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映画日記 『THE FOOLS 愚か者たちの歌』 ロックを生きる人々

『THE FOOLS 愚か者たちの歌』という映画を観てきた。フールズというロックバンドのドキュメンタリーだ。アップリンク吉祥寺。午後8時過ぎのレイトショーなのに満席だった。といっても60席くらい。客層は、若いカップルから70代まで満遍がなかった。


ロックで生き方が変わった人達


カメラは一つで、撮影者も監督も一人の人が兼ねた、こぢんまりとした映画だった。カメラは一つだから、別角度の映像がない。視線は、だから撮影者の視線一つだけだ。

画面は、照明やカメラ位置をコントロールして撮影したというよりは、ノー・コントロールというか、場当たり的で、その場で撮れた、といった感じの画面だ。照明で凝った演出がなされたインタビューシーンが一部あったが、それは撮影者の意図というよりも、インタビューされた被写体の意向に見えた。

映画館のスクリーンで観るには、かなり粗い画面だ。でも、ロック・バンドのドキュメンタリーだから、きっとそれでいいのだ。そういうふうに思わせる勢いのある画面だった。撮影に14年かけたというから、それなりの力作だ。

ロックバンドのドキュメンタリーだから、ライブハウスでの演奏シーンがたくさんある。撮影者は、バンドしか映さない。だからライブハウスの大きさとか、どれくらいのお客がそこにいるのか、といったことは、まるでわからない。

そのせいか、とにかく狭苦しい。畳6枚くらいのスペースで、バンドが動き回っているシーンがいくつも出てくる。そしてその狭いスペースはいつも沸騰している。

この画面を観ていて、突拍子もないけど、少女マンガみたいだと思った。昔の少女マンガは、顔とセリフだけで構成されるページが多かった。この映画の、人物ばかりを映す画面が、登場人物のバストショットだけの奥行きのないページで進行する少女マンガに、似ていると思ったのだ。

撮影者が少女で、あこがれの彼がフールズだ。なんてこじつけても、成り立ちそうな気がする。

演奏シーンの時は、画面の底辺に、歌詞がテロップで出る。必ず出る。音が聞き取れない(音質が悪いのか、ボーカルの活舌が悪いのか)ことへの配慮か、それともフールズの歌詞を大事にしたいと監督が思っているからなのか。でも歌詞を読むと、耳や目がおろそかになる、気が、私はした。

バンドメンバーや関係者のインタビュー・シーンも、一方向からしか映さないから(たいてい、そういうものだけど)、その部屋の大きさやそこのスペースの広さもわからない。けれど、背景の一部か全体から、そこが狭い店であったり、ダイニング・キッチンであったり、仕事場とか、どこかのお店の一角を転用していることがすぐに見てとれて、被写体の人たちの生活の場で撮影していることがわかる。

先日観た『ミスタームーンライト 1966 ザ・ビートルズ武道館公演 みんなで見た夢』のインタビュー・シーンは、まるで生活感のないオシャレな空間ばかりだったが、この映画のインタビュー・シーンからは、生活感が伝わってきた。

この映画には、ロックによって生活を変えられた人々が出ていた。というか、ロックによって生き方を変えた人しか出てこなかった。『ミスタームーンライト』は、ロック・ビジネスに携わる人々を取材した映画だったけれど、『THE FOOLS 愚か者たちの歌』は、ロックを生きている人を取材した映画だと言える。

日向の匂いのする男


『THE FOOLS 愚か者たちの歌』には、野外シーンもあまり出てこない。出てきても、季節を感じさせるカットとか、緑のみずみずしさとか、青い空とか太陽とか、そういった風景の描写はない。被写体はあくまでも人間で、野外はたまたま背景になっただけだ。

ライブが多いから、夜のシーン、人工照明のシーンばかりが続く。でもこのバンドの中心人物であるボーカルの伊藤耕という人は、カラッとした陽性の人で、人工照明より太陽が似合う男に見えた。

特に黒のタンクトップ姿でステージを動き回る伊藤耕は、とっても懐かしい顔をしていて、どこか見覚えがある人なのだ。

誰に似ているのかと思って考えたら、私が子供の頃、家の近所で見かけた人たちに似ていた。炎天下でも、ランニングシャツ一丁で作業に汗流す人たちだ。畑で農作業をやっていたり、道路を作ったり、家を建てたりしていた現場のおっちゃん達だ。伊藤耕は、彼等と同じ表情、肩をしていた。

彼等、野外労働者達からは、いつも日向の匂いがした。伊藤耕は、そういった日向の匂いがする人に見えた。そして笑顔がたまらない。こういう笑顔をされたら、太刀打ちが出来ない。

この映画ではそのように見えたが、実際の伊藤耕がどういう人物だったのかは、もちろん、わからない。

やめられないものとやめないものと


『THE FOOLS 愚か者たちの歌』は、伊藤がどこかの刑務所から出所してくるシーンから始まる。奥さんやバンド仲間が車に乗って出迎えに行くのだ。出所だから明るく、そしてみんな楽し気だ。

伊藤耕は、覚醒剤で服役していた。2017年に北海道の刑務所で亡くなった時も、覚醒剤が原因で服役していた。複数回、実刑を喰らっている。

何で何回も捕まるのだろうか?
バカなのだろうか。
何で覚醒剤をやるのだろうか?
私は覚醒剤をやったことがないので、まるでわからないのだが、覚醒剤は、気持ちがいいのだろうか?

覚醒剤は、昔は合法で、ヒロポンという名前で売っていたことは、私でも知っている。覚醒するための薬だから、仕事に励むために、締め切りに追われた流行作家なんかが使用していたらしい。

覚醒して集中力が長続きする薬だから、そんな薬を必要とする状態になる前に、私などは逃げ出している。それに、そこまでして仕事なんかやりたくない、と思う。そんな薬が、どうして気持ちよくなるのだろうか?

仕事のために使っていたとは思えないし、やっぱりよくわからない。

映画やドラマなどでは、禁断症状が出て、人間がボロボロになっていく様子や、逆上して無差別殺人犯になったりする展開が描かれているが、本当にあんな感じになるのだろうか?

関連書を読むと、テレビや映画のように凶悪犯罪に走ることはほぼなくて、自滅するケースが大半だと書いてある。そんな元気は残っていないのだ。場合によっては被害者がいない犯罪だ、なんて書いてあった。家族がいてまだ自立していない子供などがいると悲惨だが、覚醒剤の常習者は、加害も被害も自分一人に限定されることが多いらしい。

伊藤耕は、覚醒剤をどうやって使用していたのだろうか? 昔の映画では、水に溶かして注射器で血管に注入していたが、今は火であぶって煙にして吸引する描写が主流になっている。

伊藤耕は、どういう時に、覚醒剤をやっていたのだろうか? どんなヘマをして、捕まったのだろうか? なんで覚醒剤を必要としていたのだろうか? 伊藤耕は、覚醒剤をやめられなかったのだろうか? それともやめる気はなかったのだろうか?

映画で見た範囲では、伊藤耕はジャンキーには見えなかったし、反省しているようにも見えなかった。気持ちのいいことは何でもやる。覚醒剤もその中の一つだからやっている、そんな感じだ。私の憶測だけど。

悲惨な面もあったのだろうと思うが、この映画ではそういう場面は出てこない。薬物使用に関しても、この映画は一切、突っ込んでいない。

唯一、監督=撮影者が、奥さんに、質問しているシーンがあったくらいだ。覚醒剤をやっている旦那さんだと大変だったでしょう?とか、やめて欲しかったんじゃないですか?といった質問だ。

それに対して奥さんは、本人の問題だし、本人がやめようと決めなければやめられないでしょう、と毅然とした感じで答えていた。覚醒剤もひっくるめて私の旦那だ、って言っているようで、私はこのシーンに一番感動した。

それはそれとして、覚醒剤はなかなかやめられないらしい。本人がやめる決意をしていても、周囲が群がってくるという。

例えば覚醒剤で四回くらい逮捕されている田代まさしの本(監修したマンガだったかもしれない)を読むと、本人が服役後、更生活動として講演会をやっているときに、頑張ってくださいと握手を求めてきた一般の人が、実は売人だったりするらしい。握手するフリをして、手の中に覚醒剤のパケットを残していくのだそうだ。最初は、無料で用立てて、常習性をつけさてから、その後にゆすってくるという。

そういうことが避けられなくあるのだから、本人の努力だけで覚醒剤と縁を切るのは相当に難しい、ということらしい。

でも、そんなことがあってもなくても、伊藤耕は、あまり意に介さない、へっちゃらな人に見えるのだ。

伊藤耕は、フールズのファーストアルバム(1984年)の制作費も、薬物売買で捻出したようなことを映画の中で発言しているから、いわゆるドラッグとの付き合いは長いようだった。

1980年結成のロックバンド


「THE FOOLS」は、1980年に結成されたロック・バンドだ。解散や再結成、メンバーチェンジを繰り返しならが、2010年代まで続いていたが、主要メンバーであるギターの川田良が2014年に、ボーカルの伊藤耕が2017年に亡くなり、解散の危機に陥っている。が、残ったメンバーで現在も活動を続けているらしい、ことがこの映画を観てわかった。

私自身は、フールズのことはほとんど知らなかった。音源として聴いたことがあるのは、OTOがプロデュースした最初のアルバムくらいだが、あまり印象に残っていない。OTOがメンバーだった「じゃがたら」も含めて、ファンクっぽい音が、私は好きではなかった。

フールズの中心人物は、ボーカルの伊藤耕とギターの川田良らしかったが、私はもう一人のオリジナルメンバーであるギターの青木真一のバンドだと思っていた。青木は「村八分」という、これまた一部では熱狂的な人気を誇る破滅型バンドだ。

青木は、村八分を脱退して、いくつかのバンドを経て、フールズを結成し、その後、伊藤が服役で不在となったときに、フールズを解散して、川田以外のメンバー二人と、やはり村八分のメンバーだった山口冨士夫と「ティアドロップス」を結成している。私は、フールズも村八分も山口冨士夫も好きになれなかったけれど、ティアドロップスは、なぜか好きだった。

この映画では、川田良が、他のメンバーに対して、伊藤から山口冨士夫に寝返ったのは裏切りだ、みたいな発言をしていたが、青木真一は、もともと山口冨士夫と同じ村八分のメンバーだし、フールズの結成の声掛けも、青木が始まりだったと思うから、お門違いな気がする。

どうでもいいことだけど、この映画には青木真一が全く出てこないので、私は、少し、ガッカリしたのだった。青木はずいぶん前に引退して、やっぱり2014年に死んじゃってるから、この映画で何か情報があるのかな、と、少し期待していたのだ。

60歳でも太く短いと感じる人生


フールズが続いていることを知ったのは、伊藤耕が亡くなったニュースに触れた時だ。伊藤は、覚醒剤の罪で服役しており、獄中で病死したのだった。いや、裁判に関するニュースだったかもしれない。死因に不信を抱いた遺族が国を相手に裁判を起こしているというニュースだ。

この映画は、終盤になると、短期間にどんどん人が死んでいった。2014年の1月にギタリストの川田良が亡くなる。川田の代わりに入ったギタリストの大島一威が9月に亡くなる。映画では直接描かれなかったけど、暮れには、青木真一も亡くなっている。そして2017年の10月に伊藤が亡くなる。

2020年2月にはドラムの高安正文が亡くなっている。みんな60代に入ったばかりで亡くなっている。最近では60代で亡くなると、早いと感じてしまう。

この映画では誰も彼もが煙草を吸っている。今時、こんなに煙草を吸う人が出てくる作品は珍しい。酒も飲んでいるようだ。明らかに脳梗塞後のリハビリ中の人もいた。

この映画に出てくる人達は、年齢の割にみんな老けて見える。不摂生をしていると、肉体的な衰えは早く訪れるのだろう。でも、彼等の人生は、短くても太いからよいのだろうか。私は酒も飲めないし、煙草もやめて20年以上になるし、ゆるゆるで長生きしたいなと思っている。なんだかな、だ。

お葬式の場面もいくつか出てくる。伊藤耕の告別式では、棺の中の顔も映る。息子が挨拶をしている。立派なあいさつで、胸を打たれる。横に耕の奥さんがいるのだけど、母と子には見えない。どーでもいいか。

男たちは好きなことをやって、とっとと死んでいって、残されたのは女の人達だ。妻やパートナーや姉だ。みんな古いしがらみや日本的な家族観からは自由であるようでいて、実は女の人が支えていたのかもしれない、と思った。

でも、そう感じるのは、私の中に古い価値観があるせいかもしれない。彼女たちも、男達と同じように、自由に、好きなことをやっているのかもしれない。

自由を生きてまっとうする


映画はとてもよかった。フールズというバンドの音楽は、スタジオ録音盤は行儀が良くていまいちだけど、この映画に出てくるライブの音はかなり魅力的だった。なにより川田のギターの音がよかった。これまで聴き逃してきたことを後悔させるくらいのギターだった。

フールズは、コマーシャリズムに背を向けた孤高のバンド、みたいな言われ方をしているが、単に面倒くさかっただけだと思う。普通のロックバンドは、よりたくさんの人に、より広い地域の人に、自分たちの音楽を届けたいと思って、そうなるようにいろいろな活動をしている。

そのいろいろな活動は、いろいろだから社会的な活動になる。社会的な活動は、制限とかルールに則してやらなければならないから、ますます面倒くさくなる。そういう面倒くさいことをやらない自由もある。やらない方を選んだのがフールズだ。

でも、やらない自由を選ぶ人は、滅多にいない。やらないと、商売(職業)として成り立たないことの方が多いし、社会から外れたりぶつかったりすることが多くなるからだ。そういうリスクは、それはそれで面倒くさい。

フールズもその意味ではコマーシャリズムに背を向けたことになるのだろう。でも、伊藤や川田は、多分、メンドーだから選ばなかったのだと思う。

そして、多分、こっちの自由の方が本来の自由なのだと思う。そもそも自由は、相対的なものではなく絶対的なものであるはずだ。その人の絶対的な自由は、他の人の自由に必ず抵触する。社会ともぶつかる。絶対的な自由はそういうあやうい、シンドイものなのだ。

たまたま東京はでっかいから、そういう自由を体現できるスキマがあったのだと思う。そういう自由をやっていても、ビンボーだけど飢え死にしないだけのヨユーを提供出来ていたのが、大都会東京なのだと思う。伊藤耕や川田良は、東京でそういう自由をまっとうした稀有なミュージシャンだったのだと思う。……私が書くと、褒めているのか、腐しているのかわからなくなるが、自分としては憧れというか、畏怖しているのだ。







奥さんが起こした訴訟は、なんと今月に和解が成立している(2023年2月7日)。国が遺族に4300万円の賠償金を支払うという内容だ。全面勝訴に近い。 合掌。




PS.
「弁護士ドットコム ニュース」というサイトで、伊藤耕の奥さんと、担当弁護士二人のインタビューを見つけた。


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