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天、川、歌(3)

 第3話 出生

 父親のことを聞いたとき、母は「ジュリーよ」と答えたことがある。無論、誰にでもわかる冗談である。母は父のことを詳しくは語らなかった。寿里亜も、物心ついてから父はもともといなかったのだから、特に会いたいとも知りたいとも思わなかった。長じて自分の戸籍謄本を見ることになったとき、ぽっかり空いた父の欄よりも、「女」という記載に自分ではどうすることもできないものを感じたまでである。
 母は、鮮魚店に勤めて、懸命に働いた。寿里亜が中学になったとき、被災したあの家に移った。平屋建ての小さい家で、相当に古かったが、家賃は安かったし、対面に海が見え、背後には緑の山、近くには川があり、自然豊かで静かなところを母も寿里亜も気に入ったのである。寿里亜の希望で、最初に小さな犬を、犬が亡くなってしまった後は猫を飼った。多感な時期の寿里亜を黙って支えたのは、まずこの犬と猫であった。
 就職して、身の周りのごく一部だけを持ってアパートへ移った後も、頻繁にこの実家に帰った。山峰を通ってくる空気が格段においしいと帰るたびに思ったものだ。青々としたあの山が土石流となって母を奪ってしまうなんて、想像もできなかった。いや、寿里亜は山を恨んではいなかった。自然が牙を剥いた、という言い方もあるけれど、寿里亜は人間の愚かしさが招いた現象に思えて仕方がなかった。
 被災後、一度は現場を訪れたが、もう行く気にはなれなかった。荒々しい傷跡に衝撃を受けたこともあるし、馴染みの風景はもうそこにはなかった。あの家が建っていたなら、そこに母がいないことを寂しく感じたかもしれないが、本当にそこに建っていたのかと思わせるくらい、現場は変わってしまったのである。よそ者であったのでそこに地縁もなく、その後は、仮の住まいのつもりで借りていたこの小さいアパートで暮らしていくしかなかったのである。
 母が言うには、父には「ちゃんとした」家庭があったということだった。世間で言うならば、不倫という言葉があるが、母は絶対にこの単語を口にはしなかった。不倫というのは邪なという意味がある。寿里亜は、嫌な単語だと思う。人がこの単語を使うとき、自分を正義の側に置き、不倫、とジャッジメントするように感じた。母と寿里亜の2人きりの生活に、男性が近寄ったことはなかったので、母のきっぱりとした性格ならば、何も言わずに父から離れたのかもしれない。父のことを優しい人だったと母は表現したが、寿里亜の若さがその言葉に反発させた。男の身勝手な優しさを想像させたのである。寿里亜の機嫌が悪くなったので、母はそれ以上語らなくなってしまったが、今となっては、もっと聞いておけばよかったかもしれないと思う。40歳を目前にした今の寿里亜なら聞けるかもしれないのだが。
 高校生のころだったか、母の様子が急に元気をなくし、沈み込んでいるように見えたことがあった。母がいくら隠そうとしても寿里亜にはわかってしまうのだが、あのとき、何かがあったに違いなかった。何の根拠もないことなのだが、父が亡くなったことを知ったのではなかったか。今では確かめようもないのだが、そのように直感したのだ。
 母一人、子一人、暮らし向きは決して楽ではなかった。それでも、今よりもずっと気楽に生きていたのはなぜだろう。母は、朝早く、夜も遅かったが、悲壮感はなかった。しかし、自分の好きなことをする時間はほとんどなかったであろう。そんな母が、自分を産む前の若い頃、ジュリーに真っ直ぐな熱い視線を送っていたのであれば、なんだかホッとする。母が夢中になったジュリーとは、どんな人だったのだろう。
 ユーチューブでは、若いジュリーが聴衆を前に話している。「長く歌っていられるように考えながら生活していきます」その後の映像でも、「80歳まではやります」「できるだけ長く歌っていたい」そんなふうに念願していた青年は、その後、どうなったか。今では答えがわかっている。70歳を過ぎた今でもジュリーは毎年コンサートツアーをして歌っていた。もしかしたら、時間は過去から未来に積み上げるのではなくて、未来から遡って時は流れているのではなかろうか。そうであるなら、このタイミングでの映画の出演も、決まっていた出来事なのか。シムラさんが急に亡くなったように見えたのも、決まっていた?母が流されて逝ってしまったのも?天はなぜ、母を選んだのだろう?なぜ、シムラさんを?

 第4話につづく

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