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【どうする家康】ムロツヨシ版の木下藤吉郎の成長が楽しみすぎます

大河ドラマ『どうする家康』の第四回の感想を少し。

わたしはムロツヨシのクセつよな演技が好きなのですが、『どうする家康』での木下藤吉郎(豊臣秀吉)役も素晴らしいですね。彼が演じる木下藤吉郎は、なんとも憎々しい……ムロツヨシは好きだけど、逆にどんどん嫌いになりそうですw

それにしても、今週の第四回『清洲でどうする』では、桶狭間合戦後の地域秩序の再構築を図るという意味で、重要な数日間を描きだしていました。ちょっとだけ三谷幸喜の映画『清洲会議』が、脳裏をよぎりました。

さて、この清洲同盟は、教科書的には「桶狭間の翌年の永禄4年(1564)に、織田信長と松平元康が清洲にて同盟を締結した」というものです。松平元康が22歳前後、織田信長は28歳前後に結ばれた同盟は、一方が他勢力から攻め込まれたら、互いに助け合うという軍事同盟です。日本史の流れから見ると、織田信長と徳川家康という戦国の若手武将の2人が、快進撃をスタートする、その原動力となりました。

改めて、当時の2人の置かれている状況を見ていきましょう。

まずは松平元康(徳川家康)です。松平元康は、これまで今川義元の後ろ盾によって、三河国の有力豪族としての地位を、なんとか維持していました。ただし、清洲同盟の成立により、今川家の傘から出ることになりました。これまでのように織田信長から攻撃を受けることはなくなるので、三河国の統一に専念できます。その代わりに、東の遠江と駿河国を領する今川氏真(今川義元の息子)からすれば、松平元康は裏切り者であり、松平元康は今川氏真に攻撃される可能性が高まりまりました。

一方の織田信長は、どうだったでしょうか。こちらも尾張一国が盤石だったわけではありません。また、北には美濃国の“まむし”こと斎藤道三(本木雅弘)が控えていて、一瞬たりともスキをみせられません。また、東には甲斐国と信濃国の一部を領する、武田信玄(阿部寛)もいるのですから、心穏やかではなかったでしょう。

そんな中で織田信長は、三河国の松平元康(もうすぐ徳川家康)と、清洲同盟を結び、東からの脅威に備えるわけです。

この清洲同盟ですが、後のことを知っているわたしたちからすると、なぜ織田信長は、弱小のローカル豪族の松平元康と手を組んだのか? とも思いますし、織田信長優位の同盟だっただろうと想像してしまいがちですよね。ただし、上記したような周辺の状況を見ると、必ずしも織田信長が松平元康に対して絶対的な力を持っていて、松平元康を臣下のように扱う……そんな同盟でがなかったのかもしれません。

その点の疑問を、今回の『どうする家康 〜清洲でどうする〜』は、松平元康自身が、織田信長に問いただしています。

「私は、あなたに臣下の礼をとりに来たわけではありません。むしろ桶狭間では、私が織田家の丸根砦を落としました。私の方が勝っているのです」

勇気を振り絞って、そう語る松平元康に対して、織田信長は「そういう見方もあるよのぉ」と、余裕綽々で答えます。さらに松平元康が「見方があるもなにも、(私が勝ったというのは)事実でございます」と言うと、フッと冷笑してみせます。

その2人の会話に割って入ってきたのが、ムロツヨシ演じる木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)でした。

「まぁまぁまぁ……見方は色々とござります。例えばこんな見方も…」

と言って披露したのが、桶狭間の戦いのおりに、織田信長が、わざと丸根砦や鷲津砦を、今川方の松平元康などに陥落させた……というものでした。

松平元康殿が砦を堕としてくれなかったら、今川義元殿は、桶狭間までやってこなかったかもしれない。元康殿が堕としてくれたから、今川義元は意気揚々と桶狭間にやってきた。

逆に織田信長からすれば、今川義元をおびき出すために、わざと丸根砦や鷲津砦を、今川方に落とさせたのだと。そして予定通りに、のこのこと今川義元がやってきたので、主君の織田信長は、その首を取れた……全ては織田信長の策略であり、松平元康は、その手のひらの上で踊らされていただけ……。

「そういう見方も、あるものでございますよ」

そう語る、木下藤吉郎……ムロツヨシの不気味な表情が、むちゃくちゃ良かったですねw

さて、今回の『どうする家康』は、小2の息子の反応がとても良いです。うちでは毎回、録画したものを観ているのですが、ドラマが終わると、すかさず息子が「次も見せて!」と叫びます。もうね……うちの子は、生まれながらのネット動画配信世代なので……どんどん先の回が観られると思っているんですよね。

さて、毎回の大河ドラマで、「史実とぜんぜん違うじゃないか!」とか「歴史考証はどうなってんだ!」などという声が聞こえてきます。『どうする家康』もそうですね。特に戦場や城のCGが、ちょっと実写版『キングダム』みたいな点もあって、批判が高まっているようです。

わたしとしては、NHKの大河とはいえ、ドラマ的な脚色があっても良いではないか……と思っています。NHKとはいえ、すべてを史実どおりに描いたら、必ずしも面白いものにはならないでしょうし、そもそも過去の話である、歴史における史実とは何か? という問題もあります。それよりも、ドラマとして面白くしてもらい、歴史ファンが増えていった方が良いなと。だいたい徳川家康が松潤で、織田信長が岡田准一で、斎藤道三が本木雅弘で、武田信玄が阿部寛ですよ……そんなイケメン揃いではなかったことは確かですw

とはいえ、わたしも「ドラマと(現時点での)史実との差」は、気になるところです。そのあたりの話を、『どうする家康』の歴史考証も担当している小和田哲男さんが、自身のYouTubeチャンネル『戦国・小和田チャンネル』で、毎回丁寧に説明してくれています。

『清洲でどうする』の回についても、解説してくれているので、興味がある方は、ぜひご覧ください……と言って、わたしもまだ今回分を観ていないので、これから寝ながら聞きたいと思います。

ちなみにトップ画像は、名古屋城の清洲櫓です(画像:Wikipediaより)。清洲櫓は、清洲城の天守を移築したものとも言い伝えられているそうですが、いずれにしても、清洲同盟の時代には、清洲城には天守はなかった……という説が有力です。

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