34回目の仕事始め
先月の話で恐縮ですが、ついうっかり今年も仕事始めを迎えてしまいました。あ、迎えてしまった、とは仕事に失礼ですね。無事に迎えることができたと言い換えましょう。
そして迎えるにあたって、はて、わたしは今年で何回目の仕事始めを迎えることになるのかな、という疑問が湧きました。
わたしはいま55歳で、今年56歳になります。昭和64年であり平成元年の4月1日から働いているので、人生初の仕事始めは平成2年ですね。平成2年は西暦にすると1990年。もはやそんな時代があったとはにわかに信じがたいのですが90年代のはじまりでもありました。
2024-1990=34。算数は常にアヒルだったわたしでも計算できます。今年で34回目になります。
そういえば生まれてはじめての仕事始めってどんなんだったっけ?
感性がまだヴィヴィットな頃の記憶は鮮やかに残っていました。ディティールの細かいところまで思い出せたので、ここに記しておくことにします。
と、その前に。
1990年とはどういう年だったか。自分の興味ある範囲に限られますが振り返ってみましょう。同年輩の方には懐かしく、お若い方には新鮮に映るかもしれません。
【国内】
総理大臣は海部さんでした。水玉模様のネクタイがよくお似合いでしたね。流行語は「ファジィ」。あったあった、ありました。そういえばちびまる子ちゃんのアニメ放送がはじまったのもこの年です。
2月にはローリングストーンズが東京ドームにやって来ました。わたし、仕事をサボってドーム公演に行きまして。翌日、部長に大目玉を喰らいました。パンフにデカデカと入っていたポカリスエットステビアの広告を覚えています。
クルマは日産プリメーラが良かったですね。「プリメーラ・パッケージ。」というキャッチコピーもクールでイケてます。F1も熱かった。鈴木亜久里が日本人初の3位入賞でした。
皇族関係だと礼宮さまと紀子さまのご成婚で盛り上がりました。紀子さまのおとうさまのモノマネを南伸坊がやっていて爆笑したのを覚えています。
ヒット曲は米米CLUBの『浪漫飛行』、サザンの『真夏の果実』、たま『さよなら人類』、B'z『太陽のKomachi Angel』、KAN『愛は勝つ』、岡村ちゃんの『カルアミルク』もこの年の作品でした。
そのほか、スーファミ発売とか雲仙普賢岳の噴火、サンリオピューロランドの開園などいろいろありました。なんとなく賑やかで勢いのあった年だったように思います。
【海外】
あんまり覚えていない、というか海外のことはどこか別世界(そりゃそうなんだけど)の出来事のようで。
モスクワにマクドナルドができたよ、とか、日系のフジモリ大統領誕生、とかぐらい。音楽関係ならまだ少しわかっていてMCハマーの「倦怠期です」やジャネット・ジャクソンの「Escapade」(「ただいまJALで移動中」のCMでおなじみ)、レイ・チャールズがいとしのエリーをカバーしていたのもこの年でした。
洋楽邦楽問わずいま以上に音楽と広告が蜜月でしたね。ヒット曲とコマーシャルがリンクする最後の年ではなかったか。そう思います。
さて、37年前の仕事始めは?
わたしは人生初の仕事始めを目黒にある求人広告代理店で迎えることになりました。その会社は150人に届くかどうか、という人数規模で当時のリクルート代理店の中では大きい方だったと思います。
仕事始めの全社朝礼があるということは冬季休暇に入る前から聞かされていたので、いつもより30分ほど早く出社。するとふだんは私服で働いているコピーライターやデザイナーの先輩たちがみんな揃ってスーツで出勤するではありませんか。
「新年一発目ぐらいはよ、俺らもやるところを見せねえとよ」
なにをやるのかはさっぱりわかりませんでしたが、スーツ姿でズラッと並ぶコピーライターやデザイナーの先輩方を見て、おお、かっちょいいな、俺も早くあっち側にいかなきゃと思ったものです。
朝礼の会場となった雑居ビル2階にゾロゾロと社員が集まってきます。みな頬を上気させつつ、あちこちで「あけおめ」「ことよろ」と挨拶がかわされていました。そこへ、うやうやしく会長が登場。
その会社は兄弟で経営していて、兄貴が会長で弟が社長、という布陣でした。わたしが入社したときは兄が社長で弟が副社長だったのですが、どういうやり取りがあったか知りませんがそれぞれ一コマずつ上に登りました。
「えー、みなさんあけましておめでとうございます。みなさんの中にもご存知の方がいるかもしれませんが…」
とここまで一気にまくしたてたのち、深呼吸しながら周囲をぐるりとにらみつけると、ひと言。
「いよいよバブルが弾けます」
バブル、の三文字に力強くアクセントが付いていました。なんとも芝居がかった言い方ではありましたが迫力は満点です。
当時、バブルの意味がわかっていなかった(そしてその恩恵も受けていなかった)わたしにとってはイミフなコメントでしたが、部課長以上の社員はみな一様に「ゴクリ…」と唾を呑み込みます。
その後も景気が悪くなる、銀行が貸し渋る、倒産は増える一方で自殺者も出るかもしれない、と暗い話は続きます。会長は恰幅のよい相撲取りのような風体で、実際に九重部屋とのつながりもありました。ドスの効いたバリトンで先行き不安な話をされるとこれはタダゴトジャナイ、という気になってくるから不思議です。
しかし最後には「われわれの存在意義は今後、ますます明確に、そして大きなものになるでしょう。みなさん、ひとつふんどしを締め直して血眼になって勝ち残ろうではありませんか!」
何に勝とうとしているのか、そしてみんなそのスーツの下にはふんどしを巻いているのか、など社会人一年生のわたしにとってはチンプンカンプンなまま、会長の話が終了となりました。
そして会場に割れんばかりの拍手が響き渡り、あちこちで「よっ!」「よよッ!」という意味がわからない合いの手が繰り広げられ、仕事始めはおひらきに。各部門にわかれて朝礼を行ってください、という司会のアナウンスを受けて制作以外の全員が「営業ッ!」と雄叫びをあげ業務開始となりました。
いま思い出しても営業会社そのものですね。よく報道番組などで豊田商事や某N証券の営業マンが深夜まで電話営業したり、ノルマに追われた挙げ句上司に詰められるシーンを目にすることがありますが、34年ぐらい前の中小零細企業はだいたいあんな感じでした。デスクでタバコ吸えたし。壁が一様に茶色だったし。
一方でわたくし史上34回目となる今年の仕事始めはどうだったか。
社員が一同に会するのはGoogleMeetの中。全員揃ってるどころか顔見せてる連中も起きてんだか寝てんだか、って感じです。営業なのにセーターやパーカーといったカジュアルなファッションをチョイスする輩もいます。
代表が話す内容としては「目標は書き出すことで達成に近づく」という実にヘルシーなテーマです。達成しやすい書き方についても具体的にレクチャーしてくれました。なんてやさしいのでしょう。
事業内容こそ異なりますが規模的には34年前の会社と変わらないので、ずいぶん世の中も企業のあり方も経営のスタイルもスマートになったものだなあ、とひとり感慨にふけっていました。
え?
どっちがいいか?
それは圧倒的にいまのほうがいいでしょう。なんたってヤニ臭くないもん。
ただ今年の仕事始めの儀を34年後に覚えているかというと、まるで思い出せないはず。その一方で34年前の仕事始めのあのシーンは、34年後もたぶん覚えていることでしょう。生きていれば、ですけど。
さて、みなさんにとって今年の仕事始めは何回目でしたか?
あなたにとって記憶に残る仕事始めはありますか?
あるならぜひ、noteに書いてみませんか?
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