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休学した春に、出会ったあなたたちへ

4月、桜前線と共に旅をしていました。バックパックに休学届を入れて。

「お父さん、お母さん、ごめん。休学したい」

あなたの決断ならと判を押してくれたけど、それでもやっぱりどうしてうちの子は真っ当に進めないんだろうという悲しみのような諦めのような空気感が漂っていた実家。居た堪れなくて飛び出した4月4日の夜。難波の夜行バス待合室の湿った空気。

夜行バスに揺られ全く眠れないまま目的地に着いた。長野、松本。決めたというほどの決断もなく、バスに乗っただけでなんとなくたどり着いてしまった。

知らない道を歩きながら適当にスマホで見つけたゲストハウスに電話して今晩の予約ができるか尋ねる。OKだ。どうやら今晩は屋根のあるところで寝られるようだ。

ゲストハウスのオーナー、Aさん

駅から歩いて15分。着いたゲストハウスはお洒落すぎずでも簡素すぎず、温かな雰囲気がある。入り口から玄関までの間に荷物置き場がある。珍しい。扉を開けると1人分の番台の奥に人の気配。

「こんにちは」
声をかけると、背の高い痩せた男性が顔を見せた。わが出身地大阪ではこういう雰囲気の人のことを「シュッとしてる」と表現して褒める文化がある。
カードに宿泊者の必要情報を書く。名前、住所、国籍。

後泊地は、どこだろう。

投げやりに未定と書いて提出した。

シュッとした男性は、「未定」の文字を見て嬉しそうに話しかけてくれた。

「未定なんですねーいいですねー」
「僕もフラフラ旅してましたよー」
「4年間色んなところ行ってー」
「延泊?できますよーでも朝苦手なので朝いないと思うからー」

立ったまま次々と繰り出されるトーク。ゲストハウスの入り口でこんなにたくさん喋る人は未だかつて見たことがない。というかゲストハウスのオーナーなのに朝居ないって……良いのか?

でも話してみるとその言葉のひとつひとつが柔和で自由で、飾り気がなく、それでいてこちらの立ち入って欲しくないところには入ってこない。それが作り出す居心地の良い雰囲気をつくり出すのだ。

本人は後にこのゲストハウスは「ゆるい」のだと笑って評していたが、この「ゆるさ」は人に、ここにいて良いと思わせる魅力がある。

そんな不思議な居心地の良さを持ったAさんとは今後も関わっていくことになりそうなのだが、それはまた後で。


ペルー人放浪者、Bくん

その日同じゲストハウスに泊まっていたのがBくんだった。ペルーと日本のミックスで、どうやら世界を旅しているらしい。Bくんも、Aさん同様柔らかな雰囲気を持ち、若竹のようにスッと真っ直ぐな気持ちのいい言葉を話した。

AさんとBくんとの夜


夜、AさんとBくんとお酒を酌み交わす。2人から語られる世界各地の絶景や、死と隣り合わせの冒険譚。目の前にいる人たちが信じられない。どうしてそんな変なところに行っている人が居合わせるんだ!

話だけではなくどんどん物も出てくる。南米で使われる木彫りの「マクライス」(枕と椅子に使われるからとAさんが命名した。正式名称は不明)、部族の人が唇に嵌めるまるで和同開珎みたいな石。
夕焼けを閉じ込めた宝石、獣の臭いが残ったなにかの牙。

旅人が語り合う中で、でも私は実家にいた時みたいに「居た堪れない」気持ちにはならなかった。
私は2人の作り出すその場の柔らかく愉しげな空気感に、世界各国の物々と同じくらいに魅了されていた。

物や写真は世界を旅した貴重な記録だろう。でも記録が無かったとしても、その経験は人間の中に確実に記憶され、馴染んで、芳香を放つ。

世界を旅することへの憧れを、小さく、でも確かに抱かせてくれた人たちだった。


ヤンキー宿泊者、Cさん


翌日Bくんが発ったあと、私はこれから島でゲストハウスを開業する人が来るよと聞かされ延泊を決めていた。どんな人だろう、きっとAさんやBくんのように素敵な……

「うわやべーー!!」

突然の軽薄な声に振り返ると、大きなサングラスをかけて日焼けした茶髪の男が立っていた。

▷ようきゃ やんきー があらわれた!

ビビった。ヤンキーは死ぬほど怖い。絶対無理。

部屋で籠城を決め込んでいたら、何故か鍋に誘われた。そういえば陽キャは鍋をしたがる習性があると習った気がする。かといって断るのも怖いので(もうどうにでもなれ!)と参加を表明した。こちとら休学中だ、失うものは何もない。

だがなんと、そうして参加した鍋パーティーは、めちゃくちゃ楽しかったのだ。

何が楽しかったのかあんまり覚えてないけど、なぜか沢山の人が集まって、全員がゆるやかに調和したとにかく楽しい夜だった。

そのときに聞いた話によるとCさんは、以前このゲストハウスに泊まったときオーナーであるAさんからとある島の話を聞き、それだけをきっかけにして島へ行ったらしい。

結果彼は移住し、そしてゲストハウス開業まで漕ぎ着けた。

好奇心と行動力、そしてそれを現実にする粘り強さが彼の魅力だった。

彼のもつ勢いは周りの人間を変えてしまう。最初の彼への印象はどこへやら、気付いたら肩を組んでとびきりの笑顔で写真を撮られてしまうくらいに。

隣人を変えることができればきっと世界が変えられる。
彼は世界を変えられる人なのかもしれなかった。



ポルシェに乗って来た宿泊客、Dさん

良い出会いがあればあまり楽しくない出会いもある。
2つ目のゲストハウスで出会ったDさんは自称世界一周旅行者。旅をしているとこういう人はたまにいて、だいたいはアメリカとオーストラリア、ニュージーランド、タイ、カンボジアの任意の数カ国に行ったことを世界一周と称する。

愛車はポルシェ、旅で失ったものは自尊心だと語るDさんは、自分を大きく見せようとする足掻いているのがバレバレでみっともなかった。そういう悪あがきは大抵空虚で寂しい。だから簡単に分かってしまう。

きっと彼は自分を凄いものだと主張しないといけない環境にいるのだろう。だからここでもそうするのだろう。

それってとても辛いことだ。息苦しい環境で、虚栄心から嘘をつくことは。

だから彼にとってせめて今後の旅が、そんな苦しい義務感から解放されるものになりますように。
そう願って彼と別れた。

脳外科のE教授

E教授は私の通っている大学の先生で、この旅行中に休学するか否かをオンラインで相談することになっていた。

彼は気難しいと聞いていたが、話してみるとあっけらかんとしたところある気さくな教授だった。

私が「医学部の勉強がなんで面白くないかわからないんです、面白いはずなのに、それが嫌なんです」と伝えると、「んなもん面白い訳ないよ!!オレは6年間は耐えて一刻も早く医者になろうと思ってたもん!!」

そしてワハハと笑って「休学はもったいない!!医者としての自由が1年減る!!つまらない学部の期間は短い方がいい!!」


休学を迷わなかったわけではない。それでもやはり学ぶことは楽しくあるべきだと思う。信念の問題だった。
医者になるには「学ぶことは楽しくない」のが当たり前の大学で6年間耐えなければならない。

休学理由を「進路再考」と改めて、私は長野松本から休学届を提出した。早くて安いレターパックで。
肌寒いがよく晴れた日だった。


歌うたい、Fちゃん

はっきりと休学を決めた私は3宿目へ向かう。

そのゲストハウスでスタッフとして働いていたのがFちゃんだった。彼女は街で弾き語りをする歌うたいでもあり、ちいさな哲学者でもあった。

驚くべきことに、Fちゃんはニヤニヤ考える。本当に楽しそうに、息をするように。私はいつも苦悶の表情で出ない結論に焦りながら考えているのに。

彼女は生きることや死ぬこと、答えのない問いをずっとニヤニヤ顔で考える。そして楽しそうに話す。答えが出ないことが嬉しいのだ、と、言う。

彼女は芸術家らしい感度の高さを持っていた。だがその感度で捕まえた問いを探究する態度は、さながら哲学者だった。

私は彼女に出会って、考えることは答えを見つける手段なんじゃなくて、考えること自体を楽しむ柔らかな強さがあることを知った。

ゲストハウスのスタッフ、Gちゃん

そんなこんなで自由を得た私はだらだらと旅を続けていた。旅暮らしも1週間を超えた頃、最後の宿で出会ったのがスタッフのGちゃん。年上だから「Gさん」と呼ぶと、「Gちゃんって呼んで〜!」と明るい声で訂正された。

炎天下の下で咲く向日葵のような明るさと、そこに流れる川のような清冽さを持った人だった。
底抜けの明るさを持っている彼女が、しかしその抜きん出た魅力を表現したのは歌でだった。

ある夜のリビング、ゲストからの要望に応えて彼女はスッとギターを弾き始めた。グダグダした謙遜のような前振りもなく、突然その場に鳴り響いた晴れやかなGコード!

この時彼女が歌ったのは『旅の人』という歌だった。以前働いていた瀬戸内で、季節間労働者に歌い継がれていているという歌。

旅人の持つその空気感
柔らかく入り込んで溶け込む
見たことないとこ行ってきた
汚れた靴が物語るの
ああいきたいところがあるから
生きて行ける
ああ行きたいところがあるのさ
あぁうぅああ

練習中のギター、少し調子の外れた歌と酔っ払いの旅人たちの手拍子。きっと音楽としては上手いとは言えなかっただろう。でも今まで聴いた音楽の何より私の心に刻まれた。この光景を、この音を、私は覚え続けるだろう。一人でバックパックを背負って歩く足元を見つめながら、ゲストハウスの冷たいシーツに包まりながら、私は何度もこの音を思い出す。


ゲストハウスの宿泊客、Hさん

素晴らしい歌は人と人との関係を良いものにしてくれる。その日同じ歌を聴いていたHさんは、どういうわけか私を気に入ってくれたらしい。

翌日Hさんの通う居酒屋さんに連れて行ってくれ、綺麗にお酒を奢ってくれた。

Hさんは中年のおじさまだ。けれどまるで大学の友人のように、馬鹿話をしながら飲んだ。その居酒屋の目玉メニューの、焼酎99%を梅シロップ1%で割った大学生の飲み会でやるみたいなお酒だった。

キャバ嬢をやっていた私はどうしても他人、とくに壮年や中年の男性の褒めて欲しいオーラに敏感だ。どう言うと気持ちよくなってもらえるか考えて、つい思ってもいないことを話すのだ。正直何も生まれないし、何も楽しくない。

だけど驚いた。Hさんはそれがまるでなかったのだ。

年上でも、男性でも、こんなに気持ちよく飲める人がいる。それはどんな人の前でも自分らしくいて良いと、背筋を伸ばせと言われた気分だった。

次の日の朝、私はバックパックひとつを持ち、長野を発った。


休学届けはもう大学に届いている頃だった。

大学休学中の旅人、I

I、つまり私は、休学することになにか言いようのない重圧を感じて、旅をしていた。それを抱えたまま何人もの人と出会い、話し、話された。

人と関わる中で自分自身を確立できるような気がした。

どのような人を好きだと感じるのか、から自分の興味を再認識した。
そして自身はどのように評されるのか、から自分の得意を発見した。

まだ自分がどういう人間なのか語る手段を私は持たない。だけどひとつ、彼らにもらった言葉から、私は私のコミュニケーションの取り方に自信の萌芽を得た。
自分の場の運び方は評価され得る面を持っているのだと。
これから様々な場所で様々な人と関われば、未熟なそれはきっともっと洗練されていくだろうと確信している。

出会った人や、得た経験は、自分の中で醸成され、確実に自分を構成する。
その人々の揺らぎの中で私は私になるのだ。

休学してどうするか、まだ退去日以外は何も具体的なことは決まっていない。

だけどきっと私は知らないところに行って、見たことないものを見て、やったことないことをやる。出来る限り多くの経験をする。

そうして得たり失ったりしたものを、いつか私はあなたたちに、私自身として証明したい。


休学した春に出会ったあなたたちへ。

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