするための戦略や信頼を勝ち取る戦略まで、気鋭の心理学者が科学的に迫ります。

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0184信頼はなぜ裏切られるのか

「この人は信頼できるだろうか?」―この短い問いで頭がいっぱいになる。よくあることだ。私たちはそれに答えようとして考え、いつのまにか頭を悩ませる。それもそのはず。その問いに対する答え次第で、私たちのほぼあらゆる行為が影響を受けかねないのだから。ほかの悩みごととは違って、誰かを信頼できるかを判断するときには、ややこしい概念を理解して分析すればすむわけではない。信頼についての問いにはすべて、独特の共通点がある。「リスク」がつきまとうことだ。誰でも人生で多くの複雑な問題と向き合うが、ほとんどの場合には、答えを見つけるために、自分と他者の願望がせめぎ合う不確かな状況を慎重に検討する必要はない。幼い子どもは、「どうして空は青いの?」や、「どうして毎日ピザが晩ご飯にならないの?」と尋ねたりする。そのような疑問は、ときには重大なものに思えるとしても、答えるには事実を伝えればいい。「ヒッグス粒子とはいったい何なのか?」や、「ロズウェルでは本当にUFOが墜落したのか?」といった疑問が気になって仕方がないときも確かにある。だが、ほとんどの人は、答えを求めて一晩中眠れないことなどないだろう。また、ファイナンシャル・アドバイザーに複利の計算法について何度も尋ねるなら、ある程度の計算力が必要になるかもしれないが、その答えを出すには、それこそ公式で事足りる。だが、問いに「信頼」という言葉が絡んだ途端に話は変わる。

信頼には、確実なことはわからないという含みがある。誰かを信頼することは、一種の賭けなのだ。その根元には微妙な問題がある。問題の中心は、相手の心のなかで、揺れ動き対立することもある二つの願望―あなたのニーズに応えたいという気持ちと、自分のニーズを満たしたいという気持ち―のバランスを読むことだ。たとえば、空の色について尋ねた子どもが、親の答えを信頼できるかどうかを判断するためには、親の科学的な知識の確かさだけでなく、たとえ実際には答えを知らなくても賢く見られたいという親の願望も推測する必要がある。単に毎晩ピザが出ない理由を問うのとは違い、夕食にピザを作るという親の言葉が信頼できるかどうかは、急な残業や、食材が足りず食品店にまた買いに出なくてはならない場合でも、約束を守る気が親にあるかを見抜くことにかかっている。また、ヒッグス粒子とは何かと科学者にただ尋ねるのではなく、ヒッグス粒子や関連する素粒子の探索に膨大な税金をかける価値があると述べる科学者を信頼できるかと問うときには、世界をよりよくする知識を得たいという万人の願望と、研究予算を獲得したいという科学者側の願望がぶつかる。同じ論理は、自分自身への信頼についても当てはまる。次のことを考えてほしい。あなたが来月の給与を、最新のiPa dの購入に使うのではなく長期的な投資に回すと当てにできるか、つまり将来の自分を信頼できるかどうかは、給与を投資した場合の二〇年後の額を計算するのとは話がずいぶん違う。お金の話にせよ、貞節、社会での助け合い、仕事上の取引、秘密保持の話にせよ、人を信頼できるかどうかの判断には、事実の把握や分析だけではなく、対立する利益や能力をもとに、その人の今後の振る舞いを予測することが必要となる。要するに、誰かを信頼するというのは、誰かの心の内を読み取る自分の能力に賭けるということなのだ。そして、その「誰か」が将来の自分自身ということもある。

だが、あらゆるギャンブルと同じで、人の信頼度を評価しようとしても完璧にはできない。つまり、うまくいかない可能性がつねにある。確かに多くの人は、どんなシグナルで信頼度を判断できるかについて自分なりの考えを持っている。言葉につかえたり、視線をそらせたりしないか? 話し方が「巧み」すぎる気がしないか? 前回は「期待に応えてくれた」か? というように。だが、言うまでもなく問題なのは、ほとんどの人が、自分の予測がはずれて驚くという経験を嫌というほどしていることだ。もっとも、それは私たちだけではない。詐欺の「プロ」やセキュリティーの専門家でも、一般人とあまり変わらないことが明らかになっている。誰かの信頼度が正確に見極められるという証拠は、つい最近までほとんどなかった。相手がよく知らない人間の場合については特にそうだ。

科学者は何十年も前から、信頼度の指標を体や顔、声、筆跡などで探してきたが、ほとんど成果はない。だから、テレビで見たことは忘れたほうがいい。その手の話はすべてフィクションだ。もしも嘘発見器が確実に嘘を見破れるならば、陪審員など不要だろう。だが現実には、CIAのスパイでソ連に寝返ったオルドリッチ・エイムズや「グリーン・リバー・キラー」と呼ばれた連続殺人鬼のゲイリー・リッジウェイは、ポリグラフ検査にパスしている。それに、ポリグラフ検査に欠陥があるせいで、濡れ衣を着せられた人もかなりいる。たとえば、カンザス州ウィチタの住民ビル・ウィーゲルレは当初、BTK絞殺魔〔縛る(Bind)・拷問する(Torture)・殺人犯(Killer)の略〕ではないかと疑われた。娯楽用の映画やテレビ番組は別として、表情による信頼度の判断にも同様に難がある。たった一度の微笑みや口元のひきつりによって、人の信頼度を正確に予測できるならば、あらゆる交渉がスポットライトの下でビデオ撮影をしながらおこなわれるだろう。要するに、信頼にかんすることがすべて科学的に解明されているわけではないのだ。それでも、信頼度の手がかりを見出すことはきわめて重要なので、ビジネス界や軍はそのために毎年何百万ドルも費やしている。実際、信頼についての知見が乏しすぎるため、国家情報長官直属の中心的な研究部門である情報先端研究プロジェクト活動は二〇〇九年に通達を出し、人の信頼度をより正確に評価する新しい手法の開発に向けた計画の立案を要請した。

だが、こうした状況を見ると、疑問がいくつか浮かび上がる。もし、人を信頼することがそんなに必要ならば、なぜ信頼に値する人を見抜くことがこうも難しいのか? 何万年もの進化と何十年もの科学研究のあげく、答えが見え始めたばかりでしかないのはなぜなのか? 私の考えでは、それにはもっともな理由が二つある。一つめは、すでにほのめかしたように、多くのコミュニケーションとは違い、信頼がかかわる事柄にはしばしば競合や闘争といった特徴があることだ。これから見るように、ほかの人や自分自身にも何も隠し立てしないというのは、必ずしも有利な生き残り戦略ではない。だから、人の信頼度を見抜こうとすることは、数学能力のような特性を評価しようとすることとは根本的に違う。数学の実力は、特定の問題を解いてもらえば推し量れる。あなたをかつごうとしている天才なら話は別だが、普通は、あなたと利害が対立するという理由で解答者がわざと間違うことなどないはずだ。したがってその人の解答は、概して実力を正確に示すはずだし、将来の実力を予測するうえでも有効だろう。だが信頼にかんしては、現在と将来のどちらについても予測できるとは限らない。これから本書を通じて見るように、誠実に振る舞うかどうかは、心のなかでそれぞれ逆向きに押し合う二つの力の瞬間的なバランスにかかっている。そして、どんな場合にどちらが優勢になるのかの予測は一筋縄ではいかない。

信頼度の予測がいまだに困難な理由の二つめは、はっきり言えば、これまでの取り組み方がまったく間違っていたことだ。私はこれを安易に言っているのではない。何しろ、多くの優れた研究者が数十年も前からこのテーマに注力してきたのだ。だが、焦点を絞ったせいで視野が狭くなり、研究が行き詰まったり、一般人のあいだで安直な期待が高まったりもした。みな、信頼度を予測できる決定的な手がかりを探しているし、信頼度はかなり安定した特性だと思い込んでいる。それに、信頼が絡む事柄によって自分がどんなときにどんな影響を受けるかを知っていると思っている。だが問題は、それらがおおかた間違っていることだ。信頼は、ほとんどの人が思っているようには作用しない。そんなことが、どうして私にわかるのか? 「私を信頼してほしい」とは言えるが、それでは肝腎なところが抜け落ちてしまう。私は科学者なので、個人の意見や証言ではなく研究知見に基づいて、あなたに納得してもらいたいのだ。ここで一つ断っておくが、私はもともと信頼について研究してきたのではなく、セキュリティーの専門家や科学系ライターでもないが、研究室を率いて一つのテーマに集中して取り組んできた。そのテーマとは、「感情の状態が社会的行動や道徳的行動に影響を与える仕組みと理由」である。これまでには大発見もいくつかあった一方で、疑問も尽きることなく湧いてきた。だがそのおかげで私の研究グループは、人間性の最高の部分と最悪の部分の深みを探ってこられた。不正や偽善が生じるプロセスの研究でも、思いやりや美徳のすばらしさの研究でも、私たちの取り組みには、豊かな独創性やデータに従って進もうとする意欲がつねに必要とされる。また、多少は謙虚な気持ちも必要だ。研究を長く続けるほど、積年の難問に答える最良の方法は、単独で挑むのではなく、さまざまな分野の頭脳を結集して、古くからある問題を新しい視点で見つめることだという実感を強めている。まさにこの考え方がきっかけで私のグループは信頼の研究に乗り出し、そのおかげで、まったく新しい切り口からこのテーマに取り組んでこられた。

そもそも私たちは、なぜ信頼に興味を持ったのか? それは、感情や道徳的行動の揺れを調べるほど、信頼が中心的な役割を演じる場面が多いとわかったからだ。たとえば、パートナーの裏切りを怪しむこと、借金返済の責任を自覚していることを示す必要があること、挑戦を受けて立つ能力があると周囲に知らせたいと思うことのどれにも、信頼が絡んでくる。嫉妬や怒りの原因は多くの場合、パートナーの誠実さを信頼できないことにある。感謝の気持ちを示すことは、恩義を感じていることを相手にうまく伝える方法だ。自信をのぞかせれば、自分の能力を信頼してくれていいというシグナルを周囲に送ることができる。要するに、社会生活やそれに伴う感情は、信頼にかかわる問題をいろいろ引き起こすということだ。こうしたことを踏まえ、私の研究グループは信頼の二つの側面に焦点を当てた。一つは、信頼が作用する仕組みで、もう一つは、信頼に値する人を正確に予測できるか、そしてどうすれば予測できるか、である。私たちは、かつては別々だった多くの分野にまたがる研究を新しく始め、それを掘り下げていった。その結果、人の信頼度を見抜く方法についての新たな洞察だけでなく、信頼が人生や成功、周囲の人びととの交流に影響を及ぼすメカニズムについてのまったく新しい考え方も見出した。

とはいえ、私が学んだなかで特に重大なこと―そして本書から受け取ってもらいたいと思うこと―は、信頼が問題となるのは人生の重大な局面だけではないということだ。信頼が関与するのは、契約を結んだり、高額な買い物をしたり、結婚の誓いを交わしたりする場面だけではない。もちろん、これらの出来事は間違いなく人生に重大な影響を及ぼすし、信頼に左右されるが、それらはほんの一部だ。たとえ実感はないとしても、信頼にかかわる問題は、私たちがこの世に生まれてからこの世を去るまでついて回るし、意識に上らないことが人生に重大な影響を与えることもある。人間の心は、社会的に孤立した状態で発達したのではない。人間は社会集団の一員として生きるように進化した。だから私たちの祖先の心は、助け合って一緒に暮らすことから生じた課題に対処する過程で形作られた。そうした課題のなかでも大きかったのは、信頼のジレンマを正しく解決する必要性だ。そのため人間の心は、人の信頼度を絶えず確かめようとする一方で、自分が誠実に振る舞う必要があるかどうかを検討している。あなたにはそんな実感はないかもしれないが、それは信頼の評価にかかわる計算の多くが自動的におこなわれ、意識されないからだ。

これから本書で見るように、信頼は想像以上に多くの事柄に影響を与える。学び方、愛し方、お金の使い方、健康に対する考え方、より大きな幸せを手にする方法のどれもが信頼によって左右される。信頼は、人とのコミュニケーションや心地よい関係に影響するだけではない。社会の場が現実からサイバー空間へと移るにつれて、信頼の役割や人びとの交流に対する影響も変わるだろう。そこで私は、人生における信頼の役割で解明ずみの部分と未解明の部分を見出す旅に、あなたを連れ出したいと思う。道中では、私の研究室で得られた成果だけでなく、このテーマを検討している優れた学者たちの研究や見方や意見も紹介したい。そして、経済学者やコンピューター科学者から、ソーシャルメディアの専門家や治安当局者、生理学者、心理学者まで、さまざまな専門家を訪ね、得られた情報をつなぎ合わせていくつもりだ。

以上の目標を達成するため、私は本書を大きく四つに分けた。一つめの第1、2章では、基本的なことを説明する。たとえば、信頼とは何か、なぜ信頼が重要なのか、信頼は生理学的にはどう捉えられるか、どうすれば信頼についての古い考え方を正せるか、などだ。二つめの第3〜5章では、信頼が人生に影響を及ぼす様子を見て回る。信頼がどのように育まれ、どのように子どもの道徳性や学習能力に影響するかをはじめ、信頼の有無によって愛する人との関係がどうなるのか、なぜ、どのように権力やお金が誠実さを変えるのかなどを見てみよう。三つめの第6章では、信頼が行動に影響を与える仕組みから話題を転じ、人の信頼度を見抜く方法はあるか、あるならばどんな方法かといった昔からの疑問に向き合う。ここでは、従来の見方を転換して、まったく新しい角度から信頼の見抜き方を探る。それから、信頼を見抜くシステムに潜むいくつかの欠陥(バグ)も指摘するので、今後バグに足をすくわれないようになってほしい。

最終部分の第7章と第8章では、それまでとは少し違うがやはり重要な話題を取り上げたい。これらの章では、比較的新しい二つの領域での信頼について、第6章までの話がどう当てはまるのかを検討する。二つの領域とは、信頼の対象となる相手が、必ずしも通常想定される人間ではない、さらには実在すらしないものである場合を指す。あなたはサイバー世界のアバターを信頼できるか? ロボットやフェイスブックの見知らぬ人は? テクノロジーの急激な進歩やバーチャルな交流が起こる世界―信頼についての科学技術が、かつてない正確さで、よくも悪くも利用される世界―で信頼がどう作用するかというテーマは、本書で初めて取り上げるものだ。一方、第二の領域を検討するためには、別のところに焦点を合わせる必要がある。つまり、信頼度を見極めるために他者に目を向けるのではなく、自分の心を覗いてほしいのだ。そして、嫌かもしれないが、自分の目標を達成するための鍵となる次のことを問いかけてほしい。あなたは自分自身を信頼できるか? 協力する、つけ込まれるといったことは二者が存在しないと成り立たないが、二者が異なる人間である必要はなく、異なる時間に存在する同じ人間でもいい。今のあなたは、将来のあなたがチョコレートケーキをどか食いしてダイエットをやめたりしないと信頼できるか? 試験でカンニングしない、配偶者を裏切らない、再びギャンブルに手を出さないと信頼できるか?

これらの質問から、ささやかながら、本書を読み進めるうえで忘れてはならない事実が浮かび上がる。それは、誰でも、他者を観察して信頼度を確かめようとしているだけでなく、自分自身も観察の対象だということだ。他者が正直ないし誠実に振る舞うかを見極めるのと同じ力が、自分自身の心にも作用する。ならば、他者の信頼度を評価することと、自分が誠実に振る舞うかどうかを決めることは、表裏一体の関係にあるわけだ。その結果をどう予測し、どうコントロールするかを理解することこそが本書のテーマである。そして第9章では、信頼について理解することが大切な理由を示して本書を締めくくる。この章では、信頼が困難からの回復に直結する事例を見ていこう。それによって、信頼が適切に活用されれば、災難から立ち直るための重要な手段になるということがよくわかるはずだ。

『信頼はなぜ裏切られるのか』紹介ページ


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