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わからないという魅力

名古屋の片田舎で青春を過ごしていたぼくにとって、最初のカルチャーショックはテレビの深夜放送でした。

おじいちゃんが無事退院し、病室で使っていた小型テレビがあまったので、と孫のぼくに回ってきたのが高一の夏。

自分の部屋にテレビがあるなんて!

それまで真夜中にテレビを見ようとしたらそれはもう大変。親の寝静まった真っ暗なリビングで、ブラウン管に座布団を当てて光を抑えつつ、画面のすき間からのぞき見るのが精一杯。音声はイヤホン一択です。

そうやって『ウィークエンダー』『11PM』を月に一度、視聴できればしめたもの。そんなだからテレビが自由に使えるというだけで大げさでなく「世界」とつながった気がしました。

さて、そんなバブル前夜の深夜番組は完全にお色気路線一択。『グッドモーニング』『トライアングル・ブルー』そして『ミッドナイトin六本木』。何を言っているのかわからない人のほうが多いかもしれません。

繰り返しますが名古屋の片田舎に暮らすツッパリ高校生にとって、これらの深夜番組はカルチャーショック以外のなにものでもありません。これがオウム真理教の信者獲得チャネルだったらコロッと入信したことでしょう。

多感な思春期に鮮烈に植え付けられた東京・MIDNIGHT・ギョーカイ人のイメージはいまだにぼくの脳髄を浸潤しています。だから不思議なんです。現実の東京、六本木の景色が35年以上前に見たブラウン管の中よりも色褪せているのが。

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もうひとつ、深夜放送で影響を受けたカルチャーがあります。

それが深夜帯のコマーシャルです。

もうそろそろテッペンか、という時間になると大量に流される酒、タバコ、消費者金融、宝飾品などのコマーシャル。あまりに繰り返されることですっかり覚えてしまったCMもあります。

フリークエンシーなんて言葉はまだ知らない。しかし視聴回数が多いほうが広告の効果が高いということはリアルに体験できました。購買にいたらないまでも記憶に刷り込まれるという点では抜群でしたね。

たとえばカメリアダイアモンドを販売していた三貴。『銀座じゅわいよ・くちゅーるマキ』『ブティックJOY』のナレーションは高校の授業中にも関わらずモノマネをしました。

たとえば『セーラムライト』。カナダだかアルプスだかわかんないけど、とにかく外国の針葉樹林を空撮で流しながら「爽やかな〜ふたりだけの〜世界へ〜♪」というカタコト女性ボーカル。エコー効いてましたね。

しかしなんといっても圧倒的に海馬に焼き付けられているのが『パルコ』。パルコのグランバザール、スーパーバザールのコマーシャルです。

まずもって、なにがなんだかわからない。

スーパーリアリズムっぽいタッチで描かれた外国人女性が夜空に浮かぶビジュアル。グランバザール、と繰り返される歌。あるいはパルコスーパーバザール、と繰り返される歌。それだけの15秒。

ナレーションは「信じてるわ、グランバザール」とか「湧いてます、パルコ」とか「パルコの引力に負けてしまいそう、わたし」「なにがほしいの」なんて人を喰ったものばかり。

しかも当時パルコは名古屋にはありません。なぜか岐阜でした。だからパルコっていったいなんだ?という疑問符しか残らない。しかし毎晩のように、繰り返し流される15秒スポット。どうやら岐阜にパルコというおかしな場所があるみたい。

しかし具体的な情報はないので、周囲の大人に聞いてみます。するとみんな口を揃えて「そんなところへ行かんでもいい!」とピシャリ。

いったいどういうことでしょう。

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いまならなんとなくわかります。大人たちもわかっていなかったのです。パルコがいったいなんなのか。

そして、どうやら洋服ばっかり売ってるデパートみたいなもの、ということがわかると、こんどは「なぜ世界でいちばんの繁華街と頑なに信じてやまない栄じゃないのか」理解できないのです。

人間という生き物は理解できないものには拒否反応を示します。しかし同時に強く興味が惹かれるのもまた、人間の生理だったりするんですよね。

そういう心理みたいなものを、これまた体で感じたのも、いまおもえばパルコのコマーシャルからでした。

そんな、ぼくにとってのクリエイティブの原典とも言える作品をこれでもかとこしらえていた人こそ石岡瑛子さんだったのです。そのことを知ったのはずいぶんあとになってからですが。

石岡瑛子さんのパルコのCMはMakotoSuzukiさんのアーカイブからもいくつか確認できます。このCM集の中で「ちょっとへんだな」と思えるCMが石岡作品です。主に6分40秒からですね。MakotoSuzukiさん、いつも貴重なコマーシャルフィルム資料をありがとうございます。

このアーカイブでも確認できますが、パルコのCMで「僕の君は世界一。」というキャッチコピーがナレーションになっている作品がありますね。

僕の君は世界一。というのは糸井重里さんのコピーで、グラフィックで見たときにものすごく心がキュンとしたんです。若い頃でしたから特に。

写真もポエティックというか、そんなに美人でもない白人の女の子が感じのいい笑顔でニコッとしてる。ああ、なんかいいなあ、とほのぼのするポスターなんです。

しかしそんなファンタジックな世界も、石岡瑛子さんの手によって映像化されると…なんかちょっとオドロオドロしい、ヘンテコな異界に生まれかわってしまうのです。動画、9分53秒からご覧ください。

でもこの禍々しさというか、怪しさがたぶん、当時の東京・MIDNIGHT・ギョーカイ人的な空気をつくっていたんだろうなあ、とおもいます。

※追記:その後の調査でパルコ「僕の君は世界一。」は石岡瑛子さんではなく、当時世間をにぎわせていたもう一人のクリエイター、川崎徹さんの作品であることが判明しました。お詫びして訂正いたします。いやしかしいずれにしてもこの時代の怪しさを象徴するコマーシャルであることには変わりありませんね(←言い訳)【2021.6.29】

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こういう「わからなさ」って最近すっかり影を潜めてしまいました。

都会から異物がどんどん駆逐されています。まともに座れるベンチもないし、ゴミ箱すら撤去されてしまった。だいたいホームがレスしちゃった人が身を寄せられそうなすき間すらない。それがいまの東京です。

テレビコマーシャルもやたら製品の特徴を直裁にアピールするものや、どこかで見たことありそうなものばかり。ビールや発泡酒のCMなんてぜんぶ同じ。やたらタレントが出てきて「クワーッ!うまいッ!」って飲みながら感想言うやつばかりですよね。

好感度ランキング上位のタレントがうまい、といったものを好む傾向にあるみたいなマーケティング・リサーチの勝利という名の敗北ですね。リアタイ世代の感覚としてはコミュニケーションは90年をピークに、どんどん質的に低下しているように感じます。

でも、これだけ情報が洪水のようにあふれているんだから、もうそろそろわかりやすいだけが是ではなくなってくるんじゃないでしょうか。

逆に、わかる人にはわかるといった程度のわかりにくさのほうが、情報としての価値が高まっていくんじゃないでしょうか。

だって、一瞬わかんなくて、ちょっと考えたらわかった!というときの気持ちよさって、あるじゃんね。そんな経験ありませんか?

わかりやすい、お子ちゃま向けのコミュニケーションが跋扈する平成〜令和の東京。35年前、名古屋からブラウン管ごしに眺めていた景色に比べて色褪せて見えるのも当然かもしれません。

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