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【広告本読書録:062】月刊 広告批評

広告批評編集部 マドラ出版 

地方出身者のあなたに聞きます。
東京に来ていちばん最初に「東京っぽさ」を感じたものは、なんですか?蜘蛛の巣のような地下鉄路線図?深夜になっても変わらない街の明るさ?空気のまずさ、水道のまずさという人もいるかもしれません。

ぼくは、この『広告批評』が最初の東京体験だった、といっても過言ではありません。それぐらいこの薄い雑誌からは東京っぽさを感じた。

どんなところに?
そうですね、判型もそうだし、紙質もそう。薄さと値段もその要素かも。

でもいちばんの理由は、おそらくその立ち位置というか思想ではないか、とおもいます。

コピー学校での出会い

いまから34年前、各駅停車の夜行電車に乗って東京へやってきた広告少年(ぼくのことですね)は、見るもの聞くものに敏感に反応していました。

春からコピー学校がはじまり、それまでたった一人きりだった東京での生活にも仲間ができます。仲のいい友達もいればそうでもない友達もいました。まだ自分が何者かよくわかっていないので、とにかく周囲に流されないようにふんばっていたような気もします。

コピー学校は関東圏、つまり実家ぐらしが6割、地方出身者が4割といった構成で、いわゆる「東京っ子」たちはさすがに洗練されていました。田舎っ子というのはどうしても、彼らに比べて考え方も着る服もライフスタイルもどこか垢抜けない。

「宣伝会議」養成講座のアルバイトをはじめたのも東京チームでした。

彼らは宣伝会議のアルバイトがよほど楽しいのか、次第にコピー学校のほうには顔を出さなくなりました。宣伝会議がなんであるかすら知らなかったぼくは、なんか悪い組織にハマっちゃってるんじゃないの?なんて心配してたほどです。

そんなある日、例の宣伝会議組のひとりがふらっとコピー学校の教室にあらわれます。ぼくは、ひさしぶり、と声をかけたような気がします。彼は特に興味があるかんじでもなく、カバンから小さくて薄い雑誌を出しました。

「それなに?」
「広告批評。知らないの?」
「うん、見せて見せて」

それがぼくと広告批評の出会いでした。一冊500円ぐらいで、薄くて、文字がめちゃくちゃ多い雑誌。なんとなく、自由で、アングラで、カルチャーな香りがしました。

これが批評か!

パラパラめくっていくと「MONTHLY AD REVIEWS~今月の広告批評」というコーナーが。そこにはその月に掲載された広告に対する評論が書かれているのですが、これに驚いたわけです。

まず、それまで評論などというものを読んだことがない。読んだことがないくせに、おそらく評論文というのはお硬い専門用語の塊だろうとおもいこんでいた。ひらたくいえばぼくの人生にはまったく関わりあいのないことでござんす、だったのです。

あるいはお金をもらって書くものだから、一方的に褒めそやすようなものだろうな、ぐらいにしかおもっていなかった。

でも『広告批評』に書かれている評論は、ものすごく平易なことばで、しかも鋭い切れ味の批評が、ややシニカルな切り口から書かれている。勝手に想像していた一方的に褒めるようなことは一切していない。

そうです、そこには正真正銘の批評があったのです。しかもラジカルで、パンクで、ロックンロールなやつ。

これが批評か…

そんなふうにおもいました。これが批評なら、批評ってのも悪くないな。そうもおもった。とにかくのびのびしているんです。当時はそんな言葉誰も知らなかったけどなんの忖度もなく、一切の気づかいもなく。まっすぐ、正面から広告そのものに切り込んでいた。

広告批評のトーン&マナー

『広告批評』には「ならでは」と言いたくなるようなトーン&マナーがあります。きっと、天野祐吉さん、あるいは島森路子さんの語り口なんだとおもいますが、それだけで広告批評を広告批評たらしめるほどの独特さがあるんですね。

さすがに当時の『広告批評』は手元にないので、いちばん最新で最終版の336号からピックアップしてご紹介しますね。

走る美女の群 資生堂/ザ・コラーゲン
緑の大地を美女の群れが駆け抜ける。その数約100人!彼女らの表情には笑顔が溢れてる。美容・健康ドリンク「ザ・コラーゲン」のコマーシャルだが、これを見てるだけで元気になれそう。というか圧倒されそう。撮影はハワイで行われたそうだが、よく100人も連れて行ったもんだ。

ポイントは最後のひとこと。「よく100人も連れていったもんだ」これ、まっとうな批評というか評論だったら、いらない。余計なひとことです。でもこれがあるから『広告批評』なんだ、といえるほどに存在感があります。

龍馬のテレビ論 TBS/企業
坂本龍馬(大沢たかお)が吠える。「よう聞きや。もうテレビがあぐらかいとる時代は終わったぜよ」「世の中どんどん進化しとる。でもな、テレビにしかできんことがあるんじゃ。それはな、人間が人間を伝えるということぜよ!」メディアのいまを幕末に重ねた。この混乱状況の中、テレビにしかできんオモロいことを、TBSにはぜひやってほしいぜよ。

これも独特の『広告批評』節です。こういう物言いのときって、おそらくですが広告表現としての出来があまり良くないケースだとおもうんです。でもそれを直截に表現せず、シニカルに、オブラートに包んで伝える。なんとなくこのあたりにも天野さんの“粋人”っぽさを感じてしまいます。

広告以外の切り口も

もうひとつ、広告批評の特徴は、広告だけを取り上げるのではなく、ひろく社会全体の動きにも目を向けていたところにあります。『広告批評の三十年』で天野さんはこう書いています。

と、言っても、対象を広告だけにしぼる気はありませんでした。広告をふくむ大衆文化の動向や、人びとを動かす「ことば」の移り変わりを見ていきたい。が、それには逆に間口を広げず「広告」という限定された窓からのぞくのが、いちばんいいんじゃないかと思ったのです。

三十年にわたる刊行の間にはさまざまな「広告以外」の特集が話題となります。特に初期に部数を伸ばしたのは22号の『わっ!ツービートだ!』と26号『タモリとはなんぞや』で、当時まだ売出し中だったツービートとタモリのロングインタビューが評判を呼んだそうです。

その他にも橋本治、村上春樹、高橋源一郎、野田秀樹などなど当代きっての文化人へのロングインタビューが紙面を賑わすのですが、このインタビューを一手に引き受けていたのが、二代目編集長となる島森路子さんです。

島森は、相手から言葉を引き出すのもうまいのですが、聞き出した内容を原稿にまとめる名人芸の持ち主でした。島森がインタビューしてまとめたときの原稿は、谷川俊太郎さんなど、多くの方がチェック不要でこちらにまかせてくれたものです。

これも天野さんの言葉ですが、ぼくも島森さんのインタビュー記事からいろいろ学び、盗ませていただきました。まさにインタビューの先生。いまぼくの仕事のうち30%ぐらいが書き仕事で、その多くがインタビューだということをおもうと、なんかこう、感慨深いものがあります。島森さんからもっと学びたかった。島森さんのインタビュー記事をもっと読みたかった。

336号でその歴史に終止符を打つ

広告批評は特集にしても、批評にしても、また表紙デザインやアートディレクションの面でも非常に高いクオリティをキープしながら刊を重ねていきます。創刊から8年8ヶ月目で100号を迎え、編集長が天野さんから島森さんに交代。

そこから9年で200号へ。島森編集長時代の隆盛ぶりが特集記事タイトルからも伺えます。ちょっと手元の資料にあるものから紹介しますね。

「広告王ゴルバチョフ」(冷戦終了)
「CMが消えた二日間」(天皇崩御)
「社会主義ってナンだったの」(ソ連解体)
「生活大国って、ナンですか?」(バブル崩壊)
「細川護熙の広告的研究」(自民政権倒れる)
「ニッポン再生計画」(戦後51年目)

ほぼ昭和から平成の歴史の歩みに沿った特集ばかり。そしてその中に広告はいつも存在していたんですね。

そして、この広告本読書録でも紹介した『広告20世紀』の元となる連続特集などを経て、30年目の2009年4月、336号をもって休刊となります。途中、島森編集長の片腕だった白滝さんの急逝、そして島森さんご自身も体調を崩され、最終号のころには病気療養中の身でした。

休刊の理由は、天野さんのご高齢、島森さんのご病気などいろいろ物理的な問題もあったのでしょう。ただ、最終号で天野さんはこんなふうに振り返っています。

カンヌの広告祭に毎年出かけていた島森は、2005年の4月号に、こう書いています。「たしかあれは2000年のカンヌだったと記憶していますが、その年、メディアライオンがちょっとした話題を集めていました。<中略>前年に設立されたばかりのこの部門の授賞式がかなりハデに行われ、そのとき、ああ、これなら日本も受賞できそうなのに、と思ったのをよく覚えています。<中略>インターネットの急速な広がりも背景にあるでしょうが、従来のマス広告からの脱皮を、とりわけ、その固定した語り口からの脱皮を、広告も求めていたということでしょうか。<中略>メディア自体をクリエイトしていこうとする動きは、表現に影響を与えないはずはないと、そのアイデアに期待したいところです」島森のこの原稿を読んで、天野は「そろそろ広告批評も、幕を下ろすときかもしれないな」と言いました。島森はうなづいて「そうだね」と答えました。

この、印象的なやりとりから4年。本当に幕を下ろしてしまった広告批評。天野さんも、島森さんも、いなくなってしまいました。いま、広告批評が存在していたら…どんな役割を果たしてくれていたことでしょう。あの炎上した表現をどう擁護するだろうか。あの問題となったプロモーションをどう評価するだろうか。

天野さんに批評してもらいたい広告も、たくさんあります。島森さんのフィルターを通して言葉を聴きたい文化人も、たくさんいます。

こうしてぼくの、はじめての「東京っぽさ」は、消えてなくなりました。ぼくはもしかするといまだに、東京に馴染めていないのかもしれません。

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