菱川師宣(もろのぶ)が『見返り美人』を描くまで…… @東京国立博物館
浮世絵の祖と呼ばれる菱川師宣は、江戸に幕府が開かれたばかりの1618年に、安房国(千葉県南部)の保田で生まれました。父親は、財布や煙草入れなど身につける小物に刺繍と箔で模様を入れる、縫箔師だったと言います。嗜好品に関わる職人ということは、それだけ富裕層が多い場所でないと成り立たない仕事のはずです。戦国時代の安房国は、そうした富裕層が他より多かったとも考えづらいのですが、粋人が多かったのかもしれません。
とにもかくにも菱川師宣は父の跡を継いで、縫箔師となりました。40歳になると、江戸では明暦の大火があり、多くのエリアが焼き尽くされました。その大火後の江戸に、ビジネスのチャンスを感じ取ったのか、安房国の保田から船に乗って江戸へ出たのです。
初めは縫箔を生業にしていたようですが、徐々に絵師としての活動へとシフトしていきます。同時に、狩野派や土佐派、長谷川派などの技法も学んだとされていますが……それぞれの工房に通ったのか、それとも独学したんでしょうかね。はじめは本の挿し絵や名所絵などを描いていましたが、じょじょに絵師「菱川師宣」のブランドを確立していきました。
■松坂屋の主人が何枚もの図を集めて1巻に仕立てた図巻
2022年12月10日現在の東京国立博物館では、彼の肉筆画、『北楼及び演劇図巻』が展示されていました。
横に長い絵巻物で、北楼(吉原遊廓)と演劇(芝居小屋)を紹介する、名所図の高級版と言ったところ。 『10歳からの美術の歴史』という本には、「江戸末期に豪商・松坂屋の主人が、吉原と歌舞伎を主題とした図を集めて1巻に仕立てたものです。(菱川)師宣の早期から晩年期までの作品が集まっています」と解説されています。そのため、各図の最後に年紀の異なる落款が押してあるんです。
↑ 最初のシーンに描かれているのは、おそらく浅草寺でしょう。その脇から続く日本堤(吉原土手)を、駕籠や徒歩で遊郭へ向かう様子が描かれています。
吉原の大門を抜けると、怪しい男性客の集団や若衆、中間や小者などの家来など、それに遊女と思われる女性たちが色鮮やかに描かれています。
↑ 絵を拡大して一人ひとりを見ていくと、それぞれに設定があるように生き生きとしています。男性客は扇などで口元を隠していますね。吉原が、浅草の観音裏に移ったばかりの時代だからか、客は二本差しの武士階級がほとんどです。
ほぼ坊主頭なのに、頭の後ろにちょこんと小さく髷を結うヘアスタイルは、「糸鬢」と言うそうで、江戸の初期に中間や侠客などに流行っていたのだとか。
↑ 画面の上の方には、縁側で若衆と肩を寄せ合っている男性2人がいます。糸鬢のような髪を短くしたスタイルもですが、江戸の初期には、戦国時代から引き続いて男色も盛んだったと言います。ただし、遊郭に男性同士でしけこむというのは、どういうことなんでしょうね。現在のショートタイム設定のあるホテルのような、部屋を貸す場所があったのでしょうか。
↑ それにしても、この頃の二本差しは、二本とも刀がすごく長いことに驚きます。これもまだ戦国のトレンドを引きずっているのかもしれません。
↑ そんな武士たちの方へ歩いてくる女性たちは、遊女でしょうか。先頭の赤い着物を着た方は、どこかで見たことがあるような気がするのは、気のせいでしょうか。わたしは、菱川師宣筆の『見返り美人(半面美人)』を思い出してしまいました。
建物の屋根を取っ払って、部屋の中まで描くのは、これまでの源氏絵などのスタイルを踏襲していますね。菱川師宣が、狩野派や土佐派などの画技を学んだというのも大いにうなずけます。
↑ 上の画面にも気になる人たちがたくさんいます。例えば、右下の男性4人の一団や、格子窓を覗いて遊女と話している二本差しの侍、左下でそれに黒い羽織を着た男性などです。
↑ 格子窓の向こうにいる女性たちは客を待つ遊女でしょうか。笠をかぶった侍と話し込んでいる赤い着物の女性は、格子を手で握りつつ顔を出していますね。「後生だから、わたしで決めておくんなんし」とでもお願いしているのかもしれません。それにしても着物の柄が、細かいところまでデザインされています。『見返り美人図』もですが、菱川師宣は、本当にディテールまでこだわる絵師です。
↑ 集団の真ん中にいるのは、前髪があることから元服前の若衆です。その前を先導するように歩くのは、家来でしょうか。後ろを歩く2人は中間や小者といった感じでしょう。2人とも草履を手にして裸足で歩いていますね(雨上がり? もしくは単に消耗させないためか?)。
↑ わたしが一番気になったのは、吉原に来ているにしては、少し緊張感のある雰囲気の、この黒い羽織の侍です。この人も髷は糸鬢にしています。後ろを振り返り、若衆の一団を見つめているようですが……お巡りさんかもしれません。ただし、吉原は町奉行所の管轄ではなかったようなので、与力や同心ではないのでしょう。もしかすると若衆の一団が、ほかの人たちと異なり、扇子などで口元を覆っていないことが気になっているのか、注意しようか迷っているのかもしれない……と推測してみましたが、どうなんでしょう。
それにしても刀も羽織も、ものすごく長いですね。
↑ 展示されている部分に限れば、座敷で三味線を弾いているシーンが最後になります。2人が三味線を弾き、もう2人は歌を歌っているようです。それを聞いている男性2人は、やはり身元がバレないようにするためなのか、一人は扇子で口元に隠しています。もうひとりはと言えば……羽織で頬かむりしています……そんなに隠さなきゃいけないんですかね。
■後半の芝居小屋の様子は見られず……
絵巻は、このあと演劇…つまりは芝居小屋の舞台とその裏側が描かれていくはずなのですが、今回の展示では見られませんでした。そこでトーハクのアーカイブサイトを確認してみると、『北楼及び演劇図巻(部分)』の後半部が掲載されていました。
左右2つの舞台が描かれているようですが、芝居の門外漢のわたしには、どんな話のどのシーンが描かれているのかは分かりません。解像度も低いので、ディテールまで見られませんが……気になるのが観客の2名が、ひょっとこのようなお面をかぶっている点です。当時はお面をかぶって観劇するのが流行ってた?……まさかね……。
■『見返り美人図』はスピンオフ作品だった?
菱川師宣の『北楼及び演劇図巻』には、前述の通り『見返り美人図』のような女性が何人も登場します。もっと言えば、菱川師宣または彼の工房で製作された作品には、そうした女性が何人も登場しているんです。
小説の挿し絵も含めて、物語の一つのシーンの中で、女性を描いてきた菱川師宣は、どこかの段階で「魅力的な女性を描ければ、物語や背景がなくても売れる」と踏んだのでしょう。もしくは版元が「菱川さん、今度は女性一人を描いてみないかい? 一人を丁寧に描けば、あんがい売れるんじゃねえかって踏んでるんだが、どうだい?」と言われたのかもしれません。それで、スピンオフのような形で描いたのが『見返り美人図』だった……と考えてもおかしくなさそうです。
そうして描いた『見返り美人図』が大反響! だったんですよね? それで、弟子たちも含めて、女性をピンで描くスタイルが定着していった。そして浮世絵では、女性の美人図だけでなく、歌舞伎役者や茶屋の人気店員などもプロマイド的に描かれていく……そうした流れだったのかもしれません。
■過去に展示されていた2つの“伝”菱川師宣
これまで何度か菱川師宣の作品をトーハクで観覧しましたが、その中の、記録に残っている2点を貼り付けておきます。いずれも“伝”菱川師宣なので、本人の手によるものなのか弟子たちによるものなのかは判然としていません。
まずは『四季風俗図巻』です。
もう一つが『浮世人物図巻 下巻』。こちらも“伝”菱川師宣作品です。
↑『四季風俗図巻』の最後に撮ったシーンを見ていると、これは菱川師宣ではないな……という気がしてきます。なんだか動きが硬いというか……動きのバリエーションが少ないですよね。
登場する見返り美人っぽい女性も、なんだか“美人”っぽさが足りていないような……。いちおう比較してみました……腰のくねり具合に、妖艶さが足りない気がしてしまいます(笑)