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忘れられない酔客グランプリ

25歳から30歳までの5年間、西池袋一番街の『萬屋松風』という居酒屋で働いていました。お店は飛騨白川郷の民家をまんま移送してきた風の建物で、工夫を凝らした和の料理と種類豊富な地酒が人気でした。

主に1人客中心の1階、カップルや小グループのための2階、団体客用の地下という3フロア構成。ぼくは1階を担当していました。1階のホールは各フロアへの送客とお会計をまとめて担う責任者のような存在。実際、お客様の多くはぼくのことを店長だと思いこんでいたようです。

広告の世界から足をあらった暁には食い物屋で働け、という師匠の竹内基臣さんの教えに従い、とりあえずメシを食う金を稼ぐためにはじめたアルバイトでした。しかし、そこで働く人たちがあまりにもユニークで、ついつい長居をすることに。たとえばこんな人。

そして、変わった人の働くお店には変わったお客様が寄ってきます。たとえばこんなお客たち。

以前、noteで書いた酔客は愛すべきキャラの持ち主ばかりでした。そこで今回は趣向を変えて、マジでガチで困ったお客様を紹介します。

黙って俺に背広を着せろ氏

年のころ50代前後、背広姿の男性ばかり5名様でご来店。ご予約はなさってませんが席は空いてます。団体客用の地下をご案内すると笑顔で「よろしくね」「おじゃまします」と、なかなかの好印象です。

ところがこの中の約1名様がお酒を触媒として変身なさったんですね。

事件は退店時に起きました。あきらかにメートルが上がっている昭和紳士がビニール袋を破裂させたような笑い声とともに地下から上がってきます。ぼくは1階で「ありがとうございます」と頭を下げます。何度も繰り返して下げます。

するといちばん最後に階段を上がってきた紳士がぼくに背中を向けて「ぬっ」と左腕を斜め上に上げるじゃありませんか。

ぼくは何が起こったのかわからず、きょとんとしながらそれでも笑顔で「ありがとうございました」と繰り返します。でも紳士はその場を動こうとしません。それどころか「おいっ!」といいながら左腕を斜め上にあげつつ、首をくいっと前に倒します

「おいっ!上着っ!!」

驚いたことに紳士はぼくに背広の上着を着せろ、と要求するのです。っていうか上着どこにあるのよ。地下に置きっぱなんじゃないの?

「おいっ!早くしろっ!」

紳士の要求は続きます。えと、お仲間は…と目で追うのですがみなさん店を出てめいめい散らばっていった様子。

「おいっ!待たせるなっ!上着っ!」

困ったぼくは仕方なく地下まで降りて紳士のものとおぼしき背広を掴んでレジに戻り、お望み通り着せてさしあげることに。

「おっさん、店長にそこまでやらせなくていいんじゃねえの?」

この様子を飲みながら見ていた比較的若いリーマンズが間に入ろうとしてくれましたが、笑顔で(だいじょうぶですよ…)と制しました。

きっとこの人はふだんから上げ膳据え膳の人生を歩んでいるんだなあ、と遠い目になってお見送りしたことを覚えています。

これニコルだよニコル君

これまた地下での話。若い男子4人組が開店と同時にいらっしゃいました。その日は金曜であっという間に満卓です。こういう日は終わるのが早いんだよな、なんてホクホクしていました。

すると地下からインターホンが。「ハヤカワさんすみません、ちょっとお客様が…」こういうときはたいていトラブル。地下にダッシュで降ります。

どうやらアルバイトが生ビールを運ぶ途中に泡をこぼしてしまい、お客様のジャケットにかかってしまったとのこと。新人バイトは沈んでいます。ぼくはなるほど非常によくあるケースだネだいじょうぶ、とバイトを慰めつつ、すぐさまお客様のもとにかけつけます。

「このたびはご迷惑をおかけして大変申し訳ございません」

みるとまだニキビが目立つ学生風です。立教か?日芸か?いや日芸の学生は貧乏だからウチの店なんかこないで江古田のお志ど里か江古田コンパに一目散なはず。すみません単なる偏見です。

「ああ、店長さん?これみて、まいったよ…」
「すみません、どうかかんべんしてください」
「かんべんも何もクリーニング出さないと…」

なんだこいつクリーニング代狙ってんのか。ぼくは「少々お待ちください」と一階に戻り、オーナーに電話で報告します。オーナーはしょうがねえなという口調で「3000円包んどけ」と寛大なジャッジ。ぼくはレジから千円札を3枚、封筒に入れて再び地下へ。

「すみません、これでどうか収めてください」

頭を下げながら封筒を渡すと学生風は「そんな、なんか請求したみたいじゃんなあ」と仲間たちと笑います。仲間も「お前キョーカツじゃん」「前科一犯!笑」などと囃し立てます。

「いえ、こちらお店のミスですので、お店からの誠意ということで。あと何かありましたらこちらに連絡ください。これからもご贔屓に」

ぼくは深く頭を下げながら自分の名刺を渡します。こういうとき用に肩書は「店長」です。便利なものです。

「店長ありがとう。ゆっくりさせてもらうよ」

するとふたたび地下から呼び出しが。まったくこんどはなんなんだよ、と現場に戻るとさっきの客がまた怒っていると。

「おい、店長。これがお前の誠意かよ」
「と、おっしゃいますと?」
「なんだよこれっぽっち」
「はあ…」
「これわかる?このジャケット」
「いえ」
これニコルだよ、ニコル。こんな誠意で洗濯できるかよ」

ぼくも若かったんですね、そこでブチッと切れました。なんだよニコルって。知るかよ。こいつ目の前の灰皿で鼻ぶったたいたら血ぃ噴いてかがむだろうからそこに肘入れてやるか。

そこまで考えてから買ったばかりのクルマのローンがわんさか残っていることを思い出して、すんでのところで深呼吸できました。

ぼくは「大変失礼しました」と自分の財布から1万円を出して、封筒の中身を入れ替えました。そして封筒と交換で名刺を返してもらい、そのまま握りつぶしてビールの入ったジョッキに突っ込みました。

「本日はご来店ありがとうございました。一階のレジでお会計いたします。あと、二度とご来店なさらないでください」

その翌日、ニコルだよニコル君は開店前の夕方4時半に、お母さんに連れられてご来店。親子揃ってものすごく丁寧にお詫びされました。しかしなんでお母さんと一緒だったのでしょうか。いまだに謎です。

大を小で兼ねる紳士

大変美しくないお話なのでお食事中の方、あるいは『閲覧注意』的なコンテンツを避けて生きている方はどうぞ飛ばしてください。

店は22:30ラストオーダー、23:00閉店でした。閉店後は15分かけて店内清掃をし、アルバイトから退勤していきます。栃木県の間々田という辺鄙な街から通っていたバイトもいたので、割と時間にはシビアでした。

ところが、その日は一組の団体がいつまでも帰ろうとしてくれません。サラリーマンの男女総勢10名。全員30代前後。バイトが何度も「申し訳ございません、閉店時間過ぎておりますので」とお願いしてもどこ吹く風。

「オッケーオッケー」
「わかったわかった」
「もう出るもう出る」

このときスタッフは同じ単語を2回繰り返すとき人は嘘をついている、ということを実際に体験したといいます。

そのうち、その団体の席以外を片付け、しかも掃除機もかけはじめます。そのころにはぼくも地下に降りて、再々退店をお願いしていました。

23時も30分近くなった頃でしょうか。ようやく重い腰が持ち上がりはじめます。すると客の中でヤマシタさんがいなくなったとの騒ぎが。ぼくはそういうことは店外でお願いできますか?と笑顔で下駄箱へと促します。

千鳥足で階段を上がる団体。おいホントにヤマシタいないぞ。えーどうしようヤマシタさんの鞄どうするの?いいじゃん千尋持っていきなよお前らデキてんだろ知ってるぞ!いやだなにいってんのドワハハハハ。どうでもいい話がエンドレス。

もちろん2階も1階も電気は消えています。バイトも社員も電車通勤の人間は全員帰して、いまお店に残っているのはレジの集金に来たオーナーと近所に住む板前、それにぼくだけでした。

結局、立ち上がってから15分かけて店外へ。団体さんはお店の外でもしばらくワイワイ騒いでいました。

「ハヤカワ、鍵しめっから、早く着替えてこい」

オーナーにいわれてあわてて3階の屋根裏で着替えたぼく。ダッシュで降りてきて、ふと尿意が。そういえばもう2時間ぐらいトイレいってない。

「すみませんオーナー、ちょっとトイレ、すぐですから」

ぼくはバイトが掃除してくれたのに申し訳ないな、と思いながら男子用、つまり小の扉をあけました。すると狭いトイレ内で見知らぬ男が体をくの字に折り曲げて寝ているじゃありませんか!

ぼくはこの男がヤマシタさんだと気づき、お客さん!ヤマシタさん!と大声で頬を打ちました。すると男はハッと目を覚まし、うわーーっ!と叫びながらぼくを突き飛ばし、ダッシュで逃げて行きました。

その勢いはオーナーと板前が捕まえることすらできなかったほど。ぼくはショックで尻もちをついたまましばらく立ち上がれませんでした。

そこにオーナーがやってきて「おい、大丈夫か」と声をかけてくれます。その瞬間、あいつ、とんでもねえ野郎だと声を荒げたオーナー。

それもそのはず、なんと、詳細な描写と明言は避けますが、ヤマシタさんは小の部屋に大を思う存分ぶちまけてくれていたのです。それはもう、ゴッホが心のままに筆をカンバスの上で踊らせるかの如く。

結局、その処理と掃除はぼくがやるしかなく…

■ ■ ■

他にもあげればキリがないのですがこのへんで。

当時の酔客のみなさん元気でやっているでしょうか。どこかでやらかしていないでしょうか。

ニコルだよニコル君も順当にいけば40代。緊急事態宣言があけて飲み屋がオープン!となったときの酔客のはじけっぷりが目に浮かびますが、酔っぱらいやかっぱらいがウロウロできる世の中のほうがいまよりよっぽど健全だよなあ、なんておもっちゃいますよね。

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