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わたしがテープを起こし続けるたったひとつの間抜けな理由

今日は求人広告縛りは一旦お休み。だけど求人広告制作者にも関わってくる内容ですのでぜひご一読を。と書いたところで、そうはいっても単なる与太話だから別に読まなくてもいいんじゃないかしら、と思ったりして。

割とこう、幼い頃から押しが弱いんですよね。

キャッチコピーとか書いて、A案・B案・C案なんて提出するんだけど、心の中ではA案がいいなあと思っていてもクライアント先の宣伝部長が「この中ではC案が一番だね」なんていうとすぐに三味線弾くタイプ。「そうですね、C案が一番の自信作です」とか余計なことを言ったりして。

そうすると今度は専務あたりが「いや、Bじゃないの?今の子に刺さるのはさあ」なんて鼻毛を抜きながらのたまうのですね。もちろんわたしは「自分の年齢からは感覚として掴みにくいのですが、B案はヤング向けです確かに。さすが専務!」と追唱。

恐ろしいことに最終決裁者の社長さんが「まあ、まあ。いろんな意見があるだろうけどわたしは最初からA案に決めているよ。ハヤカワさんもプレゼンの言葉に力がこもってたしね」などとこっちの思惑を見抜いたようなことをおっしゃる。

こうなるともう、わたしはわたしという人格を崩壊させるわけです。

「社長、おみそれしました。これまでお話ししたことはまごうことなき事実です。ですがまさか心の中を見透かされるとは。そうなんです、わたしはA案がいいなと作成時点から確信していたのです。ありがとうございます!」

こう言いながらわたしはいつも、太宰治の『人間失格』の一節を思い出すのです。

蟾蜍(ひきがえる)
それが、自分だ。

ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されていきました。

あれ?なんの話をしたかったんだっけ?

まあいいや。

太宰治の『人間失格』は季節の変わり目ごとに読みたくなりますね。ん?そんなことはない?またまた、ご冗談を。

テープ起こしという苦行

いけない、いけない。わたしの悪い癖がまた出ました。悪い癖というのはこういうことです。

(うーむ、今回もまたネタがない中から無理やり何かを引っ張り出して書かねばならん。テープ起こしの話を書くにしても普通に書いたら500文字ぐらいで終わってしまいそうだ。よし、冒頭でどうでもいい話を書いて埋め草にしよう)

おかげで1000文字近く稼げたので、本編に入りたいと思います。

わたしの仕事の中で「取材」は実に重要な工程です。インタビュー記事を書く時は言わずもがな、たとえば企業のミッション・ビジョン・バリューといった言葉を作る際、あるいはWebサイトをリニューアルするといった仕事においても、まずは取材ありき。

そして取材の時は極力、取材対象者の話をデンスケに録音します。デンスケとはテープレコーダーのことなので正確には違いますね。最近はもっぱらICレコーダーです。

取材を録音するメリットは数多くありますが、わたしの場合、いちばんはメモを取らなくて済む=ヒアリングに集中できる、と言うことをあげます。ヒアリングに集中できると言うことは、相手の話を聞きながらその内容に呼応するように次の質問ができる。コミュニケーションになるわけです。

こうなると取材後に残っている情報は相手とのやり取りの中で特に印象に残っているものになります。細かなディティールはこぼれ落ちますが、確実に伝えるべき情報は押さえられている状態ですね。

そして、この段階であなたの仕事はおしまい。じゃ、もういいから帰ってビールでも飲んでおやすみなさい、という職業だったらどれほど素晴らしいでしょう。と、いつも思って枕を濡らすのですが、この後に待っているのが「テープ起こし」という苦行です。

わたしは「取材」と「執筆」の間に燦然と輝く工程「テープ起こし」が何より苦手。だってめんどくさいんですもの。特に相手が早口だったり、滑舌が悪かったりすると何度も何度も巻き戻して聞き返さなければなりません。

取材場所のコンディションによっては聞き取りにくくて、音量を上げたりメモを取ってないか確認したり(メモは一応、取るふりをしています)。そうこうしているうちに眠くなってくるんですね。ミスタイプも多いし。

じゃあAIに任せなよ

何でもかんでもタイパコスパの価値観を加速させているのがAIなんですが、当然の如く人々の生活の利便性を高める開発があちこちで進んでいます。そしてその波はテープ起こしという単純作業にも寄せられてきました。

いまや月額幾らか払うことで自動的に音声を書き起こしてくれるSaaSが百花繚乱。ちょっと調べてみただけでも軽く20社以上が鎬を削っておられます。中にはAIプラス人力で精度の高さに自信あり、みたいな謳い文句も。それってSaaSなの?

あとランサーズやクラウドワークスなどのフリーランサーを活用する手もありますね。ちょっとみたところ相場としては1分100円から、みたいな感じ。

もちろん検索していく中には「無料!」みたいなサービス(?)もありますが、当然のことながらクオリティは期待できないでしょうね。無料書き起こしアプリが一人前の仕事をするようになるにはあと少し時間がかかりそうです。

当然ですがわたしもいくつかのサービスをお試し、してみました。どれもなかなかの精度で「うん、これでいいじゃないか」と思ったこともありました。

しかし、しかしですね。
結論から言うとやっぱりテープ起こしは自分でやることになりました。

なぜでしょうか。

王道は得てして遠回りである

これはですね、わたし自身の能力の問題がありまして。わたし、自分でも時々不安になるぐらい文章読解力が低いんです。もしかしたら何か脳に欠陥があるのではないか、と思うぐらい、仕事の資料を読んで理解する力が足りない。

いや、興味あるビジネス書や小説、雑誌、その他Webサイトの文章などは読めますよ。だけどいざ、仕事絡みの資料となるとからっきし頭に入ってこない。そこに書かれている文字列が意味するところがわかるのは仕事が始まって全体像がぼんやり掴めた頃にようやく、って感じなんです。

これ、同じ症状をお持ちの方がいたら仲良くしたいです。

そんなんだから、自分以外の誰か(機械であっても)がタイプした長文を手にしたところで同じようにスッと理解できない。そこから内容を分解して構成し、編集するなんて芸当はとても無理です。

おそらく執筆できるところまで持っていくのにものすごく時間と労力が必要になるでしょう。それぐらいだったら自分で起こした方が断然早いんです。その早さはテープを起こす面倒くささをはるかに凌駕することでしょう。

それに、なんだかんだ文句言いながらも、いい取材の場合はテープ起こしも楽しかったりするんですよね。緊張感の中にもネタのやり取り、質問と回答の駆け引き、相手を困らせつつも引き出した会心のフレーズ。撮れ高に至るまでの過程をリプレイすることはライブ感あるライティングに欠かせなかったりもします。

と、言うわけで

技術の進化、人類の進歩とは全く無関係に、わたしは今日もテープ起こしを続けるのであります。そしてその理由は本当に間抜けな、しょうもない極個人的なものでした。

きっとこの先、しゃべっている側から全てテキスト化される時代になったとしても、わたしは相棒「Okoshiyasu2」を立ち上げることでしょう。

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