生まれ変わったらなりたいもの
かつて松田聖子が郷ひろみに対して「生まれ変わったら一緒になろうね」という大層気の長い約束をした事実を覚えていらっしゃいますか。
あれは1985年の出来事で、今から実に37年も前の話になります。
当時ぼくは17歳。勉強はせず、かといってスポーツに打ち込むでもなく、ぼんやりと煙草を吸いながら無為な時間を浪費していました。
つまり暇だったわけです。
暇だったので、うーむ生まれ変わったら、かぁ…などと稀代の女性歌手であり嘘泣きニストの発言をトレースしていました。
「生まれ変わったら何になりたいですか?」
この問いかけはとてもファンタジーな要素が含まれているように思います。夢があるね。
ある人は、鳥になりたい、鳥になって空高く飛びたい。そして追憶の彼方に去っていったあの人の街に…などと頬を紅潮させるでしょう。
またある人はシロナガスクジラになって、七つの海を思うがまま泳いでみたい。そして最期はむかし愛した女性が暮らす石垣島の港で静かに彼女とその一家を見守りつつ天寿を全うしたい…と遠い目で語るかもしれません。
はたまた天才作曲家として歴史に名を残すような偉業を成し遂げたい、齋藤飛鳥ばりの小顔とスタイルを手に入れてアイドルデビューしたい、といった小学生が書く七夕の短冊の如し願望を口にする人がいてもおかしくないわけです。
さて、あなたは生まれ変わったら何になりたいですか?
おわり
ません
話はダラダラ続きます。
え?ぼくですか?
ぼくは生まれ変わったらなりたいもの、ありましたよ。STAP細胞並みにありました。
ただし前述のようなファンタジーなものではござらぬ。夢も希望もありません。ついでにミもフタもない。
あれは24歳の頃。よせばいいのに六本木の制作プロダクションというには規模が小さすぎる、コピーブティックに勤めていました。よせばいいのに、というのは敏いとうとハッピー&ブルーの歌ではなく、己の能力のなさを指しています。
いま気づいたのですが『敏いとうとハッピー&ブルー』って英語にすると『Toshi Ito & Happy & Blue』。どんだけ&なんでしょうか。くどさの面では『The Presidents of the United States of America』とタメ張れますね。
おそらく当時の広告業界で最も能力が低いコピーライターだったぼくは何を書いてもダメ出ししかされず、ボスのOKが出ないことには家に帰れませんでした。
ゆえに一度出社すると二週間ほど泊まり込みになる、という日常。異常も、日々続くと、正常になる。これは『戦場のメリークリスマス』のサントラ発売広告のキャッチフレーズですが、まさに異常が日々続いて正常になっていたわけです。
「帰りたい」その時のぼくが考えることはこの一点でした。そんなメンタルでは単純作業でもしんどいのに、広告の文案を考えるなんてとても不可能です。でも何か書かなきゃいけない。書いてボスのOKをもらわないといけない。OKをもらわないと帰れない。
ぼくは全ての仕事で、ターゲットのことも商品のこともクライアントのこともマーケットのことも社会のことも一切考えず、ただひたすらボスからOKをもらう一点のみに集中していました。
よく「目的と手段を間違えるな」と言われますが、この状況下のぼくは目的ごと間違っていましたね。そんなんでコピーが上手くなるわけない。
それでもたまに、特に締切を3日ほど過ぎた時など、ふいに家に帰れたりしました。もういい俺が書く、とボスがペンを走らせるんですね。
やった、やっと帰れる…ボロボロになりながら六本木駅まで重い体を引き摺って、十条のアパートまで帰るわけです。溜まっている郵便物を捌いていると、ふと、次はいつ帰れるのだろうか、という底知れぬ恐怖が襲いかかってきます。
でも久しぶりに自分の布団に横たわると実に心地よくて、秒で意識を無くします。
翌朝。
めちゃくちゃ嫌な気分で十条駅に向かいます。ファッキンな心構えで埼京線に捩じ込まれます。ぎゅうぎゅう詰めの車内ではドアの窓部分に顔が押しつけられます。
ゆるゆると池袋のホームに入る埼京線。たいがい1分か2分は停車しています。その時ぼくの視線の先にあるもの。それは線路に沿って立っている看板。「よしだ時計店」とか「要町クリニック」とかです。
それを眺めながら思いました。
生まれ変わったら駅の看板になりたい。
いいな、駅の看板。朝始発から仕事が始まって、絶対に終電で終わるもんな。確実に終わる仕事って羨ましい。あと何も考えなくていいんだもん。怒られることもないし、締切もない。考えなくていい仕事って最高じゃん。わ、ますます看板になりてぇ。
と、いうわけでぼくが生まれ変わったらなりたいものは、駅の看板なのでした。
え?
いまもか?
いやあ、いまはさすがに。生まれ変わったら、というか、何にも生まれ変わりたくないです。終わりがきたらおしまいでいいじゃん。
だけど、時々は妄想するのも面白いですよね。生まれ変わったら何になりたいか。単なる現実逃避かもしれませんが、現実の頭皮がヤバい今日この頃ですから、それぐらいいいじゃありませんか。
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