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未来は案外ゆっくりやってくる

子どもの頃は、未来の世界に憧れを持っていました。特撮やアニメが華やかりし時代。洋モノ和モノ問わず宇宙空間やロボット、未来都市での生活などに胸をときめかせていました。

空飛ぶ自家用車。透明なチューブの中を疾走する海底超特急。宇宙船。一家に一台のロボット。壁や天井を自由に歩き回れる特殊なシューズ。どんなに離れていても目の前にいるかのように会話ができる3D電話。

人々は地底深く、あるいは超高層に作られた人工の街に暮らし、すべての病気が完治するまでに医療は発達。宇宙ペットを飼うブームが到来。火星人と金星人のユニットがヒット曲を歌う。

地球上の国境は役割を終え、全人類が年に1回から2回は宇宙旅行を楽しむ。国ごとの言語は脳内に埋め込まれたチップで瞬間的に自動翻訳され、語学の勉強が意味をなさなくなる。

教室から見える工場の煙突を眺めながら、そんな夢のような世界をぼーっと頭の中で描いていました。1977年ごろの話です。

それが数年後、小学校5年生を過ぎたころ。
急に未来が怖くなりました。

あれは『ザ・ベストテン』を見ていたときだから木曜日の夜ですね。ちょうど番組がコマーシャルに切り替わり、いまでもはっきり覚えているのですが「エスビーヘッドギア」というスナック菓子のCMが流れました。

その瞬間、なぜかわかりませんが強烈な不安感に襲われたのです。

いつも貴重なCM作品集を作成してくださるmakotosuzukiさんのアーカイブより。4:30からエスビーヘッドギアのCMがはじまります。
出典:makotosuzuki

どちらかというとおもしろ要素満載の、パロディCMです。しかし当時のぼくはこの映像から「競争」や「記録」といったイメージをキャッチし、なぜか強烈な全体主義を想起してしまった。

いつまでも無邪気な子どもでいられない、という恐怖。競争や記録といったものがいよいよ身近に迫ってきている、という焦り。好むと好まざるとにかかわらず受験地獄や管理教育に巻き込まれていく絶望。

そこから、その先の未来への夢や希望といったものが一気に潰えたのです。

未来に近づく当然の過程としての進級や進学、社会に出ることが怖いものになってしまった。

幼い頃に思い描いていた未来の予想図は、たぶん2000年や2001年の世界。あと20年ほどで自動車が飛んだり、練り歯磨き粉みたいな食べ物を口にする世の中になる。果たして自分はついていけるのか。

まったく自信がありません。勉強もできないし、そもそも根気がない。甘やかされて育った自覚はあるから成功するイメージが持てない。

科学の発展と進歩、文明の進化をキャッチアップできるとは、どう考えても思えない。取り残されてしまう。落ちこぼれてしまう。息が詰まりそうなネガティブなイメージしか浮かびません。

一歩間違えばそのまま引きこもってしまってもおかしくない精神状態でした。中学校に行きたくないよう。高校受験なんかしたくないよう。社会になんか出たくないよう。怖いよう。

大人になるのが恐ろしかったんです。

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あれから42年。

2000年はなにごともなく過ぎました。2001年もパンナムは宇宙の旅に連れていってくれません。

さらに20年が経ちました。

2021年というまさに過去に夢見た未来。ロボットはあるにはあるが、45年前に想像していたものとはまるで別物。自家用車が空を飛ぶどころかラジコンヘリがようやく、といったところ。宇宙人はいるのかどうだかわからないし、国同士の紛争は途絶えることがありません。

相変わらず交通事故は減らないし、コロナ前までは都心の通勤ラッシュは地獄絵図。殺人事件もなくならなければ貧富の格差は広がるばかり。いじめも学歴フィルターも健在というありさま。

進化していないことはないんです。インターネットの登場で人が一日に受け取る情報量は江戸時代の一年分といわれています。スマホはドラえもんの道具みたい。確かに便利で快適です。

だけど、なんか、ぜんぜん迫力ないじゃないか。その昔、思い浮かべていた世界にはほど遠いじゃないか。そんなふうに思うんです。

スマホなんかオフっちまえばただの板。インターネットも接続を切ってしまえば、目の前には静謐な時間が戻ってきます。

今日も会社に向かうため徒歩15分かけて駅に向かいます。ガラガラの電車は定刻通り渋谷までぼくを運んでくれます。午後から雨が降るらしいから傘を持っていかなければなりません。今夜は忘年会だから晩ごはんはいらないよ、と奥さんに伝えます。昼食難民を避けるべくランチは少しずらさないといけません。健康診断の数値を気にしつつ塩分や脂を控えています。

人としての営みは、少なくともぼくの周りに関してはこの30年間ほとんど変わりありません。

情報だけが膨れ上がっている頭でっかちな世界。インターネットがこの先、3.0だか5.0だか10になろうが人が生きる大きな河の流れはたぶん何も変わらないだろうと思います。

喜んだり、悲しんだり、怒ったり、笑ったり。

結局、人間に必要なことは健やかな体と笑顔、そして少しだけ考えるチカラなのかもしれません。

そのことを、タイムマシンがあれば、あのエスビーヘッドギアのCMを見て固まっていたぼくに教えてあげられるのに。それすらまだできていない

中学校は荒んでいたけど楽しく過ごせたよ。
高校はほとんど遊んで暮らしていたよ。
逃げるように東京へ行ったよ。
東京ではなんとか食えているし、結婚もしたし、ダンスも踊ればドラムも叩くよ。
少ないけれど友だちもできたよ。

大丈夫。社会に出るのは怖くなかった。

未来はあんがい、ゆっくりとやってくる。
人間がついていけないなんてことにはならない。
このどうしようもないうすのろな世界は
その程度にはよくできているんだなと思います。

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