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トーハクの新収品展(3)〜2億円土偶で有名なコレクターが寄贈した菩薩立像〜

令和4年度(2022年度)に、新たに東京国立博物館(トーハク)に収蔵された品々の、お披露目会が開催されています。場所は本館(日本館)の2階、「特1室」と「特2室」です。

■有名コレクターが寄贈してくれた《菩薩立像》

タイトルに「2億円の土偶」などと、たいへん無粋な書き方をしてしまいましたが……やはり我ら庶民からすると、品物の価格って気になりますよね。特に手に取って肌で触れることができないモノの価値って、値段にすると分かりやすいです。

それで、なにが2億円だったかと言えば、2015年にサザビーズに出品された、井上恒一(つねいち・1906~1965年)さんのコレクションの一つである、土偶です。その落札価格が、当時の日本円換算で2億円だったんです。井上恒一さんは、他ネットの情報によれば「夏目漱石、川端康成をはじめとした文豪、文化人との交友を通じて古美術品の収集を熱心に行っていた収集家」とのことです。

サザビーズのHPより
目元や口元、乳房、それになだらかに下がった両肩などが、ほか遮光器土偶とは異なり、独特です

その土偶と同じく、井上恒一さんのコレクションが、新たにトーハクへ所蔵されることになりました。中国・唐時代の《菩薩立像(ぼさつりゅうぞう)》です。

《菩薩立像(ぼさつりゅうぞう)》中国甘粛省 | 唐時代·7~10世紀|塑造彩色・井上恒一氏寄贈

展示室の入口にドドーンと展示されていることもあって、オーラがすごいです。

CTスキャンによってこの菩薩像を調査した結果、頭部の下半分から脚まで、そして両腕などにそれぞれ心となる木材があり、その周りに土を貼り付けて製作されたことがわかりました。こうした製作技法から、この菩薩像は中国甘粛省の石窟寺院にあったものと考えられます。

解説パネルより
《菩薩立像(ぼさつりゅうぞう)》中国甘粛省 | 唐時代·7~10世紀|塑造彩色・井上恒一氏寄贈

作られてから少なくとも10世紀以上が経っているのに、こうして色が残っていて、こうしてしっかりと立っているだけで、すごい奇跡みたいなものを感じます。トーハクに来てくれてありがとう! と、思わずにはいられません。

《菩薩立像(ぼさつりゅうぞう)》中国甘粛省 | 唐時代·7~10世紀|塑造彩色・井上恒一氏寄贈
《菩薩立像(ぼさつりゅうぞう)》中国甘粛省 | 唐時代·7~10世紀|塑造彩色・井上恒一氏寄贈
《菩薩立像(ぼさつりゅうぞう)》中国甘粛省 | 唐時代·7~10世紀|塑造彩色・井上恒一氏寄贈

次回は、こんな単独の展示ケースで観られるかわからないので、後ろのお姿も記録に残しておきました。やや頭部が大きめのようにも感じますが、首から下のシルエットが、スラリとして良いですね。

■使い方を初めて知った銅戈(どうか)

銅戈(どうか)は、古墳の副葬品としてトーハクの東洋館にもたくさん展示されていますが、実際にどういう武器なのかを知りませんでした。なんとなく、柄の先に槍(やり)のように装着するのかなぁと思っていましたが、今回の新収品にある銅戈(どうか)の解説パネルを読んでビックリ。「柄に垂直に装着」するものなのだそうです。

《中細形銅戈(どうか)》出土地不詳 | 弥生時代 (中期)・前2~前1世紀 | 青銅製・井越わかば氏寄贈

いまひとつイメージがわかなかったので、調べてみても「どうやって使うのか」を説明しているサイトってほとんどないんです。日本では実戦用ではなく、祭祀用としてしか用いられなかったからでしょうか。数少ないイラスト入りの説明が下記サイトにありました。

前述のサイトのイラストをもとに再現したイラスト

中国では、これを実戦で使っていたそうです。Wikipediaには「元来は戦車などでの戦闘で適した形状として発達した武器」とありますが、激しく動く戦車の上から、銅戈を振り回してバッサバッサと敵を斃していく……というのが、どうにも想像できません。例えば人の首に戈が引っかかったら……取れるまでいかないまでも、グラグラとしちゃうんじゃないかなと。まぁでも祭祀用となったとはいえ、朝鮮半島や日本にも広がったほどの武器なので、なにか有効な使い方があったのでしょうね。

さて、今回新たに収蔵されることになった銅戈は、トーハクの前身である東京帝室博物館の歴史課長を務めた、高橋健自さんの旧蔵品です。同館で武器形の青銅器研究の礎を築いた方なのだそうです。

《中細形銅戈》出土地不詳 | 弥生時代 (中期)・前2~前1世紀 | 青銅製・井越わかば氏寄贈

■霊力で持ち主を守るインドネシアの《クリス》

《クリス》は、東南アジア……インドネシアのマドゥラ島の鉄剣です。解説パネルには「霊力で持ち主を守護し、持ち主の威信を象徴するもの」とあります。

剣身は、金属を重ねた木目金風の地鉄。 彫刻を施した象牙の柄が、同剣が作られたマドゥラ島の特徴なのだそうです。

《クリス》インドネシア、マドゥラ島 | 20 世紀 | 鉄、 木、 象牙、 真鍮・金子紀昭氏寄贈
《クリス》インドネシア、マドゥラ島 | 20 世紀 | 鉄、 木、 象牙、 真鍮・金子紀昭氏寄贈
《クリス》インドネシア、マドゥラ島 | 20 世紀 | 鉄、 木、 象牙、 真鍮・金子紀昭氏寄贈

寄贈者の金子紀昭さんを調べてみると、同名の方で、塩見政誠作の《竹雉子蒔絵料紙硯箱》や伊万里の《色絵花鳥図大皿》を寄贈された人として、トーハクのサイトで見受けられます。

Pisau pedang besi yang digunakan di Asia Tenggara, "Kris," melindungi pemiliknya dengan kekuatan spiritual dan menjadi simbol kehormatan pemiliknya. Bahan dan desain gagang dan sarung mencerminkan ciri khas daerah. Mata pedang pada alat ini terbuat dari besi dengan motif kayu berlapis logam. Pegangan berukir dari gading adalah ciri khas Kris dari Pulau Madura.

パネルの解説をインドネシア語に訳しました by ChatGPT

■チベット仏教のダーキニー(荼吉尼天)

こちらもの《ダーキニー立像》は、インド周辺のものかと思いましたが、意外にもチベット仏教の守護尊でした……正確には「守護尊と呼ばれる仏の妃」とありますね。日本語では荼吉尼天(だきにてん…漢字は当て字なので色んな表記があるようです)。

え? ということは、女性の像なんですね。もともとインドの土着神が仏教やヒンドゥー、チベット仏教などに採り入れられて、日本にも密教の仏教で伝来して、稲荷信仰と混同されて習合したそうです。

《ダーキニー立像》中国 | 清時代・18~19世紀 | 銅造、 彩色
《ダーキニー立像》中国 | 清時代・18~19世紀 | 銅造、 彩色

解説パネルには「髑髏杯と包丁を手にし、人頭を連ねた飾りをかけて裸で踊る姿に表わされます」

在藏传佛教中被称为守护尊的茶吉尼,手持骷髅杯和匕首,身上戴着串联人头的饰品,赤身裸体地跳舞。这些作品由黄铜制成,甚至在细节装饰上都展现了精致的表达,应该是在佛教在中国流行的清朝时期制作的。底座可能是再利用的。

བོད་བརྒྱུད་ནང་བཟང་འཇུག་མི་འཆར་བ་སྟོང་བྱེད་སྨན་པ་ལུས་བསྐྱེད་ཀྱིས་ཐག་པ་དང་ནང་དཀྲོའི་བརྩེའི་བར་མེད་སྨན་བྱེད་སྐད་སྟོང་བ་གཅིག་པའི་ཡིག་ཆ་དང་གྲགས་པ་ནང་བྱེད་སྨན་བྱེད་སྐད་སྟོང་བའི་ཆོས་སྒྲིག་འཛིན་སྟེང་བསྲེས་པའི་སྒྲིག་སྟེང་བྱེད་སྐད་ཡིག་ཆ་དང་འགྲགས་པ་ནང་བྱེད་སྨན་བྱེད་སྐད་ཡིག་ཆ་སྟོང་བའི་ལས་འགུལ་འདི་གཅ

ChatGPTで中国語訳とチベット語訳

■鎌倉時代の紙製のお皿

鎌倉時代に作られた《紙胎漆塗彩絵華籠(したい うるしぬり さいえ けこ)》は、もともと愛知県の万徳寺にあったものだと言います。

《紙胎漆塗彩絵華籠(したい うるしぬり さいえ けこ)》
鎌倉時代・13世紀 | 紙製漆塗 愛知 万徳寺旧蔵 | 瀬津由紀子氏寄贈

解説パネルには「仏教の法会ほうえにおいて、場を清めるために花などを散らす散華さんげで用いる籠」と記しています。あぁなるほどと思いました。お皿のような形状なのですが、皿の周囲に穴が開いていたため「これは使いづらそうな皿だな」と思ったからです。

《紙胎漆塗彩絵華籠(したい うるしぬり さいえ けこ)》
鎌倉時代・13世紀 | 紙製漆塗 愛知 万徳寺旧蔵 | 瀬津由紀子氏寄贈

しかも「紙を貼り重ねて漆を塗り、彩色して作られ」ているとあって2度ビックリ。まさかの紙製でした。「類例は本作含め10口が知られ、うち愛知・万徳寺が所蔵する6口は重要文化財に指定されている」そうです。類例というのは、おそらく紙で作られている「華籠(けこ)」ということなのでしょう。

その愛知県稲沢市の万福寺(萬福寺)を調べてみると、ありました……重文の華籠(けこ)に関する詳細な説明が記されている箇所が。それはおいておき、万福寺は、NHK大河『鎌倉殿の13人』で中村獅童さんが演じた、梶原景時の猶子・常円を中興の祖としています。本堂などは1969年に火災で焼失してしまいましたが、室町期に建てられた多宝塔や鎮守堂は残っているようです(ともに重文)。もしかすると、この本堂などを再建する際に、この《華籠(けこ)》の何枚かを手放したのかもしれませんね(あくまで推測です)。

《紙胎漆塗彩絵華籠(したい うるしぬり さいえ けこ)》
鎌倉時代・13世紀 | 紙製漆塗 愛知 万徳寺旧蔵 | 瀬津由紀子氏寄贈

寄贈された瀬津由紀子さんの父親は、どうやら骨董店を営んでいた方のようです。瀬津由紀子さんは、骨董店を引き継ぎつつ、メディア運営をされている……その方が、今回の寄贈者なのかも推測の域をでません。

■2世紀の地中海で作られたガラスの三連瓶

新収品の展示場で、遠目に見ると「なんかグチャッとした変なものが置いてあるぞ」と違和感すら感じたのが、この《ガラス三連瓶(さんれんへい)》です。名前を読んで、ガンダム世代のわたしなどは《黒い三連星》を思い浮かべてしまいました。

《ガラス三連瓶》地中海東岸|ローマ時代・2世紀・3口の吹きガラスを溶着
白寄暹氏寄贈

へんてこな形だなと近づいていき、解説パネルを読んで納得。3つのガラス瓶(びん・へい)を合体……溶着させたものです。そもそも2世紀に、地中海の東岸……ギリシアとかですかね?……では、ガラスで器が作られていたんですね。たしか考古館に、古代に作られて日本に渡ってきたガラスの器がありましたが……こんな作るのが難しそうなものまで作っていたとは。

解説パネルにも「遊び心のあるデザインとそれを実現させる職人技によって付加価値がつけられた一品であったといえます」と、記されています。

《ガラス三連瓶》地中海東岸|ローマ時代・2世紀・3口の吹きガラスを溶着
白寄暹氏寄贈

寄贈された白寄暹さんは、具体的にどんな方かは分かりません。ただ、特徴的なお名前を検索したところ、この方かな? という人がいました。旧制の前橋医科大学(現:群馬大学医学部)を昭和29年に卒業。令和2年(2020年)5月18日に亡くなられたようです。白寄さんは、この《ガラス三連瓶》を、どこで手に入れたんでしょうかね。

■生きているみたいな金魚の帯留

小さくてきれいな、いくつかの帯留が展示されていました。その中でも、かわいらしいなと思ったのが、この金魚です。

《金魚牙彫彩色带留(きんぎょ げちょう さいしき おびどめ)》
安藤緑山作 | 昭和時代 20 世紀 | 象牙、彩色
島津馨子氏寄贈

制作者の安藤緑山 (1885~1959) は、 牙彫刻 (牙彫) の分野で活躍した彫刻家だということ。物や野菜などを細密に彫ることを得意とし、象牙に色付けしている展が何よりの特徴です。制作された当時は、その象牙に彩色するというのが一般的ではなかったこともあり、それほど高い評価を受けられなかったとか。改めて「これってすごくない?」と、注目されるようになったのは、ごく最近のことのようです。

いやまぁ、ひと目見れば、その超絶技巧が分かります。

Wikipediaに面白いことが書いてありました。安藤緑山(りょくざん)さんは、気難しい性格で、弟子も取らず、子供たちも彫刻家にはなりませんでした。そうしたこともあり、再注目されるようになっても「謎の牙彫士」とされていたそうです。そんな2017年に、三井記念美術館で「驚異の超絶工芸!明治工芸から現代アートへ」展が開催。ポスターには、安藤緑山さんの「胡瓜」という作品が起用されていました。その駅貼りのポスターを見かけて「あれ? これ、おじいちゃんの作品じゃない?(ではなく、おそらく「あれ? おじいちゃんの名前が書いてある…なんで?)」と思った緑山さんの孫は、インターネットで調べて「へぇ……おじいちゃんて、そんなすごい人だったのか」と知り、美術館へ手紙を書いたのだそうです。そこから、聞き取り調査が進められたとか。本当に最近の話でびっくりです。

三井記念美術館「驚異の超絶工芸!明治工芸から現代アートへ」展のパンフレット

なお、緑山さんは生まれた浅草を皮切りに、下谷御徒町→雑司が谷→向原と転居。うちのおじいちゃんとも会ったことがあるかもな……なんて思いましたが……まぁそれはないな。

なお、今年2023年の9月12日からは、その「超絶技巧」シリーズの第3弾「超絶技巧、未来へ!明治工芸とそのDNA」が開催されるそうです。観に行きたいな…。

■「まるで生きているよう」な人形

こちらも「まるで生きているよう」と思ってしまう、二代平田郷陽作《衣裳人形 薬玉(くすだま)》です。さすがに大きさが腰の高さくらいの作品なので、「生きてる!」とは思いませんが、すごいリアリティです。

二代平田郷陽作《衣裳人形 薬玉(くすだま)》
昭和8年(1933) | 木、胡粉彩色、絹ほか
平田多恵子氏寄贈
二代平田郷陽作《衣裳人形 薬玉(くすだま)》
二代平田郷陽作《衣裳人形 薬玉(くすだま)》

女性が掲げる薬玉(くすだま)には電球が仕込まれていて、光るようになっていたそうです。いやぁ……作品は間違いなくものすごいものだとは分かるのですが……あまりにもリアル過ぎて、暗い部屋でこの人形が光っていたら、怖いだろうなぁと思ってしまいました……ごめんなさい。

二代平田郷陽作《衣裳人形 薬玉(くすだま)》

それにしても、リアルなのが顔だけではないんですよね。その着ている衣装も、まるで本物の着物みたいです。これも二代平田郷陽さんが作ったか…それとも別の方が担当されたのか……。

ちらりと見える左足も、なんとも肌感が……。これ、衣装を脱がして裸にさせたら、どうなってるんだろう? って考えてしまうのは不遜でしょうか?

二代平田郷陽作《衣裳人形 薬玉(くすだま)》

下の《木目込人形 子雀(こすずめ)》も、二代平田郷陽さんによるものです。一回り小さなこちらも、ヤバいくらいにリアルです。ただ、こちらの子供は、少しファンタジーっぽさが入っているため、可愛らしさが増していますね。やっぱりロボットで言われる、人に似すぎていて気持ち悪く感じてしまう「不気味な谷」っていうのはあるんですよ。

二代平田郷陽作《木目込人形 子雀(こすずめ)》
昭和時代 20 世紀 | 木、胡粉彩色、絹ほか
小川洋司氏寄贈
二代平田郷陽作《木目込人形 子雀(こすずめ)》
昭和時代 20 世紀 | 木、胡粉彩色、絹ほか
小川洋司氏寄贈

二代平田郷陽作の3つ目は《衣裳人形 泣く子》……こちらも超絶、赤ちゃんっぽい……。「うわぁ〜、泣かないでぇ」って、心がキュゥ〜ってなりますw

二代平田郷陽作《衣裳人形 泣く子》
昭和11年(1936) | 木、胡粉彩色、絹ほか
平田多恵子氏寄贈

二代平田郷陽(ごうよう)さんについては、プロフィール解説もされていました。

生人形師・初代安本亀八の弟子だった父の後を継ぎ、生人形師として修行しました。生人形とは、人間の姿を生き写しにした木彫彩色の人形で、江戸時代末期に見世物として人気があり、万国博覧会などにも出品されました。

大正13年(1924) に二代郷陽を継ぎ、帝展、文展、日展などで活躍。昭和30年(1955)、重要無形文化財「衣裳人形」 保持者に認定されました。人形に芸術性を求め、創作人形の一分野を切り開きました。

今さら気が付いたのですが、寄贈者は平田多恵子さんということで、きっと親族の方なんでしょうね。それなのに……わたしの感想が酷すぎますね……ほんと、ごめんなさい(でも、正直な気持ちなので…)。

こちらは大韓帝国時代の《文字絵屏風》です。「干支の文字絵かな?」と思って近づいていったのですが、様子が違うな……と思って解説を読んでみると、「儒教の徳目である、孝、悌、忠、信、礼、義、廉、恥の8字を図案にし、関連するモチーフを散りばめた」ものだそうです。

独特のゆるさが魅力で、裏面には解説が書かれているそう。朝鮮半島では、教育のために、子ども部屋などに置かれたそうです。

《文字絵屏風》
朝鮮 | 大韓帝国光武5年 (1901) 画: 紙本墨画淡彩 書 紙本墨書
金康垣氏寄贈
《文字絵屏風》
《文字絵屏風》
《文字絵屏風》
《文字絵屏風》

ちょこちょこと調べながら書いて、やっと書き終えました。

次回は、最後の“伝”雪舟の作品について触れたいと思います。

<関連note>








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