見出し画像

たった一つの尺度で社会は読み解ける!『ルーズな文化とタイトな文化』試し読み

静まりかえった東京の通勤電車と、騒々しいNYの電車――

 その違いの根底には〈タイト/ルーズ〉という文化の違いが。歴史や地理条件に応じて、世界にはルールに厳しい〈タイトな文化〉とそうでない〈ルーズな文化〉が存在し、それが国々の差異を生み出しているのです。この尺度を基に、社会階級の格差、企業合併の失敗、組織内の対立、さらには国際紛争やテロなど、現代の多様な問題まで読み解こうとするのが、本書『ルーズな文化とタイトな文化』です。

 朝日新聞GLOBEやテレビ東京「ニュースモーニングサテライト」でも紹介された、著者ミシェル・ゲルファンドの長年にわたる国際調査の結果が惜しみなく披露される本書から「はじめに」をお届け致します。

0236 ルーズな文化とタイトな文化 帯あり

 ベルリンは夜の一一時を迎えた。車など一台も走っていないのに、歩行者は横断歩道の信号が青に変わるのをじっと待っている。一方、そこから六〇〇〇キロ離れたボストンはラッシュアワーで、通勤者たちは「横断禁止」の標識など気にも留めずにタクシーの前を駆け抜ける。南へ下ったサンパウロは夜の八時。ストリングビキニをつけた地元民が、公園で騒いでいる。シリコンバレーは昼下がりで、Tシャツ姿のグーグル社員がピンポンに興じている。スイスのチューリヒでは、長年にわたり四四ページからなる服装規定を守ってきたUBS銀行で 、役員がネクタイをゆるめもせずに深夜まで働いている。

 ドイツ人は過剰なまでに規律を守るとか、ブラジル人は肌を露出しすぎだなどと、私たちは笑うことはあっても、そのような違いが生まれる背景についてはほとんど考えない。服装規定や歩行者の行動パターンにとどまらず、社会によるふるまいの違いは根深く広範囲におよんでいる──政治から子育て、企業経営、信仰、働き方から休暇の過ごし方に至るまで。過去数千年のあいだに、人類は一九五カ国に暮らし 、七〇〇〇以上の言語をもち、何千もの宗教を信仰するに至った。たとえばアメリカという一つの国だけを見ても、ファッション、方言、道徳、政治的志向には無数の差異があり、ときにはすぐそばで暮らす人のあいだにもそうした違いが見られる。人間の行動には、想像を絶するほどの多様性がある。とりわけ、ゲノムの九六パーセントがヒトと同じであるチンパンジー が、人間と比べてどの群れでもはるかに同質であることを考えると、まさに驚きというしかない。

 私たちが多様性をあがめて分断を嫌うのはもっともだが、それらの根底にある「文化」については驚くほど無頓着だ。文化とは私たちの経験をめぐる解きがたい謎であり、私たちに残された最後の未知なる領域の一つだ。私たちは大きな脳を使って、信じがたいようなテクノロジーの偉業をなし遂げてきた。重力の法則を発見し、原子を分裂させ、地球にケーブルを張りめぐらせ、死に至る病気を撲滅し、ヒトゲノムを解読し、iPhoneを発明した。犬を調教してスケートボードに乗らせることにさえ成功した。しかしテクノロジーがこれほどめざましく発展しているにもかかわらず、それらに劣らず大事な「自分たちの文化的差異」については愕然とするほど理解が進んでいない。

 テクノロジーのおかげで私たちはかつてないほど互いにつながり合うようになったのに、なぜこれほど分断しているのだろう。分断の根底には文化が存在する。だから文化について、もっと知る必要がある。もうだいぶ前から、政策の専門家も一般人も、文化の随所に見られる複雑な特徴や差異を説明する根本的な要因を見出そうと努めてきた。多くの場合、私たちは「文化の表れ」である表面的な特質に目を向ける。住んでいる場所が民主党寄りの州か共和党寄りの州か、地方か都市か、西側の国か東側の国か、途上国か先進国かによって人の行動が決まるという考えにもとづいて、文化間の分断を地理的な観点から説明しようとする。文化というのは地域の違いで説明できるのか、それとも「文明」の違いで説明できるのか 、私たちは思いあぐねる。だが、これらの区別は答えよりもさらに多くの疑問をもたらすことが多い。なぜなら、文化間の差異の根底にあるものが見落とされているからだ。つまり、差異を生み出す文化の基本的な「枠組み」がとらえられていないのだ。

 もっと説得力のある答えは、ずっと目の前にあったのに見過ごされてきた。物理学や生物学、数学などの分野では、単純な原理で膨大なことがらを説明できる。それと同様に、文化間の差異や分断の多くも、視点をちょっと変えるだけで説明できるのだ。

 人の行動というのは、じつはその人を取り巻く文化が「タイト」か「ルーズ」かに強く影響される。文化がどちら側に属するかによって、社会規範の強さやその規範を強制する厳格さが異なる 。どの文化にも、社会規範、すなわち許容されるふるまいに関するルールが存在し、ふだんは当たり前だと受け止められている。私たちは子どものうちに何百もの社会規範を学習する。たとえば人の手から物をひったくってはいけないとか、歩道では右側(住んでいる地域によっては左側)を歩けとか、いつも服を身につけろなどというのがそれだ。さらに私たちは生涯にわたって新たな社会規範を学び続ける。葬儀には何を着ていくべきか、ロックコンサートや交響楽団の公演ではどうふるまうべきか、婚礼や礼拝などのさまざまな儀式をどう執り行なうべきか。社会規範は、集団を結束させる接着剤のようなものだ。私たちにアイデンティティーを与え、新たなかたちで互いに協調するのを助けてくれる。だが、その接着剤の「強さ」は文化によって異なり、それによって私たちの世界観、環境、さらには脳にも大きな影響が生じる。

 タイトな文化は社会規範が強固で、逸脱はほぼ許容されない。一方、ルーズな文化は社会規範が弱く、きわめて寛容だ。前者は「ルールメーカー」(ルールを作る者)、後者は「ルールブレーカー」(ルールを破る者)と言える。比較的ルーズな文化をもつアメリカで街を歩けば、ほんのわずかなあいだでも、ごみのポイ捨てから信号無視、犬のふんの放置など、軽い逸脱を次々に目撃することになる。対照的に、めったに逸脱することのないシンガポールでは、舗道はごみ一つなく、信号無視などまるで見かけない 。ルーズな文化のブラジルはどうだろう。街なかの時計はすべて違った時刻を指し 、ビジネスの会議には遅刻するのがむしろふつうだ 。絶対に遅れずに来てほしい相手には、「compontualidade britânica」(イギリス人並みの時間厳守で)と言う。また、タイトな国である日本では、時間厳守が非常に重視される。電車の到着が遅れることは、ほぼ皆無だ 。まれに遅延が生じると、乗客は鉄道会社の発行する遅延証明書を職場の上司に提出し、始業時刻に遅れたことを釈明する。

 こうした文化間の差異や分断の事例が数多く存在するのと同じように、それらが生じる理由もたくさん存在するはずだ。何世紀ものあいだ、そう考えられていた。しかし本書では、文化間の差異の奥底に存在する構造は一つだということを示していく。そこで明らかになる重大な事実は、文化の規範の強さはランダムに決まるわけではない、ということだ。完璧に筋の通ったロジックが、そこにはひそんでいる。

 おもしろいことに、国どうしの差異を説明する〈タイト/ルーズ〉のロジックで、州や組織や社会階級や家庭のあいだの差異も説明できる。タイトとルーズの差異は、役員会議室や教室や寝室でも見られるし、交渉のテーブルや食事のテーブルにも出現する。公共交通機関やジムでのふるまいや、友人やパートナーや子どもとのあいだで起きる対立など、日常生活の中で生じる、一見するとありふれた事象と思われるものが、じつはすべてその根本にタイトとルーズの差異をはらんでいる。あなたはルールメーカーだろうか、それともルールブレーカーだろうか。本書では、人がこのいずれかに分かれる理由のいくつかを明らかにしていく。

 身近なコミュニティーにとどまらず、世界各地で見られる紛争や革命、テロ、ポピュリズムのパターンについても、タイトとルーズの差異で説明できる。世界のどこへ行ってもタイトとルーズが集団を分断し、文化内の結束を強めるとともに文化間の隔たりを広げる。この隔たりは派手なニュースになるものばかりではなく、日常の人間関係の中で露見することもある。

 タイトとルーズの対比に目を向ければ、周囲の世界について説明するだけでなく、将来に起きる衝突を予想し、さらにはそれを回避する方法を示すこともできる。金ぴかのカフスボタンをつけたウォールストリートのビジネスマンを建設作業員が小馬鹿にした目でにらんだときには軽い衝突が起きるかもしれないし、聖典の教えに従って生きる人と導きの書をまったく受けつけない人とが出会った場合にはもっと致命的な衝突が起きるかもしれない。だが、タイトとルーズはそうした分断を予想する鍵となる。多くの人にとって、本書に足を踏み入れることは、いわば〝マトリックス〟の世界に入るようなものであり、今までとはまったく違った見方で世界をとらえることになるだろう。

■目次

はじめに

第1部 基礎編──社会の根源的な力

1 カオスへの処方箋
2 「過去」対「現在」──変わるもの、変わらないもの
3 タイトとルーズの陰と陽

第2部 分析編──タイトとルーズはどこにでもある

5 タイトな州とルーズな州
6 「労働者階級」対「上層階級」──文化にひそむ分断
7 タイトな組織とルーズな組織──思いのほか重大な問題
8 セルフチェック──あなたはタイト? それともルーズ?


第3部 応用編──変動する世界におけるタイトとルーズ

9 ゴルディロックスは正しい
10 文化の反撃と世界の秩序/無秩序
11 社会規範の力を利用する

■著者

ミシェル・ゲルファンド
スタンフォード大学経営大学院組織行動学教授、スタンフォード大学心理学客員教授、メリーランド大学カレッジパーク校心理学特別教授。専門は比較文化心理学、組織心理学。文化や社会規範に関する画期的な研究は高い評価を受け、数々の賞を受賞。『ワシントンポスト』『ニューヨークタイムズ』などのメディアにも何度も取り上げられている。


本書紹介ページ

最後までお読みいただきありがとうございました。私たちは出版社です。本屋さんで本を買っていただけるとたいへん励みになります。