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群青、君が見た空の軌跡 #24

 スタルツは長い廊下の先の突き当たりにあるドアの前で足を止めた。
 ポケットから鍵が沢山付いたキーリングを取り出し、じゃらじゃらと鳴らしながらその中の一つの鍵を選んでドアの鍵穴に差し込む。

 部屋の中は思ったよりは広かったが天井は低く、入ってすぐのスペースに丸いテーブルとイスが数脚置いてある以外は、ほとんどのスペースが背の高い本棚に埋め尽くされていた。
 その本棚の中身にもぎっしりと資料のようなものが詰め込まれていたが、同じファイルケースできれいに揃えられたコーナーもあれば、書類が山積みにされていたり、小さな部品のような物が入った箱が置かれていたりと、全体的に雑多な印象だった。中には日焼けして茶色くなっているかなり古そうな書類もあった。

「この部屋にはメルクシュナイダー社がこれまで開発してきた全ての機体の資料が保管されている。130年以上前のものもあるぞ。まだ蒸気エンジンの時代だな。」
 言いながらスタルツは全員に部屋に入るよう促した。ハンスはもしたっぷり時間があったら一日ここにいて思う存分資料が読めるのに…と思ってうずうずした。

「お前らのお目当てはMe029だったな?確かこのへんに…」
 スタルツは部屋の壁一面に設置されている本棚のうち、右手奥にある棚に近づき、小さな踏み台に上がって手を伸ばした。その手の先にはねずみ色の分厚いファイルケースがあったが、背が低いスタルツはそれを取るのに若干苦労しているようだった。
 するとクリスがすっと手を伸ばしてそれを取り、スタルツに手渡した。

「おう、悪いな。さすがモテ男は違うな。」
 スタルツはにやっと冗談を言いながらそのファイルの中身を確認した。
「お、やっぱりこれだ。開発途中で放棄された機体だが、資料はけっこう豊富に残ってるぞ。」
 スタルツがその資料を丸いテーブルの上に広げると、ハンスは齧り付くようにそれを見た。
「やった、やっぱり表面蒸気冷却方式を採用してる。設計図もあるし!パーツごとの製作方法はー」
 ハンスが夢中になりかけると、ジルベールが後ろから声を掛けた。
「おい、まずは俺たちに見せろよ。実現可能かどうか判断しないと。」
 ハンスは素直に従って、みんなが見られるように資料を広げた。するとチームクルー全員がそれを覗き込んだ。

「お前ら、やっぱり表面蒸気冷却方式を取り入れようとしてるのか。かなり構造が複雑だぞ。うちの職人でも工作に苦労してたな。設計図は俺が描いたんだが…」
 ハンスはぱっと顔をあげてスタルツを見た。
「スタルツさんが描いたの!?ちょっと、これを見てもらえませんか。」
 慌てて自分が描いた設計図のラフを広げた。二日前にみんなに披露したものからより構造がシンプルになるように改良を加えたものだった。

 スタルツは差し出された設計図を受け取り、しばらく黙ってそれを見ていた。その間他のメンバーはじっくりと資料を確認した。
「…お前が描いたのか?パイロットのお前が?」
 ハンスが頷くと、スタルツはにやりと笑った。
「なるほど、なかなか良い腕をしてる。うちの会社に入ったら俺が鍛えてやってもいいぞ。細かいところはまだまだだが発想が良い。技術が伴えば良い設計士になるかもな。」
 ハンスは苦労して描いた設計図が褒められて嬉しかったが、それよりも実際にこれが実現できるかどうかが問題だった。
「あの、これ俺たちで作れますか?」
 ハンスはできると言って欲しくて、焦ったようにスタルツに訊いた。
「それは俺が答える質問じゃないだろう。お前のチームクルーに訊いてみな。」
 スタルツに促され、ハンスは資料を確認しているみんなに目を向けた。

「…ジルベール?」
 ハンスは真っ先に一番反対していたジルベールに訊いた。ジルベールは腕組みをしてしばらく考えていたが、やがてハンスの方を見て口を開いた。

「…まぁ、この資料があれば不可能ではないかもな。お前の設計図も前よりシンプルになってるし、学校の器具を借りればできない範囲じゃないだろう。」
 ジルベールの答えを聞くと、ハンスは途端に笑顔になった。
「ほんとか!?ありがとう!」
 その変わりように呆れながら、ジルベールは他のメンバーにも声を掛けた。
「レイ、クリス、どうだ?」
 引き続き資料を覗き込んでいた二人が顔を上げた。
「…うん、確かに不可能ではないだろうね。かなり時間は無いから途中から徹夜になるかもだけど。」
 そう言ってレイは少し笑った。
「そうだな、やろう。もしこれが成功したら大きな武器になるし、優勝が近づくのは間違いない。」
 なんとか見通しがついたことでクリスはほっとした気持ちになっていた。それは他のメンバーも同じだった。

「ハンス、テスト飛行のときはあくまでも慎重にやれよ?くれぐれもいきなり飛ばすんじゃねぇぞ!」
「わかってる、無理はしないよ!俺だって怪我でもしてレースに出られなくなるなんて絶対嫌だし。」
 向こう見ずなところを心配するジャンに対し、ハンスは笑顔で答えた。

「ハンスがやりたいなら、俺たちも精一杯頑張るよ。操縦訓練に入るまでに仕上げられるように。」
 イアンが同意すると、隣のヘンリーも頷いた。エリックとアルバートも揃って資料を見ていた顔を上げた。
「しょうがねぇな、やってやるよ。お前の我儘に付き合うのも慣れっこだ。」
「そうだな。そのかわり一度でいいからゾフィーとのデートの約束を取り付けてくれ。」
 軽口を叩くアルバートに対して自分で言えよ!と返しながらも、ハンスはみんなの同意を得られたことが嬉しくて笑顔が溢れた。

 スタルツさんに丁寧にお礼を言って、全員でメルクシュナイダー社を後にした。
 帰り際、もう薄暗くなった空に、遠くの方でヴィルの機体が飛んで行くのを見た。ハンスはヴィルも自分と同じように必死にパイロットを目指しているんだよなと思ったら、ライバルでありながら同志であるような、なぜかこれまであまり感じなかった不思議な気持ちになった。

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