見出し画像

自己紹介【前編】

こんにちは。バンコク在住、1歳と4歳のわんぱく兄弟子育て中のHakuです。
自己紹介ということで、これまでの海外生活の遍歴を思い出の振り返りとともに記しておきたいと思います。

1. 2016年8月〜
はじめての海外暮らし、ピッツバーグ生活

ピッツバーグってどんな街?

夫の留学をきっかけに新卒から勤めた会社を退職し、ペンシルベニア州ピッツバーグでの新生活を始めました。
学生時代にそれなりに海外旅行へは行っていましたが、思えばアメリカへは未上陸。英語も学生時代それなりに学習して来たはずでしたが、触れるのはほぼ大学の授業以来といった状況での渡航でした。

はじめての海外生活、それまでは仕事に振り回される悶々とした生活で、退職した清々しさもあり、最初の二ヶ月くらいは旅行感覚で何をするにも新鮮に過ごしていたのを覚えています。

アメリカは日本人にも比較的馴染みのあるTrader Joe’s やWhole foodsといったスーパーがあり、ただ買い物するのに立ち寄るだけでも楽しいんですよね。
当時は子どももおらず、夫が大学に行っている間は自分だけの時間ということもあり、最初はたくさん歩いて街を探索していました。

ピッツバーグは鉄鋼王カーネギーの名とともに鉄鋼で栄えた街として有名ですが、
(日本製鉄によるUSスチール買収のニュースで、日本のメディアで久しぶりにピッツバーグの映像を見て懐かしくなった!)
大学や図書館、博物館など文化施設が多くあり、アメリカの中では治安も良いのどかな街でした。

東海岸のニューヨーク州の隣に位置し、冬はもちろん雪も降りますし、気温はマイナス14℃という経験したことのない寒さで、濡れたタオルを振り回すと凍るくらい(実際に試した笑)だったり。
四季もはっきりしていたので、夏はカラッと暑く過ごしやすくて、空気もキレイだったなぁ…とバンコクで暮らすようになって身に染みて感じます。

過ごしやすいピッツバーグの夏(2017年7月)


極寒でも街並みが美しいピッツバーグ(2017年12月)

英語学習について

当時はせっかくアメリカに来たのだから、英語を習得して帰りたいと意気込み、教会でボランティアでやっている英語クラスに顔を出したり、大学附属の語学学校で学んだりしながら、現地でできた友達との交流の中で、ひたすら英語を聞いて話すということを実践していきました。

周りには南米出身の人たちも多く、同じマンションで仲良くなったブラジル人の友達とは、よくバーベキューに誘ってもらって一緒に過ごしました。明るいラテン系のノリが心地よく、卒業の際はブラジルから親族を呼び寄せて卒業パーティーも開催してました。
(ちゃっかり夫婦で親族の集いに混ぜてもらったのは良い思い出。)

「How are you?」と話しかけられて何と返したら良いか分からない状態からの英語学習は、伸び代だけはあったので、約2年間で日常生活ではなんとなく英語が聞き取れて、簡単な応答はできるくらいにはなったと思います。

夫の勧めもあり、自宅での英語学習としては、レアジョブ(主にフィリピン講師とのオンライン英会話)で話す練習をしたり、図書館で子ども向けのリーディング教材を借りて来て読んだり、学習したフレーズは実践で通じるか試して、日常生活でよく使われている表現を真似したり、、、などを積み重ねていきました。

多少英語が理解できるようになってくると、ついネイティブスピーカーみたいに発音良く話したいという思いが強くなるものの、しかし実態はただ早口なだけで何と言っているか聞き取って貰えないこともしばしば。
発音よりもイントネーションだったり、ゆっくりと相手に伝わるように話すという方が大切なんですよね。未だに英語で話すときは焦ってしまうことが多いのですが、英語を使って生活することへのハードルが下がったのはこの期間があったからです。

2. 2018年8月〜
いざ西海岸へ!サンフランシスコ編

アメリカの広大さを実感

ピッツバーグ生活を終え、当初は日本へ本帰国の予定でしたが、カリフォルニア州サンフランシスコへ引っ越すことになりました。
サンフランシスコといえば、世界有数の観光地としても有名ですが、アメリカの中でも非常に治安が良くない地域ということで、果たして安全に暮らして行けるのか未知の不安もありました。

カリフォルニア州ではマリファナが合法ということもあり、あちこちでマリファナの香りが漂い、
(バンコクでマリファナの香りがするのは特定のお店の前を通った時かと思いますが、サンフランシスコではアパートでもどこからとなく漂ってくることが頻繁にありました。)
アルコールなのかドラッグなのか虚な表情で佇んでいたり、寝ているホームレスの方々も多数。街を歩くと使用済みの注射器が落ちているのを見かけるのも日常茶飯事でした。

アメリカはよく1ブロックで治安が大きく変わると言われますが、本当にその通りで、アパートのすぐ近所にも、昼間でも迂闊に立ち入ると危険だという地域がありました。
華やかな観光スポットがあって、あらゆる物価が高騰している一方で、ホームレスが多く凶悪犯罪が多発しているエリアが隣り合わせになっているという現実に、決してキレイな部分だけではないアメリカの闇を見た気がしました。

霧のサンフランシスコ(2018年9月)


海が近いのってすごく良かった。(2019年7月)

英語学習はどうなったか

カルフォルニア州では、シティカレッジで移民向けの英語クラスを無料で開講してくれていたので、引き続き英語のブラッシュアップを図るべく通うことにしました。このクラスが正直無料とは思えないクオリティで、ピッツバーグで学費を払って通っていた語学学校にも引けを取らない内容で驚きました。

シティカレッジということもあり、生徒は老若男女、国籍も本当にさまざまで面白かったです。ウクライナやロシア出身の移民のおばあさん方はよく気さくに話しかけてくれました。
(まさかあの頃出会っていた人々の母国同士で戦争が起きてしまうとは想像しませんでした。)
また、au pair(オーペア)というプログラムで、主にホームステイ先の子どもの保育や家事をすることで報酬を貰い、空き時間に英語を勉強するために通っているという若者も多くいました。

東海岸と西海岸の英語の違いを実感するようにもなり、実際にシティカレッジの先生が話す英語は、日本の学校のリスニングの授業でも聞き慣れていたような、お手本の英語といった印象があり、比較的聞き取りやすかったように思います。
(一説によると冬が寒い東海岸では、口をあまり開けず早口な英語を話す人が多いのだとか。)

その頃長男を授かり、出産に関する英語を学びたいと思い立ち、「英語を学習する」だけではなく、「英語で医療英語を学習する」クラスも受講していました。私は自分の通院の際に少しでも分かる単語やフレーズを増やしたいという思いがありましたが、ゆくゆくは医療に関する仕事に就きたいと思っている人のための導入クラスの意味合いもあったようです。

シティカレッジへは長男出産直前まで通っていましたが、産後間も無くアメリカも大変なコロナ禍を迎える時期となり、私たちも緊急事態宣言が発令された頃に日本へ本帰国となったため、クラスや学校がどうなってしまったのかは詳細分からずじまいです。
(ちなみに出産に関しては、アメリカとタイの出産の違いも含めて別途記事を書きたいと思っています。)

自己紹介として書き始めたものの、思い出の振り返りが止まらずに、予想外の長文となってしまいました。
最後までお読みくださりありがとうございます。
というわけで、日本への本帰国から現在のバンコク生活へと至る自己紹介【後編】へと続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?