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新井白石 『古史通』 読法3 5世紀  万葉仮名の確立

*昭和44年発行の中央公論社 日本の名著シリーズの第15巻 新井白石(桑原武夫編集)より、『古史通(こしつう)』(上田正昭訳)を読んでいます。

第三十四代推古天皇の二十八年の春、上宮太子(聖徳太子)が、蘇我馬子(そがのうまこ)とともに、勅命によって「古記」を編集し、『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』を選んで進上した。
(日本の名著 新井白石 p253)

第三十四代推古天皇の二十八年(西暦620年

前回の記事で触れましたが、新井白石が生きた時代では、歴代天皇の中に神功皇后を含むことが通説であったので、第三十四代推古天皇となっています(現在では第三十三代推古天皇)。(神功皇后を含まない)歴代天皇の中では最初の女帝(女性天皇)である(ウィキ)。

白石は、当時、既に存在していた「古記」とよばれるものについて、「履中天皇四年(西暦403年)、諸国に国史(ふみひと)といわれる書記官を置き、国内の情勢を報告・記録させてからのちに、前の時代のより語りつがれたことを、漢字で書き留めたものであろう。」としています。 

諸国から集められたそれぞれの「古記」を、上宮太子(聖徳太子)と蘇我馬子(そがのうまこ)が編集し進上したものが、『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』ということになります。

しかし、そこに漢字を使用したというのも、たとえば現在ふうに仮名を用いるように、漢字の音声を仮りて、わが国の言語を記したものであった。 (日本の名著 新井白石 p253)

「漢字の音声を仮りて、わが国の言語を記したもの」とは、万葉仮名(まんようがな)と呼ばれるもので、5世紀には確立していた、とされています。履中天皇が、諸国に国史(ふみひと)といわれる書記官を置き、国内の情勢を報告・記録させた時期にぴったりと一致しますね。

釈日本紀(しゃくにほんぎ)』に、『上宮記』の仮名はすでに『旧事本紀』より以前にあり、仮名の本は、この書物より以前にあるというべきだ、と述べているのは、すなわちこのことをさしている。          (日本の名著 新井白石 p253)

釈日本紀(しゃくにほんぎ)』:『日本書紀』の現在最古の注釈書。鎌倉時代末期の成立。

上宮記』:(じょうぐうき・かみつみやのふみ)は、7世紀頃に成立したと推定される日本の歴史書。

先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』(『旧事紀』(くじき)、『旧事本紀』(くじほんぎ)ともいう)。


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