母集団形成という病は不治なのか
ぼくが求人広告に対して常に問題視していることがあります。
それは求人広告事業者と募集企業がともに「母集団形成という病」に罹っているということです。
よほどの大量採用でもない限り、あらかじめ採用数は決まっているもの。特に中途採用、しかも経験者採用の場合、それなりに賃金が経営を圧迫するのでバカスカ採るわけにはいきません。せいぜい1名から2名、いい人がいた場合にキヨブタで3名ってとこでしょう。
※キヨブタ…「清水の舞台から飛び降りる覚悟」の略
ってことはサ、求人広告における応募数なんてものはヨ、条件を満たした人が3名いりゃいいわけですよ。
いまとても大事なことをいいました。それが「条件を満たした」です。覚えておいてくださいね。
話を戻します。
必要最低限ということをいえば、1名応募で1名採用ができれば何の問題もないんです。5名採用なら条件を満たした人が5名。10名なら同じく10名。そうすれば採用企業側も応募者側もどちらも満足なはずなんです。
しかしそうは豊洲市場の仲卸がおろしません。
あらかじめ1名しか採用しない場合でも、企業側はその5倍、10倍もの応募数を期待するんです。また媒体側も応募数が多いと「よくやった成功!」だし、少ないと「なんとかしろアタフタ…」となる。
それどころか。
なんなら採用ゼロ、つまりその広告出稿自体が失敗だったとしても、応募数が3ケタあれば不満ではないんですよね、採用企業側って。
採用できないのはウチが悪いんだから、なんて逆に気をつかわれたりして。ということはあれか?求人媒体に求めるのは登録会員数と応募数であって質は不問ってことか?
だとしたらいったい何のために求人広告出すんでしょうかね。
今回は人は(組織は)なぜ母集団形成という病に罹るのか、ということについて考察してみたいとおもいます。
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応募数を追いかける理由は大きく3つあります。
理由その①『人間は選びたい葦である』
洋服でも靴でもなんでもそうですが、人間の自然な心理として「選びたい」という欲求があるとおもいます。比較検討したい生き物なんです。
だから1名採用だからといってドンピシャの1名が応募してきても決して満足しない。もっといい人来るんじゃないか、とワクワクして次を待つのが人情です。
せめて5名ぐらいから選んで1名を。気持ちはわかるんですけどね。
理由その②『憎みきれない承認欲求』
求人とはいえ広告です。応募数は人気のバロメーター、といっても差し支えないかもしれません。
そうなるとあれです、特にスタートアップの社長さんなんかはたくさん応募がくるとおっ、ウチってやっぱりいい会社?なんておもって鼻の穴が膨らむんですよね。逆に応募ゼロだと不機嫌極まりなくなるという。
汝、己を知るべしということなんですがこれまたなかなか難しい。
理由その③『コスパジャンキー』
採用する側からすれば対象外からの応募が多いとそれだけ無駄な工数がかさむことになります。
だけどお金を払って広告を出した以上、なんのリアクションもないのは気分悪い。掲載初日、二日目、三日目…ああ、もうなんでもいいからレスポンスくれよ!応募してくれよ!コスパ悪いなこの媒体。ということに。
このあたりが後金とよばれる成功報酬モデルがヒットする理由です。
理由その④『趣味のマーケティング』
ちょっと賢しげな採用担当者、あるいは求人広告の営業マンが使う手がこれですね。
前回のデータを持ち出して、書類選考通過率、面接通過率、内定承諾率から目標応募数を割り出すというもの。
たとえば今回は12名の採用だから逆算すると1200名の母集団が必要なんですよ、とか言い出すんです。ほんとかよ、といつもおもいます。
計算上はそうかもだけど不確定要素多すぎ?
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3つといいながら4つありましたね。
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ここで懸命な読者は冒頭で覚えておいてネ、とお願いした「条件を満たした」という言葉を思い出していることでしょう。
たとえば4つ目の例の通り、通過数ロジックを満たすために1200人集めるとしましょう。でも採用されるのはその中の12名でしかないわけです。そこになにがあるか。そこには応募条件というフルイがあるわけです。
だったらその条件を最初から提示すればいいじゃないですか。
でもそれをしない。
なぜか。
ここで登場するのが求人広告媒体の営業マンです。1200分の12を満たす条件を広告上で提示したら、1200人集めることができなくなる。それぐらいならガバっと幅を広げて募集をかけて、あとは採用担当者に任せたほうがいい。
と、いうある種の職務放棄をしているわけです。
えっ?って思いますよね。
なんだそれっておもいますよね。
でもそれが彼らの常識なのです。上司がそういうから。先輩にそう教えられたから。クライアントが喜ぶから。
『素直なビジネスパーソンが結果、偉くなれるから』病ですね。この病についてはまた別の場所で解説します。
自分のアタマで考えていない。思考停止です。
そしてその思考停止を叱るどころかよしよしと目を細めて眺めているのが採用担当者。なぜなら通過数ロジックを提唱する担当者が見ているのは「数字」でしかないから。そして上司への報告が何より大事だから。
上司「今回掲載に60万円かけて何人きてるの?」
担当「すみません、まだ2人です」
上司「2人?応募単価30万?高すぎるだろ?」
担当「すみませんなんとかします」
上司「すみませんじゃ済みません」
そして採用担当者は営業担当を呼びつけ、ネチネチと…。そこにはどんな人を採るのか、どんな人に来てもらって一緒に事業を大きく育てるのかといったヘルシーな発想も会話もありません。
採用するのは石ころじゃありません。人間です。人生があり、生活を営み、未来に希望を持っている生身の人間です。
ぼくは、この「母集団形成という病」から求人広告業界全体と産業界、なかでもHRといわれている集団が抜け出さない限り、求人広告がなくなる日がわりと早く来るんじゃないか、と真剣に憂いています。
なーんて偉そうなことを書いてはいますが、ぼくだって人の子です。応募ゼロの日が続くとほんと、胃が痛くなります。眠れなくなります。逆に応募数がウハウハ来ると「やった!」とおもってしまいます。
でも、そうおもってのち、いやこれは決して喜ぶべきことじゃないぞ、と思い直すことはできます。あと、応募数が伸び悩んでいるときも、いやこれは自分が企画したセグメントがうまく働いているからなんだ、と言い聞かせることぐらいはしています。
それぐらいでいいので、求人媒体や採用企業も、いっぺんきちんと考え直してみていいんじゃないでしょうかね。
いやあ、なかなか治りにくいけど、でも決して不治ではないとおもうんですよね、母集団形成病って。
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