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2023年1月1日の出来事

いきなりせんだっての話を聞いてくれ。

正月といえば元旦の新聞の特別版(別刷り)が子どもの頃から楽しみだった。

旬な俳優のインタビューや番組の裏側を紹介する「第2部:テレビ・ラジオ」とか、注目のアスリートにスポットを当てた「第4部:スポーツ」とか。あと今年一年の運勢を占う「第3部:生活・文化」とか。

掲載される広告もカラー刷りで豪華絢爛。眺めているだけでお正月ならではの華やかな気分になれるのだ。

その昔、新聞勧誘員とのっぴきならないトラブルを起こした経験のあるぼくは、以来、定期購読をやめて必要なときだけ(つまり毎朝)コンビニで買うようにしている。

もちろん元旦の特別版朝刊も毎年コンビニで手にいれてきた。

ただ元旦は一部が分厚い分、ラックに置かれる部数が少なかったりする。つまり争奪戦である。早いもの勝ちなのである。

さらに新聞というのは習慣化されるもので、書体や級数、歯送り、行間など微妙な差異が気になってしょうがない。考えてみれば当たり前である。文字ばっかりなんだからね。

そうなると、たとえばぼくであれば「朝日新聞」一択ということになる。もし「朝日」が売り切れの場合、仕方ないから「読売」でいいやとはならないのだ。

焦るよね。いくら内藤が「トランキーロ!あっせんなよ」と右目を開きながら睨んできたとしても、焦るんだよ。

もし朝日がなかったら…俺のこの一年のスタートは…いったい…

だから2023年の1月1日も愛犬の散歩を終えて一度帰宅したその足でマンション1階のヤマザキデイリーストア(以下デイリー)に向かったわけ。

頼む…神様…朝日新聞、たった一部でいいから残っていてくれ!

デイリーの入口すぐ右手にある新聞ラックに目をやると、大丈夫だ、朝日新聞が朝日を浴びてキラキラ輝いているよ。

(しゃあっ)

心の中でガッツポーズをしながら朝日新聞を一部、つかんだ。その瞬間、違和感を覚える。

(あれ?)

分厚くないのだ。いつもの朝日新聞の厚さなのだ。とても別刷りが折り込まれているとは思えない。

あわてて他の新聞に目をやると、読売も毎日も産経までもこれでもかといわんばかりの分厚さを誇っている。もうこれ以上曲げられましぇん!という状態でギュウギュウとラックに詰められている。

(おかしいな?)

不審に思ったぼくはしかし、そうだ朝日は別刷りが分厚すぎてラックに入らないのでレジで渡してくれるんだきっと、と持ち前のポジティブシンキングを発動した。

そうと決まればひと安心。ぼくはいつもどおりの薄さの朝日新聞を片手に店内をうろうろと物色する。うちのデイリーは仕入れが変わっていて、豊洲市場の仲卸や商店の逸品、あるいは神田の名店のカレーを売っていたりする。

その日も正月休みを見込んでか、サイコロステーキやサーロインステーキの冷凍パックといったエッジの効いた特別企画商品が並んでおり、もはやコンビニとはいえ安穏としていられない世の中になったのだなあ…とひとり感慨に浸っていた。

そして、特にそれらの商品を手に取ることもなく自然とレジへ向かう。

レジでは女性の店員さんが「朝日新聞…ですね」と確認しながら新聞銘柄ごとに異なるバーコードが記載されているファイルを取り出して「どれどれ…」なんてやっている。

やはりそうだ。正月特別価格だから間違えないように一覧からバーコードを読み取らせているんだ。そしてきっと朝日は別刷りをここで渡してくれるんだ。

「朝日新聞、あ、ありました!160円ですね」

(ん?朝日はいつも160円だぞ。ま、いいか。高いよりは)

ぼくは200円を渡す。店員さんは「では40円のお返しになります」とお釣りをくれる。

以上。

あれ?

別刷りは?

戸惑っていると後ろにレジ待ちの行列ができてしまった。ぼくは呂布カルマに怯えるように何も言わずそのままデイリーを後にした。

(なんかへんだな)

おかしい、と思いつつその場で問題を解決せずに先送りする悪い癖は今年も絶好調である。

ぼくは自宅に戻り、何食わぬ顔をして新聞を開く。まあ、いつも通りの朝日新聞だ。正直言うとここ数ヶ月、朝日新聞が劇的につまらなくなってきていて、それがなぜなのかわからないままいまに至っている。

その、あんまり面白みを感じない朝日新聞を最後の頁までめくって、ひとつだけハッキリしたことがある。

テレビ欄が一切ないのだ。

これはおかしい。

いや、子どもの頃と違ってそんなにテレビ見ないのでなくても全然構わないのだが、それにしてもおかしいではないか。そしてもう一度一面に戻って右端のインデックスを見ると…

「テレビ・ラジオ番組表は別刷り」
別刷りの案内が書いてあるではないか。

やはりあるのだ。いや、あったのだ、特別号ならではの別刷りが。

ここまで問題が明らかになったのであれば、あとは行動あるのみ。どういった事情でこんなことになっているのか一人の大人として、いや消費者を代表して厳しく問いただす義務がある。

ぼくはダッシュでデイリーに戻り、レジにいた顔なじみの店員さんに声をかけた。

「あ、あの、これ…」
「はい、ありがとうございます朝日ですね」
「あ、いえ、あのあの、これ」
「朝日は今日は確か特別価格で…」
「あ、あのいや、これ、さっき買った」
「え?」
「さっき買ったんですけどあの、その、元旦の朝刊についているやつがないんです」

まるで小学生のような説明だが顔なじみの店員さんはなんとなく概要をつかんだようで、ぼくの手から朝日をうばって新聞販売のラックに向かった。そしてラックに詰まっている朝日新聞を全部出して、一部ずつ確認をはじめた。

そしてスッと踵を返して奥の事務所に向かい、オーナーと共に戻ってきた。オーナーはそんなことはないだろうといいながら新聞の束を眺め、そうだ他の新聞に紛れてるんじゃないかと読売や毎日、スポーツ新聞などもガバガバ開きはじめた。

その騒ぎを聞きつけてオーナーの奥さん、さっきの女性店員さんなども「どうしたどうした」と集まってきた。遠巻きに見ている客もいる。

(どどど、どうしよう…)

思ったよりおおごとになってしまった。

「あ、あの、あの、どうでしょう、やっぱり朝日の別刷り、ないですよね」
「あ、あんたが教えてくれたの?ありがとう、そうだね、新聞販売店に問い合わせてみるよ」
「あ、はい」
「今日はいったん朝日は販売しないので」
「オーナー、このお客さん、朝日を買ってるんですよ」
「そうか、じゃあ返金だな」
「あ、いやいいですいいです」
「いいですってわけにはいかね…そうだ、他の新聞と交換しよう」
「あ、いや、え、あ、はい、じゃこれで」

ぼくはしぶしぶ目の前に広げられていた読みたくもない読売新聞を手にした。

オーナーはえっと読売の特別号は…と、160円だ、朝日っていくらで売ったの?160円?じゃあそのまま交換だね、と手際よく別刷りで分厚くなった読売新聞を手渡してくれた。

「いや、教えてくれて助かったよ」
「あ、いえ」
「やっぱテレビなにやるかわかんないと困るもんね」
「え?いやそういうわけでは」
「わかるわかる、テレビ大事だもん」
「お客さん、テレビ結構見るほうなんですね」
「いやいやいや、ぜ、ぜんぜ…」
「テレビ好きのお客さんのおかげで、変な輩からクレーム付けられずにすんだよ、ありがとう」
「ああ、は、はい…」

この一件以来、ぼくは最も利用頻度の高い自宅マンション一階のデイリーのみなさんからテレビ大好きおじさんという目で見られるようになったとさ。


あけましておめでとうございます。
ことしも毎週水曜日更新『ご愛読ありがとうございました』をご愛読いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。


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