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ホープ軒とわたしの30年

東京でいちばん好きなラーメン屋は?と聞かれたら『春木屋』と即答するぼくですが、ではいちばん通ったラーメン屋は?との問いには『千駄ヶ谷のホープ軒』と返すしかないでしょう。それぐらいホープ軒には足繁く通っています。

なぜか。

今回はそのことについて考えてみたいのであります。

そもそもホープ軒との最初の出会いは18のとき。上京して最初にできたビッグという友人に連れて行かれたのが最初です。

ビッグはVF400というバイクに乗っていて、杉並の自宅からぼくのアパートにしょっちゅう遊びに来ていました。

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VF400、いいバイクですね。でも個人的にはVT250のほうが好きでした。

いちど来るとテレビだ、ビデオだ、ファミコンだ、といつまで経っても帰らないのである夜ついに「いいかげんに帰れ」といいました。

すると驚いたことにビッグは「じゃあいまからラーメン喰いにいこうよ」というのです。人生でコミュニケーションの断絶をリアルに体感したのはこれがはじめてでした。

あまりの衝撃に「おう」と返事したぼくは、なすすべもなくVF400の後ろに跨ります。そのときに行ったラーメン屋がホープ軒でした、ということならば話は早い。違う違う、そうじゃない。

東十条から環七を練馬方面に10分ほど。真夜中にも関わらず人だかりができていたのは『土佐っ子』という店。ぼくはここで生まれてはじめて背脂チャッチャ系のこってりラーメンを食べることになります。

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土佐っ子は現存しないので、流れを汲む『下頭橋ラーメン』の画像を。でもこんなかんじでした。色といい脂といい(食楽Webより引用)

その味はそれはもう感動のひと言でした。ヤングのジャンキーな味覚にどストライクです。横一列に十数名が並び、食べ終えたら後ろに並ぶ客と入れ替わるという配給待ちの囚人みたいなシステムも田舎者には新鮮そのもの。

旨い!すごい!を連発するぼくを見てビッグはたいそう気をよくしたようで、東京のラーメン屋のことなら任せてよ、ほとんど制覇してるんだから、と鼻の穴を大きくしています。

調子に乗ったビッグは数日後、実は土佐っ子よりも旨いこってりラーメンがあるんだけど、といってぼくを誘います。それがホープ軒なのでした。

はじめて食べたホープ軒は、正直「?」でした。これだったら土佐っ子のほうが旨い。ぜんぜん旨い。なんといっても土佐っ子に比べてこってり感、脂の感じがぜんぜん足りない。ぼくはビッグに「お前これほんとに旨いとおもってんの?」と厳しく詰め寄りました。

思惑がはずれたビッグは名誉挽回といわんばかりに翌日、土佐っ子にぼくを誘います。しかし時間帯がまずかったのか、あいにくその日は長蛇の列でとても並べそうにもありません。しかたなくぼくたちはそこから少し離れた場所にある、似たような環七ラーメンの店に入ります。

しかしそこのラーメンがまずいことまずいこと。ふたりしてげっそりしてアパートに戻ると、ビッグは力なく「じゃあ帰るね」と去っていきました。それ以来、ぼくたちの間でラーメンの話がでることはありませんでした。

だからぼくの中での背脂チャッチャ系こってりラーメンナンバーワンの座は長らく環七の土佐っ子ということになっていたのでありました。

■ ■ ■

それから20年。

ぼくは就職して、転職して、夜逃げして、また転職して、さらに転職して、と根無し草のような人生を歩いていました。しかしようやく30歳を過ぎたあたりから自分の仕事で食っていける目処もつき、結婚もして、それなりの生活ができるまでになりました。

ひょんなことから奥さんが築地市場の場内で働くことになり、早朝4時台の始発で勤めに向かうという生活がはじまります。ぼくは西新宿ではたらく社畜だったので朝は9時から、夜は24時まで。

まあ、生活リズムがすれ違うわけです。

別にそれぐらいのことはどうでもいいし、もう結婚して10年近く経っていたのでむしろ気が楽なぐらいだったのですが、予定のない土曜日だけはクルマで築地に送ってあげることにしました。そうすればいくぶん起きる時間もゆっくりできるし、始発の時間を気にすることもなくなります。

夜が明けきらない時間帯の都内はとにかく空いていて、快適です。クルマを走らせやすい。毎週のように世田谷から築地まで送っていくうちに都内の道や地形にも詳しくなります。首都高もマスターしました。

ある日、奥さんを送った帰り道、ちょっとした遊び心で246をキラー通りに右折しました。するとなんとなく朝靄の中にぼんやりとした記憶が蘇ります。あれ、ここ、誰かと来たことあるな。バイクで走った覚えがあるぞ。そうだ、ビッグだ。ビッグにホープ軒につれてこられたんだ。

ホープ軒、なつかしいな。まだあるのかな。ぼくはそのままするすると坂を下ります。ビクターのスタジオと霞ヶ丘アパートに挟まれた交差点を超えると、ひときわ明るい黄色の看板が。あった、ホープ軒。なんか記憶とはちょっと違うけど、たしかにホープ軒です。

「ちょっと喰っていこうか。話のタネに」ぼくはひとりごとを言いながらクルマを路肩に止めます。たしか昔はこのあたりはタクシーがぎっしり止まってたような。でも時間帯が違うか。時計を見ると5時半です。季節は秋。

店内はガラガラ、客はぼくだけでした。食券を渡してカウンターで待ちます。おしぼりは自分で持っていくシステム。目の前のステンレスのザルに山盛りの刻みネギ。

ほどなくしてカウンターごしにでてきたホープ軒のラーメン。大して期待していません。それどころか美味しくなかった思い出が蘇ってきます。

しかし、ひと口スープを飲むと、あれ?

旨いじゃん。

味の記憶が書き換えられた瞬間でした。

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20年ぶりのホープ軒は何もかも違って見えました。

麺も太めでコシがあって、旨い。チャーシューも柔らかい。そこで気づきました、ネギを入れるのを忘れていた。ぼくはあわてて山盛りのネギを投入します。

旨い。

旨いじゃないか。

それまでぼくは長らく味噌ラーメン至上主義で、ときおり春木屋のようなベーシックな醤油ラーメンを食するという比較的コンサバーティブなメン道を歩んでいました。

35を超えた頃から脂っこいものはどちらかというと敬遠していました。ですからとんこつ系や背脂系、二郎などはむしろ避けて通っていたといっても過言ではありません。

それがどうしたことか、食える、するする入っていく。それどころか美味しいと感じているじゃないか。

10分ほどかけて完食。スープも飲み干しました。涼しい季節だったこともあり、また早朝だったことや前の晩に腹いっぱい晩飯を食べていなかったなどさまざまな要因はあるにせよ、20年ぶりのホープ軒に心の底から満足したのです。

なんでしょうね、年齢とともに味の嗜好が変わっていくのはわかるんですがここまで劇的に変化するものなんですかね。おそらくホープ軒側は大きく味は変えていないはずなので、圧倒的にぼくの舌の問題なんですけどね。

いろいろ食えるようになって、それなりに高いもんも、旨いもんも、不味いもんも食ってきて。それで昔は美味しく感じなかったものを美味しく感じられるようになったということか。こういう成長もあるのか。

ありがとう、ホープ軒。
いままでごめんよ、ホープ軒。

■ ■ ■

以来、秋から春までを『ホープ軒シーズン』と位置づけ、事情が許す限り朝ラーを楽しんできました。たまに数ヶ月行けないこともありますが、どれだけ期間をあけてもまったくブランクをかんじさせないほどディスタンスが保たれている従業員とぼくの距離。そして変わることのない味。

ここ数年ではおやっさんの時とスタッフの時の味の微妙な違いや、隣の兄ちゃんがもやしラーメン大盛りにこれでもかというぐらいにんにくを入れる様を楽しむぐらいの余裕をもてるようになりました。

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もっとも最近のホープ軒。おやっさん作なのでスープがいくぶんマイルド。

もちろん先週も行ったさ。そろそろ気温が上がってきたのでシーズンオフも間近。来週あたりが本年度のラストになるかもしれません。有終の美を飾るべく、楽しんでこようっと。


それにしてもビッグは元気でやってるだろうか。
おーいビッグ。またホープ軒いこうぜ。お前のVFで。

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