【Lo-Fi音楽部#013】Hold On Me
昭和の匂いがたっぷり残る(実際その頃はまだ昭和だった)駅前商店街のひとつ目の四ツ角に、バイト先のレコードショップはあった。
レコードショップというだけで村上春樹的な世界を思い浮かべる方には申し訳ないが、その店は徹頭徹尾演歌に特化したベタベタの町円盤屋である。町円盤屋などという言葉はおそらくないだろうが、町中華みたいなニュアンスです。
演歌に強い理由は凄まじいばかりの店長の営業力にあった。
なんせ推しの新譜がリリースされるやいなやタクシー運転手のネットワークを駆使し、シングルカセット(!)を大量に捌く。タクシー軍団と銘打たれたソルジャーたちは自分の車で当のカセットを流し、少しでも客が反応しようものならその場で販売するという夢のシステムを構築していたのである。
僕はこの店長から商売のなんたるかを学んだ。
この販売力を頼って来る日も来る日も演歌系のレコード会社から営業マンが馳せ参じる。上手く話がまとまればリリースにあわせて店頭ミニコンサートが開かれるからだ。
演歌歌手にとってまだレコード店回りが重要な営業活動だったこともあり、結構有名な歌手も歌いに来たものだ。
またその店でミニコンサートを経験した新人演歌歌手は必ずヒットする、というジンクスもまことしやかに囁かれて(実際にはタクシー軍団の文字通り地を這うような営業活動の賜物なのだが)新人担当のジャーマネはみんな競うように店長のもとを訪れていた。
僕はその頃、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンをはじめとするインダストリアルやノイズ・ミュージックに傾倒していたのだが、もちろんその店にノイバウテンのレコードが並べられることはなかった。
当時はアナログ盤がCDに取って代わられる転換点だったにも関わらず、その店でもっとも充実していたのは驚くべきことにシングルカセットだった。CDは細長いパッケージのシングルCDがチラホラ。光GENJIやレベッカ、おニャン子クラブのソロ作品といった顔ぶれだった。
僕はこの店で好きなものと売れるものは別であることを学んだ。
ある日、大妻女子に通うおさげの女の子と2人で店番をしていたときのこと。駅徒歩20分で築35年の風呂なしトイレ共同四畳半家賃月2万4000円の部屋でのアーバンな暮らしとはどのようなものかについて僕が力説していたら、ふいに万引き防止システムのブザーが鳴った。
社長(店長の旦那さん)が以前この万引き防止システムがいかに素晴らしいか朗々と語っていたのだが、なんのことはない金属製のシールを商品に貼り付けて、それを剥がさずに店外に出ると「ブー!」と音が鳴るだけの代物であった。
つまりブザーが鳴った時点ではすでに万引き成功しており、何の防止にもなっていないのだ。
僕はダッシュで万引き犯を追いかけ、駅前のパチンコ屋の前で後ろからタックルして捕まえた。ドロップキックだったかもしれない。もしかすると無意識に手にしていた鉄パイプかなんかを投げたような気もする。とにかく37年も前の話だ。
万引き犯は僕と同じぐらいの年恰好の、痩せた小柄な男だった。ヘッドロックしながら店に連行する間も特に抵抗はしなかった。大妻女子が社長に電話を入れてくれていたようで、間もなく到着するとのことだった。
僕はとりあえず店の出入り口に立ちふさがり、犯人が逃げないように見張っていた。彼は黙って正座していた。その間、大妻女子は小刻みに震えていた。
僕はこの店で生まれてはじめて私人逮捕というものを経験した。
その夜、部屋でテレビを見ていると社長から電話がかかってきた。昼間に捕まえた万引き犯が警察で無罪を主張しているという。どうやら故郷からお母さんが上京してきたらしく、さらに東京で暮らしている妹さんまで現れたところで態度を180度翻したそうだ。
それで警察曰く、万引きの現場に出くわした僕から直接話を聞く必要があるので遅い時間に申し訳ないがいまから王子警察署まで出頭願えないか、だってさと社長が他人事のように言う。
時間は9時過ぎだ。別にこれと言ってやることはないので、いいですよ、と電話を切った。
ほどなくして社長がカブで現れた。え?カブでニケツですか?俺荷台に座ったことないすよ。大丈夫、座布団巻いてあるから。まいったな、もう。生まれて初めてオンナ座りで、しかもオッサンが跨ぐバイクの後ろに乗った。
署に着くと「いやあ大変申し訳ないね、ハヤカワくんだっけ?カツ丼でも取ろうか?」などというフレンドリーな対応がされるはずもなく、実に事務的に取り調べが行われた。
そして取調室の壁についている小さな小窓をあけて「あの男が万引き犯に間違いないね」と念を押された。窓の向こうには万引き犯がコクヨの事務机の前にうなだれて座っていた。なんだかかわいそうな気がしたが、事実は事実なので「間違いありません」と答えた。
その後、何枚かの調書に親指で捺印して、おしまい。最後に犯人やその家族に何か言うことがあるか、と言われたが特に何もないのでありません、と答えた。
帰りはパトカーでアパートまで送ってくれることになった。パトカーに乗るのは高校時代にバイクの飲酒運転で捕まったときと、その半年後にスピード違反で捕まったとき以来だった。以前と違うのは今回はタクシー代わりに使えたことだ。
僕はこの店のおかげで東京でもパトカーに乗ることができた。
その頃に流行っていたJ-POP(そんな言葉はまだなかった)がこちら!
小比類巻かほるの『Hold On Me』である。
なぜこの曲を覚えているかというと店に置いてあった数少ない演歌ではない商品だったのと、ドラマ『結婚物語』の主題歌だったから。
カネもコネもなにもない当時の僕はバブルとは全く無関係。土曜の夜はダウンタウンに繰り出すこともなくアパートでテレビを観るのが唯一の娯楽であった。
『結婚物語』は当時、俳優として頭角をあらわしつつあった陣内孝則とアイドル的人気を誇っていた沢口靖子の共演ということで日テレも力を入れていたドラマである。僕も毎週欠かさず見ていた、ような気がする、が内容はひとつも覚えていない。
記憶に残っているのはおそらく世田谷区であろう小田急線の駅のまわりの風景があまりにも自分が住んでいた東京都北区にある京浜東北線の駅の風景と異なることと、この主題歌『Hold On Me』だけである。
ちなみに『Hold On Me』だがアレンジはその少し前に『すみれSeptemberLove』で一世を風靡した一風堂の土屋昌巳だ。あのなんとも高揚感あふれるイントロのギターカッティングは土屋さんの手によるものだろう、と勝手に推察している。
そしてもうひとつ。30年ぐらい経ってから、つまり数年前にあらためて『Hold On Me』を聴く機会があったのだが、なんとなく違和感を覚えた。
「あれ?なんかテンポ遅くない?」
こんなにおっとりしたグルーヴだっけ、この曲。と思ったのだった。その謎はすぐに解ける(インターネットは多くの謎をいとも簡単に解いてくれます)。
僕はこれを読んだとき、おお、俺の感覚もまんざら捨てたもんじゃないなとほくそ笑むと同時になぜリリース当初はマスターの回転を早くしていたのかが気になった。
そしてKohhyはなぜ後年になってからピッチを修正したのだろうか。どんな事情があるかはわからないが、しかし僕はリリース当初のややアップテンポのバージョンが好きだ。
ちなみにアップしている動画はピッチ修正前のバージョンです。最近の妖艶な小比類巻さんも魅力的ですが、若いKohhyもパワフルでいいですね。
みなさんはどちらがお好みですか?お時間があるときにでもぜひ『Original Version』と聴き比べてみてください。
その後、万引き犯がどうなったかは知らない。レコードショップには半年ほど勤めていたのだが、友人に誘われてはじめたテレビ局のアルバイトのほうが時給もよく、華やかで楽しかったのでそちらに移ってしまった。
演歌全振りのレコードショップはその後も英華を極めており、さまざまな街番組(アド街とかですね)でよく取り上げられている。店長も社長もおそらくいいご年齢だろうと思うが、お元気でいてくださることを祈るばかりだ。
僕はこの店ではじめて、東京で働くとはどういうことか知った。
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