【Lo-Fi音楽部#005】BE A SUPERMAN
田口先輩がボスに内緒でアルバイトをはじめた。理由は給料が安いから。田口先輩は半年後に結婚する。ついては給料を上げてくれ、とボスに交渉したのだが、希望には到底届かない金額を提示されただけでなく、そんなに稼ぎたいならもっと貢献しろと言われた、俺がどれだけ会社のために仕事していると思ってるんだ、もうあんなケチな経営者とは付き合えない。露骨に不満を口にするようになった。
その事務所にぼくは田口先輩からの強引な誘いで入った。広告カーストにおけるかなり末端のプロダクション。電鉄系代理店でコピーライターとして活躍していたボスがクライアントの受付嬢を口説いて秘書に据え、船出したのが5年前。田口先輩は業界のパーティかなにかでボスと知り合い、ちょうど某電機メーカーのハウスエージェンシーを辞めたばかりだったのでジョインしたらしい。
「ハヤカワ、ウチの事務所こいよ。ウチのボスは無冠の帝王って言われてるんだ。少なくとも2流のケツにはつけるぜ」
そんなふうに囁いてぼくを口説いたくせに、田口先輩はすっかりボスに愛想を尽かして、あろうことか事務所抜き、つまりボスの頭越しに仕事をとってきた。業界では禁じ手の技だ。たぶん業界以外でも禁じ手のはずだ。
「今日ホワイトベアーのユキヨシさんと打ち合わせだったんだけどさ。俺こんど結婚するんですっていったら、世帯持てるぐらい稼いでるなんて景気いいねって言われてさ。つい愚痴ったんだよ、ぜんぜんもらってません、って。そしたら田口くんいまいくら?って。手取り額正直に言ったらさ、そんなしかもらってないの?この仕事でウチからお宅の事務所に300万払ってんだよ、だったら田口くんに直接150万でお願いしたほうがお互いメリットじゃんって。ホントそうですよって利害関係が一致してさ、次のS社の新車の案件は直で請けることになったんだよ」
ぼくは深夜の事務所でテンション高めの田口先輩から事の顛末を聞き、いいんですかそんなことして、とツッコミたかったのだが、たぶんバカ野郎お前そんな事言うなら俺に150万円寄越せよ、とか言われそうだったので黙っていた。
○○ ○
次の月から田口先輩の二毛作がはじまった。昼は事務所の仕事、ボスと秘書がオフィスを出る22時過ぎからはアルバイト。おかげで田口先輩は事務所に泊まることが増えた。ぼくはもともと月曜に出社するともれなく家に帰れるのが翌々週の木曜日、という生活だったので田口先輩のアルバイト仕事を常に横で観察することになった。
当然のことながら田口先輩は副業のほうに傾倒していった。某自動車メーカーがリリースする軽自動車のローンチ。なんでもこれまでの軽とは乗り心地もスポーティさも違うそうだ。“シンプルリッチ”というキーワードだけが決まっているらしく、それ以外のクリエイティブをすべて任されてるんだ、と鼻の穴をふくらませる田口先輩だった。
さらに電波への出稿があることが田口先輩のモチベーションをどこまでも上げていった。よくあるタレントCMでふだんは「ああいうCM作るようになったらクリエイターもおしまいだな」と腐していた先輩だったが、どっこい自身のキャリア初のテレビコマーシャルとなったら前言撤回である。
ボスたちが帰ったあと、田口先輩がうたうようにプロジェクトの進捗を教えてくれる。そしていくつかのラフを見せてくれたり、守秘義務があるはずの某男性デュオが歌うCMソングのデモテープを聞かせてくれたりした。
一方、問題は昼である。事務所の番頭として活躍していた田口先輩が精彩を欠くようになった。打ち合わせ中に居眠りしたり、無断で早退したり。もともと体が丈夫なほうではなかったこともあり、その凋落ぶりがさほど不自然ではないことが唯一の安心材料ではあった。
ぼくは田口先輩が急に休んだ日にボスと秘書が小声で言い合っているのを耳にはさんだ。
田口くん最近なんか調子悪そうだけどもう少し給料上げてあげてもいいんじゃないの、なにいってんだお前そんなことしたら田口がつけあがるだろう、それはそうだけど田口くんお給料の件で転職とか考えているんだとしたら困るわ、そんな馬鹿な俺はいつもあいつに期待しているウチの事務所はお前で持っているといい続けてる、だったらもう少しお給料あげても以下繰り返し。
堂々巡りが続いたのでぼくは自分の仕事に集中することにした。するとしばらくして「ハヤカワーーッ!」というボスの怒声が飛んできた。
「おいハヤカワ、田口からなんか聞いてないか」
「なにがでしょうか?」
「てめえ隠し事してんなら殴るぞ」
血の気がひくってこういうことなのね、と冷静に理解するほど焦った。田口先輩のバイトがバレたと思ったからだ。
「あいつ、金のこと愚痴ってなかったか?」
「え?」
「給料のことだよ鈍いガキだな」
なんだそっちか。
はいもちろん愚痴ってましたよ。
とは答えない。
「あ、いや、特には…」
ぼくはこういうとき『北の国から』に出てくる純くんの口調を真似るようにしていた。するとほとんどの大人は「ちっ、しょうがねえなあ」と吐き捨てるようにぼくを解放してくれることを知っていたからだ。
「ちっ、しょうがねえなあ」
○ ○○
田口先輩のバイトがバレたのはそれからニ週間あとのことだった。
喘息が、という理由で一週間の休みをとっていた田口先輩。四人しかいない事務所では一人欠けると誰かが穴埋めしなければならない。あろうことかぼくはまるで使い物にならない。ボスの不機嫌ぶりは最高潮に達していた。
あれ、この資料どこいった、おい、ちょっと田口のデスク見てくれ、という声が壁の向こうから聞こえたとき嫌な予感がした。秘書がやってきて田口くんごめんねえ、なんか男のコの机の引き出しを内緒であけるのってドキドキするわね、ハヤカワくんそういう気持ちわかるぅ?とかいいながら笑顔で三番目の引き出しをあけたとき、すべてが終わったのだった。
ぼくはボスに呼ばれてこれはいったいどういうことだお前知っているなら洗いざらい吐けと胸ぐらを掴まれて恫喝された。知りませんと言うとお前右利きか?左利きか?利き腕じゃないほうを折ってやるから本当のことを言え。ぼく本当に知らないんですボスに嘘つく理由がないです。本当だな。信じてください。最後は涙声になっていた。
ボスは怒り心頭でキャビネットを殴り、蹴り、とうとう壊してしまった。
しばらくして秘書が猫なで声で田口先輩に電話をした。明日、社会保険と給与見直しの件で話をしたいから事務所に来れる?
女はいつも女優なのよ、というような歌があった気がしたが、本当にそうだなと思った。
「いいかハヤカワ。お前、このこと田口に言うんじゃねえぞ。ぜったいにだぞ。ひと言でも漏らした日にはお前…」
どうしたらいいのかわからず、オロオロしながらまったく一睡もできなかったその夜、事務所のJ-WAVEから流れていたのはこの曲でした。
その年に再生したYMOの10枚目のアルバム『テクノドン』から、のちにシングルカットされる「BE A SUPERMAN」。
10年ぶりとなるYMOの再生は音楽業界のみならず、あちこちで話題になるなど社会現象の様相を呈していました。覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
ぼくは上京するまでは筋金入りのYMOチルドレンでした。でも、この頃は事務所とアパートの往復しか記憶にないほど一般社会や娯楽と隔離されていたので、まるで情報をキャッチアップできていませんでした。そもそも音楽や芸能といった類に興味関心を寄せる心の余裕がなかった。
なので10年ぶりにYMOが再生する、アルバムも発売される、東京ドームでコンサートが行われる、といった昔のぼくなら失禁しそうな胸ときめくニュースもどこか遠い別の国の話のように、現実味なく通り過ぎていきました。
ひらたく言うと、それどころではなかった。
ただJ-WAVEからはこの曲と「ポケットが虹でいっぱい」というエルビス・プレスリーのカヴァーがヘビロテされていたんですね。なので新しいYMOの音というのはこういうヤツなんだ、という認識は持っていました。
デトロイト・テクノとかクラブ・ミュージックの文脈、というような解説をするナビゲーターもいたんですが、そもそもデトロイト・テクノを知らないしクラブにも行ったことがないのでいいのか悪いのか、なんとも想像がつかないという。情報感度がどこまでも下がってましたね、その頃は。
さて「BE A SUPERMAN」は米国の小説家ウィリアム・バロウズの声からはじまるミドルテンポながらグルーヴ感あふれるナンバーです。全編にわたり女性の声で「BE A SUPERMAN」とリフレインされるのが印象的。サビでは高橋幸宏の「ごめん」というつぶやきがサンプリングされるなど、YMOらしい遊び心も随所に垣間見られます。
当時は音楽をじっくりと聴く、あるいは楽しむというような精神状況下ではなかったので何も感じなかったのですが、リリースから四半世紀の時を越えて耳にする「BE A SUPERMAN」は、これがなかなか。かなりいいんです。
なんとなく踊れるというか、作業のBGMにもピッタリだなと感じる。それに伴ない、もう一度『テクノドン』も聴き返してみると、これがまた、あれ?もしかしたら名盤なんじゃない?と思えてくるから不思議大好きです。
ちなみにYMOチルドレンの間では『BGM』が最高傑作だ、と宣言することが最もコアなファンであることのエビデンスとされています。
『BGM』はピコピコキラキラのテクノポップから一気に暗く重いニューウェーブへと変容したことからリリース当時はあまり評価が高くありませんでした。しかし時間の経過とともに再評価され、いまでは永遠に聴き継がれるべき作品とまで言われています。
ぼくはこれは『テクノドン』にもあてはまるのではないかな、と思います。YMOの三人も本意ではなかったと聞くし、2000年代の再活動時にもテクノドンからのナンバーは一切演奏されていません(たぶん)。楽曲への思い入れもないのかもしれない。しかし「BE A SUPERMAN」をはじめ、いまだにまったく古さを感じない曲の数々にはもう少し、スポットライトを当ててあげてもよいのではないか。そんな風に思います。
○ ○ ○
結局ぼくはその夜に田口先輩に電話することなく翌日の修羅場を迎えることになった。何があるかわからないので、デスクの引き出しに取材用のレコーダーを仕込んだ。
田口先輩は咳をしながらやってきた。笑顔で迎えるボスと秘書。地獄への道は善意で舗装されている、という言葉は本当である。応接セットに座る田口先輩とボス。まずはボスからこれまで薄給でこきつかって申し訳なかった、というお詫び。お前もこれから所帯を持つんだからそれなりの処遇を考えるべきだった、社会保険にも加入したいと言っていたよな、悪かった、きちんとするよ、と言いながら秘書に会社の大判封筒を持ってこさせて田口先輩に渡した。見てみろよ、とボス。すみませんボス、と言いながら封筒の中身を確認する田口先輩が一瞬で青ざめていった。
その後のことはあえて書かない。
ひとつだけいえるのは、ぼくは誰にとってのSUPERMANにもなれなかったということだ。いまでも「BE A SUPERMAN」を聴くたびに少しだけ胸が締め付けられるような。
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