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吾輩は飽き性である

子供の頃から何をやっても長続きしない性格で損ばかりしている。

熱しやすく冷めやすいという言葉はまさに自分のためにあるようなものだ。かぶれやすい体質なのだろう。何かに影響されていちどきに熱中し、ささいな挫折ですぐ醒める。結果として何一つものにすることなく、52回目の夏を迎えようとしています。

そこで今回はわたしの長続きしなかった趣味をご紹介させていただきます。これを読んだ「何者かになりたい」という強迫観念に圧し潰されそうな若者が、自身の性格を振り返るきっかけになれば幸いである。

どんなに「何者かになりたい」と念仏のように唱えても、飽きっぽい性格だと何者にもなれないんですよ。びっくりですよね。

自転車で日本一周の旅

小学生の頃、サイクリング車に憧れまして。しかも速いヤツじゃなくて、ごついヤツ。そう、キャンピング車。わかります?

タイヤも太くて、キャリーバックが前後輪の両側についていて、水筒や空気入れがフレームに装備されているタイプ。ブリヂストンの『ダイヤモンド』とか『アトランティス』っていうモデルね。

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こういうヤツに乗って日本一周しよう、と。発作的に思い立ったんですね。

そして幼い頃から顔なじみの街の自転車屋さんに入り浸るわけです。自転車屋さんとしては見込みのある購買予備軍ですからそれはもう手厚くもてなすわけ。ポスターはくれるわキーホルダーはくれるわ。非売品攻撃です。

小学生であるわたしは店主に日本一周の夢を語ります。店主はうんうんそうかそうか、と目を細めながら聞いてくれます。

そんなある日、店主はわたしを基礎体力づくりにピッタリだよと日曜走行会に誘います。そのお店では常連のサイクラーたちと定期的に山や海へとツーリングする走行会イベントを開いていたのでした。

わたしがやりたいのは自転車での日本一周ですから体力づくりの走行会なんか行きたくありません。「今度ね」「また今度」と気のない男をかわすギャルの如く回答をうやむやにしているうちに、なんとキャンピング車の値段が10万円以上もすることがわかりました。いち地方都市の小学生にとって当時の10万円は3億円と等価なわけです。

秒で『自転車での日本一周の旅』への熱が冷めていきました。

ボクサーへの道

教科書の代わりに漫画を熟読していたわたしは衝撃的なボクシング漫画と出会います。それが車田正美先生の出世作、リングにかけろです。

もう俺はボクサーになるしかない。そう決意したわたしは『ボクシング入門』という実用書を手に入れます。そしてはじまるわけです、修業と鍛錬の日々が。

まずは漫画の通り河原をランニングです。都合のいいことに自宅の前を新堀川という運河が流れていました。わたしは冬の早朝5時に起きてトレパン姿で出かけます。そして10分ほどで寒さに震えながら帰ってきました。

家ではシャドーボクシングです。左を制するものは世界を制す。わたしはひたすら左ジャブを練習しました。その上達ぶりは家族で行った寿司屋の大将に「おお、パンチが見えない。速い!」といわしめるほど。

大将は「坊っちゃんがチャンピオンになったときに価値がでるからいまのうちにサインもらっておこうかな」などとおべんちゃらを言います。まんざらでもありません。帰り道、母親が「あそこ、口ぐらい寿司も旨かったらよかったのにね」とつぶやきました。

ある日わたしは漫画の主人公を強烈なハードパンチャーへと育てた必殺のひみつ兵器『パワーリスト』の存在を知ります。さあ、こうなるともういてもたってもいられません。さっそく『パワーリスト』を手に入れようと模索します。

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これこれ、これっちゃ!パワーリストで世界を目指すっちゃ!

幸い少年ジャンプの表3や表4にはくだんのパワーリストやシーモンキー、集中力が高まるミラクルミーといったいかがわしい商品を売っている通販会社の広告がこれでもか、といわんばかりに載っています。

さっそくパワーリストを見つけたわたしはなけなしの小遣いを切手に変えて『ポニー』という会社に注文を出しました。それから約2週間後、なんとなくパワーリストのことを忘れかけていたわたしのもとに小包が届きます。

「あっ!もしかしてパワーリスト!?」

わたしはそういえばここ1週間は走ってもいないしシャドーもやってない、ロープスキッピングも3日でやらなくなったな、と気づきました。そして、そうだ、なぜやらなくなったかというと、パワーリストが届いてから再開しようと思っていたからだ、と脳内でナイスなエクスキューズをストーリーに仕立てました。ポジティブポジティブ〜♪

はやるきもちをおさえつつ、包みを開けます。するとなかから出てきたものは…たしかにパワーリストなのですが、ひょろっとした小学生の腕にはとうていサイズがあわないシロモノでした。

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これですからね。これ異様にデカイんです。世界狙えません。

上の漫画をご覧いただければおわかりかとおもいますが、パワーリストって手首に装着するものです。しかし、いまわたしの目の前にあるこれは、あきらかに大きすぎる…どう装着しても二の腕までまるっとカバーされます。しかもパンチを放とうものなら肩までズレあがってくる。それを3回も繰り返すとマジックテープがベリっと剥がれる。漫画と違って全然カッコ悪い。

一瞬で『ボクシングで世界チャンピオン』への熱が冷めていきました。

アイドルシンガーM.Kの親衛隊

わたしの地元である熱田神宮の向かいに住んでいたQ先輩は地元でも有名な不良。向かうところ敵なしでした。喧嘩になると相手が気絶するまで殴り続けるので『意識不明のQ』というどっちが被害者かわからないあだ名がつけられるほど。しかしなぜかわたしはかわいがられていました。

わたしは縁あってQ先輩と同じ高校に進学します。おかげで高校生活はバラ色だったのですが反面Q先輩の言うことには一切逆らえません。毎朝校舎裏でタバコにお付き合いしたり、隣の商業高校に乗り込んだことも懐かしい思い出です。

ある日、Q先輩はあるアイドルのコンサートにわたしを誘います。ご本人の名誉のためにM.Kとイニシャルで表記します。タクシー会社みたいですがご了承ください。画像のアップも控えます。

もちろんわたしはM.Kなんて興味なかったのですが(アイドルとしてはやや薹が立っていた)ふたつ返事で承知します。その日からQ先輩による英才教育がはじまりました。

「●●ラ」「●分を●えて」「●ッバイ●マー」等、彼女の曲を毎日Q先輩の部屋で大音量で聞かされる日々。タバコの煙にむせかえりながら、またあるときはアンパンでラリった髪の毛の赤い女子のスカートがまくれあがっている姿を眺めながら、ドキがムネムネしつつM.Kのアルバムをひたすら繰り返し聞きます。

そうするうちになんとなく、M.Kのことが好きになってくるじゃありませんか。これがというものでしょうか(いまおもえば洗脳です)。しまいには「Mめっちゃかわいいですよね!」「ぼくMの親衛隊に入りたいです!」などとQ先輩が泣いて喜ぶ台詞を口にするようになります。

そしてコンサート当日。

愛知厚生年金会館に詰めかけた観客は、多めに見積もっても100人ぐらい。なにせ1階席が埋まりません。もちろんQ先輩とわたしは最前列です。そうこうするうちに開演。M.Kは文字通りわたしたちの目の前で18曲ほどを熱唱し、アンコールのバラードでは涙を見せました

ちょうどリリースされたばかりのニューアルバムでこれまでのアイドル路線からシティポップス、ニューミュージック路線へと大幅にシフトチェンジしたことが集客減を招いたのかもしれません。しかしその頃のわたしたちにそんなことを考える頭脳を持っていません。

Q先輩は「なあ、M泣いてたな。あれ、俺たちの応援に感動して泣いてたんだと思うぞ」といいました。わたしは、あまりにも観客が少なくて泣いたんじゃないかなとおもいました。ただおもっただけで口にはしません。

そのときです、M.Kの親衛隊に入る熱が急速に冷めていったのは。

■ ■ ■

ほかにも数え切れないほどエピソードがあるのですがこのへんで。熱しやすく冷めやすい性格というのは何かひとつのことをやり切ることができない。守破離の守もできないという、致命的な性質だなあとこの歳になって反省というか後悔。

だから逆にスポーツにしても、芸術にしても、音楽にしても、文学にしても、何かひとつの道をしっかりとやり切ったことのある人を無条件で尊敬します。憧れます。そういう人が「何者か」になれているんでしょうきっと。

もしこれを読んだ方の中で「何者かになりたい」と切望しているヤングがいたとしたら、いま目の前にあることをとりあえず一流になるまでやり続けるのがいいんじゃないかなあ、とおもいます。

そのためにも、ちょっとしたこと、たとえば自転車が10万円だとか、パワーリストがかっこ悪いとか、コンサートの客の入りがよくないといったささいなことでその道をあきらめないことが大事なんじゃないでしょうか。

あれ?なんかマジメな話になってません?くだらない話をしていたはずが、ズビバゼン。

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