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求人広告を掲載するタイミング

求人広告を掲載するタイミングとは?

普通に考えて、人を採用したいときに決まってるでしょ。と思いますよね。

ところがアルバイト採用を除くとほとんどが「いますぐ欲しい!」に対応するのはむずかしいと言わざるを得ません。

なぜか?

ほとんどの求人媒体が掲載に至るまでに申込みと掲載枠の発行、そして原稿入稿というステップを用意しているからです。

さらに掲載日が決まっていることが多く、入稿してから掲載まで1日から3日ほどタイムラグがあります。

この時点で物理的に少なく見積もっても5営業日は必要でしょう。

さらに本来あるべき姿としては、媒体側の営業や制作スタッフが取材と撮影を行ない、求人原稿を作成し、人事担当者や経営者に確認作業を行なうという工程が存在します。

ここに中3日を費やすのが最低のクオリティ担保といえるでしょう。

と、なると最終学歴東名自動車学校首席卒業、という華麗なる学歴を誇るぼくでも最低8日間、申込みからは10日ほしいなと計算できます。

ところが、これでは遅い。タイムイズマネー。ネットのスピード感についていけてない。こういうレガシーでまどろっこしい仕組みをITのチカラでなんとかしたい。などなどもっともらしい理由をつけて「もっと早く」「もっと手軽に」という圧力が現場にかかります。

どこから?

それが面白いんですけど媒体の経営者から。そう、自らのボスからおまえらちんたらやってないでサクッと終わらせろ、なんならその工程なしで掲載までもっていけるような発明をしろよ、と言われるのです。

そうしないと競合に負けるから。

中には顧客が望んでいるから、ともっともらしいことを言う人もいますが、本当か?少なくともぼくは過去、クライアントから「そんなにかかるの」とは言われても「もっと早く、明日にでも掲載しろ」と言われたことはありません。

というのもきちんと上記のプロセスを説明すれば、ほとんどの人は理解してくれるからです。なぜ理解してくれるかというと、目的は求人広告を掲載することではなく、必要な人材を採用することにあるからです。

競合に負ける、というのは媒体社の勝手です。自社のアセットの何で差別化を図るのかという問題を掲載までのスピード感に持っていくのはいいんですが、そのために犠牲になっていいのか、採用品質は。

スピード感を出すにしても提供価値と両立させてこそですよね。求人広告の提供価値は一にも二にも無く、採用成功できることです。

ここ10年ぐらいの傾向を見ていると、取材撮影と原稿確認の手間を省くためにクライアントの採用担当が求人原稿を作成する仕様が増えています。最初からそういう仕様の某Wを筆頭に、以前は第三者が制作していた某大手求人メディアなども軒並み最初から企業側が制作するように仕向けてきています。

これにはおそらく経営者は拍手喝采だったことでしょう。金一封が出たかもしれません。なんといってもスピード短縮、経費削減、組織のスリム化、そして原稿品質の善し悪しという属人的なやっかいごとの種をなくすことができるからです。

こうして、どんどん現場の採用担当者は中計から落とし込んだ事業戦略をベースにした人員計画を作らなくなります。だって人がほしい、と思ったらトヨタのようなジャストインタイムで求人広告を出せる。現場から、あるいは経営から「出せ」といわれれば「あいよ」と出せるのです。

以前のように人員計画から逆算していつまでにどのくらいの母集団を形成しておく必要があり、そのためには最低でもいつまでに求人広告を掲載しておかねばならず、よって取材や撮影はいつ、申込みはいつ、とキリキリしながら決めなくてもいいんです。

で、論理的なロンリーウルフであるあなたはここで気づくわけです。まてよと。広告を出すことと採用できることはイコールじゃないよね。

そうです。おっしゃる通りです。

求人広告を使って採用するために必要なことは何か。採用担当者のともすれば一方通行になりがちな企業PRを最速で掲載することではなく、プロのクリエイターによる適切な時間をかけて作られた採用コミュニケーションではないのか。

そこをはずして、ああ便利になった、と喜んでいるのは誰でしょうか。いつでも思った時に広告が出せる、素晴らしいと褒め称えているのは誰なんでしょうか。

それどころか極端な例では申込みもネットでOK!ラクラク即日掲載も可能!どうだこれがネットの力だ、って得意満面な輩も。あのすみません広告審査どうなってるの?掲載基準はあるの?広告表記は労働基準法や職業安定法、独占禁止法などを守ってますか?

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求人広告は、広告を媒体に掲載することには一ミリも価値はありません。採用できなければいかに優れた表現物であってもただのゴミです。一般広告のようなアート性もなければ、ターゲット外の人の心に届く可能性もゼロです。

最近、というよりここ5~6年、求人広告の地盤沈下が叫ばれています。いまや猫も杓子もエージェント頼みです。

ただひとつ、はっきりさせておかなければならないのは求人広告の首を締めているのは紛れもなく媒体社自身である、ということです。

ここに抗えるのはもはや絶滅危惧種にも近い、求人広告制作に携わるクリエイターたちです。求人広告制作者は単に求人広告をクリエイトしているだけでなく、求人広告の未来をもクリエイトしているとぼくは本気で思うのですが、頭がおかしいのでしょうか。おかしいのかもしれませんね。

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