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あなたはゴミ箱で殴られたことがあるか

ぼくはあります。STAP細胞よりもあります。というヨタ話です。

ぼくの20代前半はそれはそれはイケてない駆け出しコピーライターだったのですが、とくにひどかったのは22歳から25歳までの3年間でした。

なにがひどいって、まったく能力に不釣り合いな事務所に籍をおいていたからです。

ハタチで求人広告の代理店からコピーライターとしてのキャリアをスタートしたぼくは、おおいなる勘違いをしたまま、周囲の優しさに甘えてすくすくと育っていました。根拠のない自信、おれはできるという万能感。調子にのっていたんですね。天狗になっていたともおもいます。

そんなとき、ふとしたきっかけで、六本木のマンションに仕事場を構えるコピーブティックに入社することになります。そこは社長と秘書兼経理の女性と先輩の3人だけというマイクロプロダクション。そこに2人目の若手コピーライターとしてぼくが引き抜かれたわけです(このへんのいきさつはまた別の機会に書きたいと思います)。

■ ■ ■

あれは入社して半月ほど経った冬。あるマンションの広告の制作に参加することになりました。トータルのディレクションは社長。外部のデザイナーと代理店の方をまじえて事務所で打ち合わせ。

ぼくは、憧れていた本物の広告(といってもSPかつ不動産なのですが)の制作現場に身を置いているだけでテンションマックスで、頬を紅潮させながらみなさんの話にうなづいていました。

打ち合わせが終わったのが夜の10時半。社長はデザイナーさん、代理店さんと爽やかに六本木の夜の街に消えていくのですが、出がけに「早川ァ、とりあえず明日の朝までにキャッチ100本書いとけ」と。

「朝って何時ですか?」
「バカヤロウお前それは俺が出社するまでだよ」
「あ、はい」

で、さっき打ち合わせのときに社長が口走ったコンセプトのようなものを頼りにどうにかこうにか書きはじめるんですが弱冠23歳、年収にして132万円(11万×12ヶ月)という下級国民に何千万とか何億っていうマンションを買う人のことなんかわかるわけないじゃないですか。

だいたい人生におけるイベントの経験値がほぼゼロです。想像できることといえば名古屋から上京してきた人間の気持ち、ぐらい。半径3メートルにもおよびません。ゆえに何を書いたらいいのかさっぱりわからない。

それでも言葉を前後入れ替えたり、漢字をひらがなに変えたり、どっかで見たことのあるキャッチをマネるなど、当時持てるテクを駆使して迎えた午前4時。どうにか80本ほどの「一行」が集まりました。数えてみると86本。

「もーむり。もーいいや」といいながら机に突っ伏した次の瞬間、出社してきた先輩コピーライターに叩き起こされました。

「てるちゃん、おい、てるお!」
「ふわぁい、あ、おはようございまふ」
「書けたのか、キャッチ100本」
「あ、いや、まあでもたぶん大丈夫です」
「なんだよてるお、もうすぐ社長くるぞ!」

その事務所では社長が出社するときは事前にジノリのカップを温め、コーヒーを淹れ、スリッパを揃えて正座で玄関でお出迎えをする、というしきたりでした。

そして当時のぼくは丁稚というか足軽というか、そういう存在をいかにも体現していそうなキャラとして「てるお」というあだ名で呼ばれていました。

そうこうするうちに社長のお出ましです。「グッモーニン!」「おはようございます」頭を床にこすりつけんばかりに深々と下げるわたしたち。この「大嘗宮の儀」ばりのセレモニーのあと、ソファで朝のミーティングです。事件はこのあと起きました。

「早川ァ、キャッチ書けてるか」
「あ、はい」
「よおし、チェックしてやるからもってこい」
「あ、はい」

最初、社長はぼくの書いた原稿用紙を10秒ぐらい見つめては次、という動きでした。ところがある程度まで枚数が進むとそのスピードが1枚1秒ぐらいに加速していったのです。ほぼ読んでない。ちなみにその事務所ではキャッチコピーは事務所オリジナルの原稿用紙一枚に一本書くという決まりでした。

そうして全ての原稿用紙を見終えた社長は「ふぅーっ」と深いため息。目を閉じてしまいます。

あれ?ダメだったかな?うーん、これが厳しい師弟関係というヤツか。ウン、俺、いま立派に修行中!これでいいのだ。脳内では「弟子」「修業」といった憧れワード満載でした。ちなみに社長は座ってます。ぼくは横でぼうっと突っ立っていました。

「早川ァ」
「はい」
「俺さ、何本書けっていった?」
「あ、ひゃ、ひゃっぽ」
「あぁ?」
「ひゃっぽん…」
「何本つったんだっけか!?(恫喝調)」
「100本です!」
「おう、そうだな。100本だな」
「はい」
「これは?」
「え?」
「これは何本?」
「は、はちじゅう…」
「あぁん!?(恫喝調)」
「はち、はち」
「なんぼんだっ!(もはや完全に恫喝)」

社長はぼくの耳たぶを引っ張りながら大声で何本なんだよバカヤロウ!と叫びます。「すっすみませんっ!86本です!はちじゅうろっぽん!!!」と答えると「そうか、そうだよな、86本しかないよな」と「しかない」にアクセントをつけて言い放ちます。

そして奥にいる秘書兼経理の女性を呼びつけます。「おーい、タザキ(仮名)ゴミ箱持ってきてくれ

ぼくは心からぐったりしました。同時にこれが厳しいプロの世界なんだ、と、どこか嬉しい気持ちでもありました。このときまでは。

「てるちゃん、この事務所に入れば少なくとも二流のケツには付けるから」それがぼくを誘ってくれた先輩の言葉。なるほどそうだよなあ。ボスから命じられた本数いってなかったら、そのコピーはすべてボツ。ゴミ箱に捨てられちゃうんだ…。

ぼくの視界がハッキリしているのはそのあたりまで。当時、どこの家庭や事務所でも見られたタバコのパッケージ(LARKとかの)の円筒形スチールゴミ箱が社長のもとに届くと、社長はぼくのコピーをガサッと捨てるのではなく、いきなり両手でつかんでぼくの側頭部を殴りかかったのです。

ガーン!鈍い音と激しい痛み。ぼくはそのまま横にふっとんで倒れました。

しかし社長のゴミ箱アタックは容赦なく続きます。「いいかこのクソガキ、俺が100本って言ったら100本なんだよ!何だ86本て!ざけてんじゃねえぞ!あ?わかったか?コラ!てめえなんかギョーカイにいられねえようにしてやれんだからな!オイ!わかってんのかこのゴミムシ!」

あれから28年経ってますがまだ一言一句正確に覚えているので相当まいったんだと思います。それからぼくは「昼までに100本だ!」という言いつけのもと、マジで泣きながら原稿用紙に向かったのでありました。

いまならまあふつうにブラックだー、パワハラだー、と糾弾される類の出来事ですが、当時はまだまだのんびりとしてましたね、業界も世間も。あとまあ、この手の行為はこの事務所では日常茶飯事ということがそれからの日々でわかったので、途中からマヒりました。

ここで昭和の名コピーを。
「異常も、日々続くと、正常になる。」戦場のメリークリスマス/仲畑貴志

■ ■ ■

結局この事務所にはこのあと3年間在籍して最終的には夜逃げすることになります。六本木から青山一丁目に移転して、潰えてしまいました。続編もどうぞご期待ください(?)。

(つづく、のか?)

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