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国宝『信貴山縁起絵巻』を、ざっくり解説!【上巻:山崎長者の巻】

ワシは、今は長野県と呼ばれておる信濃国で生まれたんじゃが、家にいるのが嫌でのぅ、姉さんが尼をしておった縁で、幼い頃から小さな寺院に預けられておった。まだ子供だったのじゃが、勝ち気な性格じゃったから「俺は京へのぼって、東大寺で正式な僧になってやるんじゃ!」と言って、その寺を抜け出して、一人で京へ行ったもんじゃ。あの頃は「何に」ということもなく、なにかせねばならんと、とにかく必死じゃった。

「京へのぼって東大寺へ行こう」なんて言っていたが、どこかで誰かに「僧になるには、東大寺で戒壇かいだんという儀式を受けなければならない」と聞いていたんじゃろうて。とにかく「東大寺の鑑真がんじんさんっていう、どえらい高僧に、僧にしてもらうんじゃ!」と鼻息を荒くしておったのぉ。

そんで、大きな寺ならば京の平安京にあるはずじゃと思っておったようじゃが、旅へ出てみると、どうやら東大寺は平安京ではなく、昔々の平城京のあとにあるらしいということを教えられ、鑑真さんも既に亡くなられていると聞いて、「そんなことも知らんで、東大寺へ行こうとしているのか、この小僧は?」と、バカにされたものじゃて……フォッフォッフォッw ただ、そうやって必死で旅をしていると「おもしろい小僧だな」と、旅のあいだは、行く先々で可愛がられて、無事に東大寺へ着くことができたんじゃ。

東大寺に着いてからは、必死で戒律を学んだものじゃ。じゃが、不思議と辛かった思い出はないのぉ。信濃国では小僧として、掃除や洗濯、食事の準備と、僧としての修行は、ほとんどできんじゃったで……東大寺に来てからは、「学べる」ってことが嬉しくて嬉しくて、「知る」ってことが楽しかったんじゃろう。何年かすると、戒壇を受けさせてもらって、僧と名のれるようになったのじゃ。今で言うと……そうじゃな、大学を卒業して、国家公務員一種のテストにも合格したというところじゃ。これでどこへ行っても僧としてやっていける。そんで故郷の信濃国へ帰ろうかとも思ったのじゃが、修験道にも興味をそそられてのぉ。そちらも少し学んだのちに、どこか一人で修行するのに手頃な場所はないかと山々を探してみると、東大寺のある大和国と河内国の間に、信貴山(しぎさん)という静かな山を見つけたんじゃ。

聖徳太子の時代に開山されたとも聞いたが、当時の信貴山には、ほとんど誰もおらんかったんよ。山ん中に入ったら、毘沙門天の像が入った石櫃が転がってたもんじゃから、そこにワシの庵を建てることにしたんじゃ。もちろん誰も来んようなところだから、はじめは畑を耕しておったよ。

そのうちに土地のもんらぁが「山んなかに、変な乞食坊主が住みつきよった」と面白がって、遊びにくるようになったんじゃ。そのもんらぁの喧嘩なんかの調停をしておったら、じょじょにワシの話を聞いてくれるようになったんじゃよ。そんで数年も経ったら「信貴山(しぎさん)に住む仙人みたいな法師が、非常に徳のある人らしいで」と噂が広まってのぅ……フォッフォッフォッw 飯にも困らんようなって、弟子みたいなもんも増えだして、だんだんと堂宇を整えていったもんじゃ。ありがてぇこった。

それは良いんじゃが……(笑)。とにかく村のもんらぁが、ワシのことを尾びれをたぁ〜くさん付けて、あることないこと……ほとんどないことばかりの噂を、街へ行った時に広めておったんじゃ(笑)。「信貴山には、どえらい神通力を使う坊さんがおるぞぉ〜。みな信貴山にあつまれぇ〜」みたいな調子でのぉ……ええ加減なもんじゃ(笑)

その中で、おもしれぇ話があるんじゃが……こんな話じゃ。信貴山は、山深けぇ場所にあるじゃろ? だからワシが里へ下りて托鉢するのが面倒だからっていうて、ワシが、托鉢たくはつ用のはち……茶碗みたいなもんじゃ……を、霊力で里まで飛ばしているっちゅう話じゃ。そんで、飛んできた鉢に、みなが米なんかを入れると、鉢がまた飛んで行ってワシのもとに戻るっちゅうあんばいじゃ(笑) そんな神通力がワシにあったら、苦労はせなんだがのぉ(笑)

さらに、どんどん話に尾ひれが付いていったんじゃ。そのワシの托鉢用の鉢が、山崎におった長者……ひらたく言えば金持ちの家っちゅうことじゃ……その山崎の長者の屋敷へ飛んでいったそうじゃ。まぁ「お布施をしろ」ってことじゃな。長者っていうのは、セコくて強欲、性格が悪いって相場が決まっておるじゃろ? そんで、その山崎の長者が「信貴山の、なまくら坊主に施す米などないがな」と言うて、その鉢を校倉あぜくらの立派な倉庫の中に放り込んでおいたそうじゃ。

ここからがすげえだよ。その長者の倉庫が、ある日、地震でもあるまいに、グラグラグラグラと揺れだした。そんで山崎の長者の家のもんらぁは「なにが起こっておるんじゃぁ」いうて、大騒ぎじゃ。しばらくグラグラッと揺れた後に、倉の扉が開いて、中からワシの鉢がコロコロコロッと転がり出たそうじゃ(笑)。家のもんらぁが「あれぇ?」って思っているうちに、その鉢が倉の下に潜り込んで、今度は倉がミシミシミシィ〜っと大音声をたてたと思ったら、鉢が……鉢がじゃぞ(笑) 倉を持ち上げて、浮かんだっていうから面白い(笑)。そんで、どうしたと思うら? 倉が舞ったと思ったら、飛び立ったというんじゃ。

もちろん長者は顔を青ざめて、家人らを従えて、追っかけようとした。自分ちの倉が空を舞っておったら、そりゃあ驚くだで(笑) 馬に乗って「倉を追えぇ〜〜〜!」っていうて、必死で追いかけたそうじゃ。

そんで倉が山々の上を飛んで、この信貴山しぎさんまで来たっていう話になっておる(笑) えらい話じゃのぉ。その頃のワシは、ちょうど倉が欲しくてのぉ。これは本当に欲しかったんじゃが、その話によれば「校倉造あぜくらづくりの立派な倉が欲しいのぉ」なんてワシが思っていたから、倉が飛んで来たんじゃ言うての(笑)。

その頃は本当に倉が欲しくてのぅ。今の坊主が、メルセデスだポルシェじゃ言うて、坊主仲間で自慢しておるじゃろ? そんで車を入れる立派な車庫が欲しい言うとる。ワシらの頃もそれと同じで、法華経だなんだと仏典を自慢しあってのぉ、それを倉にしまっていて、立派な寺には校倉造の倉があったものなんじゃ。だからワシも信貴山に倉を建てたくてのぉ。

それで倉が境内にドスゥ〜ンと下りてきた……っていう話にしたようじゃ。ワシが倉庫を開けさせると、千石もの米が詰まっておったとかのぅ(笑) 「こりゃあすげえもんが飛んできたもんだ」なんて、ワシや寺のもんが呆れていると、息を切らせてやってきたのが、山崎の長者やその従者たちじゃ。ぜぇぜぇ言いながらやってきて「お坊様、後生だから倉を返してくだせぇ。その倉がなくなったら、わしゃあこれから商売をやっていけん」とな。それで「なにもお布施をしたくなくて、鉢を倉ん中にいれておいたわけじゃないんです。鉢が飛んできた時に、忙しくて、後でしっかりお布施しようと思っていたんでございます。ついては、倉を返してくだされ」と、山崎の長者が土下座をしながら、言い訳をしたことになっておるんじゃのぉ。

よく考えれば、お布施をしなかったくらで、ワシが怒るわけもないんじゃがのぉ。しかも、その山崎の長者にワシがなんと答えたことになっておると思う(笑)? これが酷い話でのぉ……ワシは山崎の長者に「倉は返せん。中は持って帰ってもええぞ」と言ったことになっておる(笑) これではワシは、山崎の長者よりも強欲キャラになっておるじゃないか(笑) 本当のワシなら、こう言うじゃろな……「倉ごと持って帰ってもええぞぉ……持って帰れるものならな」とな(笑) フォ〜フォッフォッ(笑)

実際にのぉ、話ん中でも山崎の長者は、倉ん中の千石分もの米俵を、屋敷へ持ち帰るのに難渋したと語られておる。そこで活躍するのが、またまたワシの神通力と托鉢用の鉢じゃ(笑) 山崎の長者の家人らが必死で米俵を運び出そうとするのじゃが、いっこうにはかどらん。そりゃ米俵は重いでのぅ。そいじゃて「ワシの托鉢用の鉢の上に米俵をのせてみろ」と言ったんじゃのぉ。そぉするぅてえと、米俵を、ふわぁっと持ち上げたっちゅう話じゃ。そんで米俵が空に舞っていくと、他の米俵もその鉢について行って飛んでいく。来た時とおんなじように、山々を越えて、次々に山崎の長者の屋敷に飛んでいったんじゃ。

屋敷では大騒ぎじゃ。なにせワシと長者のやり取りを、まだ知らんはずじゃからのぉ。そりゃあ屋敷に残っていた女たちが、「米俵が空から戻ってきたぁ」と大騒ぎになったのも当たり前じゃ。もうお祭りのように、みなが踊るように喜んだということじゃ(笑)

山崎の長者は屋敷に帰ってから「信貴山(しぎさん)には、神通力を使う、どえらい坊様がおった」と言って「これからは、忘れずにお布施をするように」と、家のもんらぁに言ったそうじゃ。そんで、その長者が、校倉造の立派な倉を信貴山に建ててくれたとか…くれなかったとか……フォ〜フォッフォッ(笑)

つまりじゃ……この話で分かることは、ワシが神通力を使いこなす、どえらい僧だってことじゃな。ほかにも、山崎の長者のように強欲にならず、気前よくお布施はするもんじゃ……稼いだもんは、その土地にしっかりと貢献しようってことじゃの。なぜか山崎の長者よりもワシの方が強欲に伝わっているような気もせんではないが……まぁそれも、ある意味、間違いではないじゃでな……フォ〜フォッフォッ(笑)

面白かったじゃろ? まだ面白い話があるで、また今度話してやろう(笑) 次はワシが、天皇……御門みかどの病を、神通力で快癒させるっちゅう話じゃ。どうだ……あの醍醐天皇をだぞ……聞きたいじゃろ(笑)

<参考文献>
・百橋明穂『信貴山縁起再考』(PDF)
・Wikipedia『信貴山縁起
『信貴山縁起』の詞書

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