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わざわざ行きたい思い出の江古田グルメ

東京には毛細血管のように鉄道網が張り巡らされていることは周知の事実と思います。まだ毛細血管のほうが多いはずですが、そう遠くない未来に抜かれるであろうことは容易に想像できます。

その中においてひときわ黄色いのが、かつて「黄金電車」との異名をとっていた西武鉄道です。

西武鉄道といってもレイバンかけた渡哲也がレミントンM31改を抱えてウロチョロするような物騒さとは無縁。そもそも西部ではなく西武。

埼玉の植民地と呼ばれる池袋と秩父を結ぶ西武池袋線、新宿駅構内に入れてもらえなかった西武新宿と川越を結ぶ西武新宿線、あといくつか細かい路線で構成されています。

(このあたりの描写が雑なのは筆者が鉄ではないためです)

なかでもダントツで愛くるしいのは西武池袋線。椎名町、桜台、練馬、石神井公園、大泉学園…東京都内における各駅の名前からもどことなく品の良さを感じませんか?

一方で西武新宿線の駅名を見てみると沼袋、鷺ノ宮、井荻、東伏見、田無…こころなしか地味?特に田無など「田無市」と書いて「タムシ」と読むのかな、と上京後10年ぐらい思ってました。

なにをかくそう私も25歳から35歳までの10年間を西武池袋沿線で過ごしておりまして、なにかこう、格別の愛情を持って接してしまうのですね。ありていに言えば贔屓しちゃう。

と、いうことで今回は発作的に(ネタがないからではない)大手メディアが取り上げることのついぞない、極私的江古田グルメについて語りたい。語らせてください。

そもそも江古田とは

西武池袋線で池袋から三駅目。それが江古田駅です。駅の読み方は「えこだ」ですが本来は「えごた」が正しい。その証拠に都営地下鉄大江戸線の新江古田駅は「しんえごた」ですし周辺の地名も「えごた」と読みます。

さらに駅があるのは中野区江古田ではなく、練馬区旭丘。なんでこんなややこしいことになっているか、個人的に推理してみました。

おそらく、ですが、JR山手線に対するコンプレックスが当時、西武鉄道を経営していた堤家にはあったと。そしてJR山手線といえば、目黒駅が品川区に存在する、といったトリッキーなネタの宝庫。そこでツッツーは考えた。西武池袋線でも同様のトリックをやってみせようぞ。

そうして生まれたのが本来中野区にある江古田の冠を練馬の駅に掲げよう、という荒業。ついでに「えごた」を「えこだ」とオリジナリティあふれる読み方に変えてしまえという暴挙。

さすが堤家。同族経営の豪腕ぶりを遺憾なく発揮していますね。

…という妄想です。

ちなみに江古田駅の周辺には日大芸術学部や武蔵野音大、武蔵大学があり、学生街っぽい風情が漂います。一方で商店街も充実しており暮らしやすいことからファミリー層も多く生息しています。

江古田駅周辺のランチに最適店

さていよいよ本題。
なぜタイトルに「思い出の」とあるか。それは今日ご紹介するお店にぼくが通っていたのがだいたいいまから25年ぐらい前だからです。

浮き沈みの激しい大都会東京の飲食業界。とっくに閉店していてもおかしくないのですが、ネットで調べた限りではどのお店も健在。いずれも時の洗練を経て令和に続く名店なわけです。

それではさっそくいってみよう。
まず1店目。その名も『まほうつかいのでし』

食べログでは新桜台とされていますが、なんのなんの、江古田駅からも徒歩3分。ここはイタリアンというかスパゲティの美味しいお店です。

特徴はなんといっても個性的なオリジナルメニュー。というかメニュー名。たとえばトマトソースなら「地中海のミラージュ」。ホワイトソースだと「ホワイトクリスマス」「ナウシカ」。和風では「山の精の涙」「くまのプーさん」。その他「ムキムキマン」「ドラキュラ殺し」など名称からはどんな味なのか皆目見当もつきません。

さらにベーシックなスパゲティの種類も豊富で、ベーシックなソースにトッピングの組み合わせでなんと50種類以上。量もスモール(100g)からウルトララージ(240g)まで5段階あります。

ただでさえスパゲティ好きなぼくは当時、相当通いました。その頃はクルマも持っていなかったので千川のアパートからケッタ(チャリのことです)で30分以上かけて訪問していましたね。よく行ったもんだ。

しかしいま、ひとつの疑問が浮かぶ。

あれだけいろいろスパゲティの種類がありながら、なぜか『あんかけ』はなかったなあ…と。

まさかそんな名前の店が!?

2店目は洋食のお店『キッチン・オバサン』です。

なんだよ江古田って変わった名前の店ばっかじゃねえか。と思われる方もいらっしゃるでしょう。そうなんですよ。ぼくも同感です。

さきほどの『まほうつかい…』もこの『オバサン』も、紹介してくれたのは店長を務めていた居酒屋のオーナー板長からでした。彼はもともと日大芸術学部出身。そう、日芸といえば江古田。江古田といえば日芸。

卒業後はエアブラシを使ったスーパーリアリズムのイラストレーターとして頭角をあらわしていたのですが、家庭の都合でやむなくその道を断念。家業である居酒屋のオーナーになったという変わり種でした。

そんなオーナーが教えてくれる江古田の飲食店はどこもひと癖あるお店ばかりで飽きません。ぼくはいつも食レポを報告していたので、彼も喜んであれこれ教えてくれました。

さてこちらの『キッチン・オバサン』。オムライスが旨いよ、との触れ込みで訪問したのですが、なんのなんの、カレーもハンバーグもスパゲティも旨い。グラタンもミックスフライも旨い。めちゃんこ豊富なメニューな上にどれを食べてもハズレ無し。

しかも当時、メニューの一番下に君臨していた『サーロインステーキ定食』はたしか1,500円ぐらい。値段の脇に「きゅうりょうびに!」と書いたシールが貼ってあってめっちゃかわいかった。

ちなみに、働いていた女性の中にはオバサンはみあたらず。でもあれから20年以上経っているから、もしそのまま働いていたとしたらオバサンになっているでしょう。もちろんぼくも立派なオジサンになりました。

ランチパックにあらず

最後に紹介するのは『ランチハウス』。埼京線の十条駅にも存在した洋食の店です。

十条店は20代前半の頃に足繁く通いました。3軒となりの三忠食堂と交互に利用。そして20代後半からふたたび江古田店のお世話に。ぼくはよほどランチハウスと縁があるみたいです。

ここの特徴は全部茶色いところにあります。茶色くない食べ物は白飯のみ。あとはすべてが茶色い!そしてなんといいますか、高級じゃない美味しさがあるんですね。上品ではない。でも決して下品でもない。庶民にちょうどいい塩梅の味付けがくせになる。

こういうのでいいんだよ、と孤独のグルメの主人公ならつぶやくこと間違いなしです。

ほかにも

当時足繁く通った店として『インドのとなり』というココ壱をトーンダウンさせたようなカレーショップがありました。もうないけど。

あと、ランチじゃないけど『お志ど里』という居酒屋も通いましたね。こちらも閉店してしまいました。

でも一店だけ、未踏のお店があるんです。近いうちに必ず閉店するからいっとかなきゃ…と思いつつ20数年経ったのですが、驚くことにいまなお健在!それが『江古田コンパ』です。

パブなんですけどね、当時は勇気がなくてこのお店の暖簾をくぐることができませんでした。いまなら堂々とカウンターに座る自信がある!機会があれば行ってみたいと思います。そしたらまたレポします!

そんじゃーね

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