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メンチカツ丼を食らうだけのSS

 鳶職人のケイスケは、とにかく疲れていた。
今日は突発で入った工事案件があり、予定より2つも追加して仮設の足場を作ったため、いつもより肩が凝っているのを感じている。
先ほどまで足場材のポールに乗っていたためか、未だに地に足が付いている感覚がない。
「ただいま……」
汚れた作業服のまま散らかった賃貸の自宅に上がり込む。独身である自分に『おかえり』の声をかけてくれる人はいない。
重いリュックを降ろし、Tシャツとジャージに着替え、冷蔵庫に冷やしてあった缶ビールを一口、風呂上がりの牛乳のように喉に流し込む。
そこでケイスケは呟いた。
「腹、減ったな」

 冷蔵庫の中にすぐに食えそうなものは無かった。あるのは生卵が2つ、それと『多分いずれなんかで使うかな?』程度の意識で用意したキャベツの千切りと細かく切った玉ねぎがあるくらい。まぁ、でも、生卵をそのまま食うのも気が引けるしキャベツを齧っても腹はあまり膨れないので一旦冷蔵庫を閉じる。次に冷蔵庫の下の冷凍庫を開いた。
「おっ」
これは僥倖。いつか買った冷凍のメンチカツが余っている。数は2枚。これをチンすれば……とはいえ、流石にこれだけじゃあなぁ。と考えたところで、先ほど冷蔵庫にあった生卵を思い出した。そうだ。その手があった。
ケイスケは乱雑に調味料が散らばった台所を見やる。
「おっ、あるある」
手に取ったのは残り少なくなった麺つゆのボトルだ。
ケイスケは心の中でガッツポーズを決めた。
全部そろってやがるじゃねーか。
そして、一度麺つゆを台所に置き、米を一合炊飯器にセッティング。45分後に米が炊けるまでしばらく我慢を決意した。

 米が炊けた。なので、いざ、試合開始となる。
まずは冷凍のメンチカツを解凍する。小皿に乗せ、ラップをかけたら電子レンジで2分半。その間にフライパンに油をひいて、細かく切ってあった玉ねぎを一つまみフライパンに放り込む。ちゃんとしたコンロであればメンチカツの解凍を待つのだが、生憎我が家はIHだ。温まるのに多少の時間がかかる。
フライパンの油がぱちぱちと跳ね出した頃。電子レンジが作業終了の音を響かせる。
「待ってましたァ」
レンジから取り出したメンチカツは丁度良く温まっている。追加でレンチンをする必要はない。取り出したメンチカツは包丁で一口大に切り分けてすぐにフライパンの中へ。その後、冷蔵庫の生卵を2個……いや、メンチカツのサイズを考えるに1個が妥当だろう。生卵を1つ割ってとき、それをメンチカツと少量の玉ねぎが待つフライパンへ……おっと危ない。その前にこいつを忘れちゃいけない。ケイスケは残り少ない麺つゆをとぽとぽとフライパンへ入れ、その後といた卵をフライパンへ、全体に覆いかぶさるように投入した。卵の黄身がメンチカツの断面に、幕のように覆いかぶさる様を見てケイスケは勝利を確信する。
「さて、この間に……」
ケイスケは炊いた1合の白米を半分どんぶりにいれる。後からフライパンの中身がこの上に乗っかるのだ。出来るだけ上部は空けて、白米は平らになるように盛る。それをキッチンに持っていくと卵が丁度良い感じで固まりだしているのが確認できた。これ以上火を通せば完全な卵焼きになる。それはちょっぴりマズい。フライパンの加熱を止め、すぐにフライパンの中身を丼の中へ、公園の滑り台を滑らせるように……盛り付けて、完成だ。

 使ったフライパンや包丁を適当に流しにおいて、卓につく。栄養バランスも考えて千切りのキャベツをつまみにと冷蔵庫から取り出し、ついでに飲みかけのビールを傍らにおいて今日の晩餐の揃い踏みと相成った。
「いただきます」
箸を持ち、盛り付けたばかりのカツ丼の、米と玉ねぎと麺つゆと卵が絡んだ場所に箸をつける。いきなりカツに行くのもいいが、まずは白米を楽しみたい。箸で掬ったそれらを口の中へと導く……
うむ、旨い。口の中でシャキシャキと音を鳴らす玉ねぎの甘味と卵の甘味と米の甘味を麺つゆの旨味が均してなかなかのハーモニーを演出する。これだけでも十二分に旨い。ケイスケは満足そうに頷いた。
が、しかし、この1口に主役は不在だ。次はその主役を登壇させて頂くこととする。先ほどの組み合わせにメンチカツを携えて、ためらうことなく一気に口の中に運ぶ。最初に訪れたのは圧倒的な『肉感』だった。先の1口で感じた甘味たちを引き連れて、肉感と旨味がまるで歌舞伎役者の如く、躍り出て我こそはと盛大な自己主張を始める。カツの衣が歯ごたえで、肉の脂身と旨味が舌に『俺は旨いか』と訴えかけてくる。
旨いに決まっているじゃねぇか、この野郎。
それらを飲み込んで、一度千切りキャベツで口をリセットしてからもう一度、メンチカツと米と卵と玉ねぎと麺つゆの大演目を味わう。それらに熱中している間に箸が進み、気付けばケイスケは携えたビールを口にすることを忘れて、無我夢中でかっ食らっていた……

メンチカツ丼、ごちそうさまでした。

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