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やっぱり手書きが好き

こないだ後輩(さるメーカーの中間管理職)と飲んだ時。

「最近のヤングはメモ取らないんすよ」

と、微笑ましい愚痴をこぼしていたので

「君もぼくの部下だった時、メモを取れとよく叱られていたよね」

と返すと

「いや、メモを取らないばかりか、上司が話しているにも関わらずスマホいじってるんですよ。どんな教育を受けてきたのやら」

激おこプンプン丸なのでした。彼の勤め先は結構歴史のあるレガシーな会社で、とっくにリモート明けしています。その結果、3年ほど距離感ができてしまった部下との接し方に頭を悩ましているようです。

わたしは、もしかしたらスマホのメモ機能にメモってんじゃないの?とヤングの肩を持つようなことを言うと、そういう若者に迎合というか忖度というか遜るのってハヤカワさんの悪い癖ですよ、などという。

そういわれてふと、いまの会社の社長がいつも会議中にスマホをいじっているので見かねたわたしがいかがなものでしょうかと進言したとき、あ、これメモとってんですよ、と爽やかな笑顔で返してきたのを思い出しました。

そこで迎合でも忖度でもなく、世の中の進化なのだよ、世界は君の想像を遥かに超えるすごい速さで進んでいるのさ、お前も早く進化しろ~耳動くヤツぁ超急げ~と伝えたのでありました。

不朽の名作『グリーンヒル』より

そんな人類の進化に逆行するようで大変心苦しいのですが、わたしは令和5年のいま現在でも紙とペンをこよなく愛する派であります。やれDXだ、ChatGPT-4だ、AIだという世の中ですが、断然、手書きの人です。

手書きしないと抜け漏れる

いま、さまざまなクライアントとお仕事をしているのですが、昨今のITサービス企業の努力の結果、連絡手段が多彩なこと多彩なこと。

わたしの場合メール、Slack、チャットワーク、FacebookMessenger、XのDM、LINE、インスタのDMに加えて最近Googleスペースとチャットが参入し、ぜんぶで9種類。ここに電話が入ったり、リモート会議での口頭スケジュール押さえ、社内の人間によるGoogle Calendar inviteが加わるので、なにがなんだかわからなくなります。

あ、もちろん世の中のできるビジネスパーソンの方であればなんなくそつなくぬけもれなくスケジューリングや業務遂行可能なんでしょう。MECE。

しかしわたしは事務処理能力ゼロに近い。これはもう、自信持って言えます。なのでスマホとかタブレットなどの飛び道具だけで管理しようとするとまあ、漏れる漏れる。ダダ漏れでやんす。

特に原稿書きなんかやっているとつい集中しちゃうので、予定のアラートが10分前に来てたって平気でシカトしてしまいます。

実際に何社かに不義理してしまったわたしは、これはだめだ、と思い至り、あらためてロイヒトトゥルムに都度細かく記入することにしました。

いや、いっとき「これ、何か意味あるのかな…」と思ったこともありましたよ、手書きでのスケジュール管理。だって書いてもほとんど見返さないし、実際に頼りにするのはGoogle Calendarですからね。

だけど手で書いたという記憶がカラダに刻まれていることは、案外ばかにならないっていうか。

ぬけもれそうな瞬間に、ふと、ひっかかるんですよね。なんか忘れてないかって。

だから今年の後半からはもっぱら手書きに戻しています。もちろんアプリでの管理もしていますが、同時に必ず書く。そして週に2回ほど見返す。アプリカレンダーの記載と手帳との差異を確認するようにしています。

え?非効率?能率悪い?はいはい。そうですよね。でも手書きをしないことでリモートMTG吹っ飛ばしたり、締切を過ぎてしまったり、取材を忘れてしまうよりもぜんぜん効率がいいんです。わたしにとってはね。

手書きしないと思い出せない

いまから25年前。30歳でネットベンチャーに転職したとき。広告コピーを考える際に、わたしはいつも使用済みのコピー用紙の裏側にあれこれと文字を書いていました。

それは考えなければいけない主題に近いこともあれば、ぜんぜん関係ない野球の試合結果だったり、週末の予定だったりすることも。言葉だけでなく、広告のフレームを書いてそこにあれこれ落書きを描くのも毎回のお決まりでした。

とにかくあれこれ手を動かすことから仕事をはじめていたんです。

その様子を見た当時の上司で元コピーライターの人はいいました。

「おっ、ハヤカワちゃん、なんか懐かしいやり方してますな。ぼくも昔、そうやってコピー考えてましたで。いまはもうやりませんですけどね。そのうちハヤカワちゃんもやらんでもようなりますわ。慣れですから、慣れ」

わたしは、ふうん、そういうもんか。と思っていました。

果たして、そういう手書きから仕事をはじめる習慣はなくなったでしょうか。

厳密にいえば、いっときなくなりました。っていうかそういうメモを書いている暇もないぐらい忙しくなったのです。なにせ一日に求人広告を3つも4つもこしらえなくては間に合わない、という疾風怒涛の時代。まさにちぎっては投げ、という感じで広告コピーを量産していきました。

気づけば営業の話を腕を組んで聞きながら、頭の中で何を伝えるべきか、考えられるように。映画『ユージュアル・サスペクツ』のキントの如く、コルクボードに貼り付けた断片情報からストーリーを描くという技術を身に着けたのでした。

それから20年。

いまわたしは仕事において、いきなりパソコンに向かって文字を打つようなことはしません。多くは使用済みのコピー用紙の裏に、これはという仕事のときはとっておきの原稿用紙に、はたまた気分をあげたいときはMDペーパーパッドに万年筆で文字を書くところからはじめています。

なぜか。

頭の中だけで考えていきなりタイピング、という仕事の仕方だと、やはりカラダに染み込まないからなんです。スケジュール同様ですね。で、カラダに染み込まないとはどういうことかというと、早朝の散歩時という素晴らしいひらめきタイムに神が降りてこないってことなんです。

指をつかって文字を書く。ただそれだけのことかもしれないのですが、そのおかげで脳のどこかわからない場所にそのときの思いや感じがうっすらプリントされるんでしょう。散歩中に何かを考える、ということは、それを呼び出しているんだと思います。

そして、紙に書いて翌朝、あるいはずっと後の朝にふと上から降りてきたフレーズをつかってこしらえた会社名、あるいは企業のミッション、ビジョン、バリューはおかげさまでとても喜んでいただけています。と思います。

と、いうことでおそらくわたしはこれからも、しぶくしぶとく紙と万年筆で仕事をしていくことになるでしょう。こればっかりはAIやらLLMやらDXの及ばぬところだと思います。そういうアイテムをつかったほうがラクに仕事ができるようになるかもしれないのですが、それでもたぶん、回り道をするでしょう。

来年のスケジュール帳に心ときめく

毎年いまごろに思うのは「よし!来年こそは手書きを卒業しよう!」でした。できればスマホひとつですべてを管理できたら手ぶらで仕事にいけるしね、と。

でも今年は前半から中盤にかけて上記のようなトラブル(スケジュールわけわかんなくなる事件)があったので「よし!今年はいっちょ早めに手帳探しをしてロイヒトトゥルム以外にも選択肢をゲットしよう!」と思い、10月の終わりにはやばやと銀座のitoya別館に足を運びました。

そうしたらですね、なんと、わたしが好きすぎて胸焼けするほどのアートディレクター、サン・アドの葛西薫さんがデザインしたスケジュール帳があるではないですか!!!

それがこれ。

わたしの理想がつまったダイアリー

ANDO GALLERY DIARYです。ANDO GALLERY とは1984年にプロデューサーの安東孝一さんによって設立。安東さんはギャラリースペースの運営をはじめ、建築やデザイン、アートのプロデュースなど、多岐に渡り活動しています(現在はギャラリーは閉廊)。

このダイアリーがどういったいきさつで葛西さんの手によるものになったのか、その辺りについて無知だったのですが、とにかくその素晴らしくシンプルで美しいデザインに一目惚れ。速攻で購入しました。

シンプルとは使いやすいということ

「デザイン」とは新奇さや奇抜さではなく、モノが持つ本来の良さを見出すこと・角度を変えて良さに気付いてもらうこと。そんな葛西さんの思想がすみずみに染み渡る「作品」といっても過言ではないダイアリー。大げさでなく10年でも20年でも飽きが来ない仕上がりです。

あとは3本使い分けている万年筆との相性が気になりますが、きっといいはず(願わくば裏写りしなければよいが)。よし、これで2024年の仕事も絶好調だな、と勝手に取らぬ狸の皮算用にほくそ笑む年末になりそうです。

まったく、こういう出会いがあるからitoya通いはやめらんないです。こんな買い物体験、楽天とかAmazonにできるかっつーの。

いやあ、やっぱり手書きっていいですね。ヤングのみなさんも「なんか最近仕事イマイチ…」と感じたらスマホを捨てて(いや捨てなくていいか)お気に入りの手帳とペンを探してみてはいかがでしょうか。

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