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麻布十番『大越』とわたし

東京の地下鉄の駅構内というのは、ほぼ迷路であると断言していいんじゃないですか?一度や二度行ったぐらいでは覚えられないし、出口を間違えると何ここ別の街?みたいなことも。

東京の感染者が再び100名を超えたいま問いたい。
都営大江戸線『麻布十番』駅をご存知ですか。

大江戸線というのはかつて“ゆめもぐら”というポエジーなニックネームをつけられたこともあるぐらい、地底深くに線路が敷かれているんですよね。そのせいか他線と比べて駅構内はよりいっそう迷路感マシマシです。

映画「シャインニング」に出てくるオーバールックホテルの庭の迷路かってぐらい。途中にジャック・ニコルソンが凍死しててもおかしくないレベル。とにかくホームから改札まで縦横斜めに歩かされて、さらに出口までの経路もややこしいです。

ぼくは、そんな大江戸線の麻布十番駅の6番出口までのルートを体で覚えています。もう少し正確に言うと舌が覚えている、食欲が覚えている。太陽が燃えている。イエモンのファンではありませんが、そう言い換えてもいいぐらいです。

なぜか。
麻布十番6番出口を出て3分。
坂の中腹に洋食『大越』があるからです。

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洋食『大越』…その存在を最初に知ったのは雑誌“dancyu”です。たしか東京の味、みたいな特集で小山薫堂さんが紹介していたと記憶しています。そこにはなんてことのない煮込んだハンバーグと塩で味付けした白い太めのスパゲティがドーン、と掲載されていました。

小山薫堂さんの舌を盲目的に信じているぼくは、いてもたってもいられず、翌週に浜松町であったアポを終えたその足で、麻布十番に向かいました。そしてぼくの大好物である“ポークソテー”の文字をメニューに見つけることになるのです。

記事には「スパゲティはお願いすればケチャップ味にできる」と書いてありますが、バンプオブチキンならぬキングオブチキンのぼくはそんなことをオーダーできる度胸を持ち合わせていません。黙っていたってノーマルなヤツを謙虚さ120%の笑顔で注文します。

すると「ポークワンッ!」というものすごく甲高い声でお母さんがオーダーを通します。あまりにも甲高いのでビクッとなりました。dancyu編集部はそういうところをきちんと書いておかないといけないよ。

ほどなくして出てきた“ポークソテー”は、やはりなんてことのない豚ロースをソテーしたものが、なんてことのない塩味のスパゲティの上に乗っているものでした。一口、ふた口と箸を進めるのですが、特に感動するようなものでもなく。本当に普通。

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ごちそうさまでした、とお会計して席を立ち、ややこしい麻布十番の駅に戻り、渋谷のオフィスに帰ります。道中(まあ、特にこれは!という味じゃなかったな。こんなもんなのかな。東京のどまんなかの味ってのはな)みたいなわかったようなことを脳内反芻していました。

ところが、それから三日後。

また浜松町で打ち合わせがあったのですが、その帰りの大江戸線でぼくに異変が起こるのです。浜松町から青山一丁目まで行き、そこで銀座線なり半蔵門線なりに乗り換えるのが帰社ルートなのですが、なぜか体が勝手に麻布十番で降りてしまうのです。

そして足は勝手に、そう、本当に勝手に大越に向かっていくのです。あれだけ複雑でややこしくて(同じ意味ですね)覚えることすら放棄していた出口までのルートを、ひとつも迷うことなく。まるで炭鉱のカナリアに導かれるかのように、ごく自然に6番出口を抜けました。

気づけば、三日前に気になっていた“ハム焼き飯”を謙虚なフェイスで注文。「ハムヤキメシワンッ!」快活で甲高いおかあさんのオーダーはその日も絶好調です。カウンターに流れるように到着したハムヤキメシは、それはそれは普通の味です。どっちかっていうとちょっと物足りないかんじ。どまんなかの、どがつくほどノーマルな味でした。

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しかし、これらポークソテー、スパゲティ、ハム焼き飯はなぜかぼくの心をとらえ、胃袋をつかんで離さないのです。あれから5年。ぼくは自分の仕事に良いことがあると、あるいは大きな仕事を終えると、または自分で自分を褒めてあげたいとき、必ず『大越』に行きます。

あと、後輩ができて、そいつが金に困ったり碌でもないものばかり(たとえば5日連続UFOとか。UFO自体は素晴らしい食べ物ですが5日連続は碌でもない)食べているようなとき、連れて行ってごちそうしたりもします。

特別な味じゃないのに、特別な店。麻布十番『大越』がそういう存在になったとき、ぼくはようやく東京人として暮らすことを認めてもらえたような気がしました。

今日もごちそうさまでした。

BGMはPUNPEEで『Happy Meal』でした。

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