老害と老善
目まぐるしく話題の主が入れ替わる2020東京オリンピックだけに、あっという間に過去ログに入っちゃったみたいな趣がございますが。例の元組織委員会会長が例の失言の会見でご自身のことを「老害」と仰ってましたね。
しかし前職で「若き老害」「ヤング窓際族(略称ヤンマド)」との異名をほしいままにしていたわたしからいわせれば甘い甘い。あんなおじいちゃん、ぜんぜん害じゃない。むしろ大したもんだといいたい。
本当の老害はあんなもんじゃないはず。そこで今回は筋金入りの老害について考えてみることにしました。なにしろ暇なので。
だいたいあれだ、老害がひとり歩きしていることに誰ひとり疑問を呈しないのっておかしくない?ひとつの概念が存在する以上、二項対立があって然るべき。そこでわたしは老害の対となる概念として「老善」を提唱するものであります。
正確に言うと「害」の反対語は「利」なんですけど「老利」ってなんだかピンとこない。ローリ。ユーリ・アルバチャコフか。コスレティティパンチカトゥイパンチか。なのでここはひとつ「老善」で行かせていただきます。なんか丸善みたいだけど。
で、提唱しっぱなしというわけにもいかないので、老害と老善の典型的な一日を比較することで、いったいこの現代の日本はいつからこんなに不寛容な社会になってしまったのか、未来はあるのか、自由になりたくないかい、といった本質的な課題に鋭くメスを入れないのであります。
老善の朝
老善の朝は早いです。誰よりも早く目覚め、家人を起こさぬよう気を使いつつ庭に出て蘭鋳に餌をやったりします。あるいは近くの小石川植物園まで出かけ、大泉水のほとりで一句詠むことも。
老善の住処は基本的に文京区であり、自らを「文京老人(©泉麻人)」と位置づけることでソフィスティケートされた自分を確認しつつ静かな余生を送っています。
老害の朝
前夜にディスコで浴びるように飲んだフリードリンクのカクテル(ベースがなんなのかわからない)の酔いが抜けぬまま、老害が枕から離れるのは午前10時過ぎあたりが相場と決まっています。
そのせいか「やじうまワイド」も「おはようナイスディ」もついぞ見たことないままどちらも放送終了をむかえました。起きた瞬間から家人を呼びつけ、朝飯朝風呂そして再び朝寝に入ります。
老善の仕事
相談役でも顧問でもいいのでどうかご指導ご鞭撻を…と泣きながら縋る経営陣一同からの慰留を固辞し、生臭いビジネスの第一線からいざぎよく足を洗った老善。
いまではすっかりご隠居として人のため、町のために尽くす日々です。ある時は区民館の掃除、またある時は揉め事の仲裁。人望も厚い老善のもとには相談がひっきりなしに入ります。
老害の仕事
よせばいいのに定年後もいつまでもデスクに居座る老害。丸の内あたりでは「個室をよこせ」とのたまう老害の目撃情報も。朝寝朝風呂を楽しんだ割には昼過ぎにはもうオフィスに顔をだし、役員会で余計な口を挟みます。
その後は新入社員の島をうろちょろし「やっとるか!」と声がけ。返事に覇気がない新人がいるとその場で長い説教がはじまります。月末数字が足りない時にこれをやられると営業部長の目が三角に吊り上がりますが老害には一切通じません。
老善の昼食
旨いものは若い頃にさんざん食べたからね、と、いまではもっぱら蕎麦をたぐる日々。休日などは孫のアルファードに乗って根津の鷹匠へ。さすが老善はいいお店を知っています。都内を知り尽くしています。
小春日和の昼下がり。スマホに興じる孫を横目に、蕎麦がきを肴に熱燗を一合だけたしなみます。そんな老善に鷹匠のマスターがそっと板わさを。美しい日本の風景です。
老害の昼食
会社の経費で「なだ万」の高級なお弁当を。会議室に幹部を集合させてのランチです。もちろん彼らは玉子屋の仕出し。あるいは大戸屋の弁当。ひどいときはコンビニおにぎりですよ。挙げ句「君ら、そんな下卑たもんばっかり食っとるから能力が低いんだよ」と言ってのけます。
食べながらの話題は競合企業がいかに派手にコマーシャルを打っているか。あれはセンスないのう。はて、うちはどうなっとるのか。罵倒・説教もしょっちゅうで、幹部の半分は胃潰瘍を、残りの半分は逆流性食道炎を患ってしまいます。
老善の休日
さすがにもう平日も休日もないのですが、休みともなるとどこからともなく孫やひ孫が集まってくるのが老善の特徴です。孫やひ孫の小さな手にギュッと千円を握らせることも怠りません。
実は子供たちはそれを目当てに連れてくるのではないか、という妻の愚痴も聞き流します。それどころか小遣いをあげられる孫やひ孫に囲まれている、という人生の充実を噛みしめるのでした。
老害の休日
特にやることもなく、訪ねてくる者もいない老害の休日。手持ち無沙汰な挙げ句社友という意味不明な肩書で居座る会社の幹部一人ひとりに電話します。やれあの件はどうなってるだの、この事に気づいているかだの。
それがまたいちいち的外れなので、電話を受ける側はいい迷惑です。メールしていただければ…という社長の懇願も老害には通用しません。だってメールの使い方わかんないんだもん。ひととおり電話が終わると日がどれだけ高くても焼酎のお湯割り梅入りでボルテージをさらに上げていきます。
老害が好きな曜日は月曜日。嫌いな曜日は日曜日なのです。
■ ■ ■
こうやって比べると老善と老害の間には琵琶湖の北湖と南湖ぐらいの開きがありそうですね。しかしみなさん、いかに老害といおうとも、戦後日本の復興および急成長を支えてくださった方々でございます。ここは心を鬼…じゃなくて仏にして敬うべきではないでしょうか。
なに、いまの自分が永遠に続くような錯覚に陥っているあなたも、そしてわたしもいずれは老います。そのときに老害扱いされないためにも、先達から学ぶべきでしょう。そう考えると老善はもちろん老害にもそれなりの役割、または効能のようなものがあると考えられませんか。
あと、急にわがままになったり発言がおかしくなって「あれ?うちのおじいちゃんもついに老害に?」と思ったら認知症だった、というケースもあるそうです。親孝行、祖父孝行はできるときにすべきですので、みんなで気をつけましょうね!
個人的にはおじいちゃん、おばあちゃんに育てられたので、害だの善だの関係なくお年寄り大好きです。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?