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読書日記 沢木耕太郎/藤圭子『流星ひとつ』 野心と本音とうたの力

沢木耕太郎・著 『流星ひとつ』 新潮文庫 をいまさらながらに読んだ。単行本が出たのが2013年だから、その時に買って、ちらっと読んで、その後、読んでいなかった。家のどこにあるかわからなかったので、文庫本を買ってきて読んだ。

1 お蔵入りしていた『インタビュー』

歌手の故・藤圭子とのインタヴューを一冊にまとめた本だ。藤圭子は、岩手の一関に生まれて、すぐに北海道に引っ越して岩見沢で育った。父親は浪曲師だったという。戦後、歌謡曲が生まれる以前というか、テレビが普及する以前は、浪曲が全国的な娯楽だったのだそうだ。

私の生まれるほんの少し前のことだが、全く想像ができない。浪曲は、巡業やラジオで絶大な人気を誇っていたという。山口組が運営する神戸芸能社は、最初、浪曲の広沢虎造の一門をマネージメントすることから始まっているというから、そうだったのだろう。

藤圭子は、18歳でデビューして、10年間活躍して、28歳で引退した。その引退するという報を聞いて、少しだけ面識のあった沢木耕太郎が、藤圭子に取材を申し込み、インタヴューが実現した。インタビューは、1979年の秋に行われ、その一日のものがメインで、補足取材が行われ、その後、半年間をかけて、原稿用紙500枚にまとめられた。

当初、『別冊小説新潮』に一挙掲載し、その後、単行本で出る予定だった。が、引退後の将来、藤圭子の気が変わって復帰するとなった場合、引退を強く表明しているこのインタヴューが足かせになるのでは、等の危惧から、お蔵入りとなる。

その頃、タレント本のようなノンフィクションのような本が、一つのブームになっていた。先鞭をつけたのは、1978年7月に出た矢沢永吉の『成り上がり』だ。これは糸井重里がインタビューして、矢沢の一人語りの形で本にしたもので、一気に100万部のセールスを記録している。

1979年の4月には松山千春の『足寄より』が出て、こちらも数十万部を売っている。そのほか、いろんなアーチストが語り下ろした本が出版されて、それぞれがそこそこの売り上げを記録していた。

そして、1980年の9月には、山口百恵の『蒼い時』が出ている。芸能界の引退と絡んだ出版で、200万部の大ベストセラーになった。こちらは山口百恵本人が執筆したとされるが、企画編集に携わった残間里江子がクロースアップされている。

藤圭子のインタビュー本が企画されたのは、ちょうどこの時代のことだ。藤圭子という歌手の引退と、沢木耕太郎という、大宅壮一賞を獲った新進気鋭のノンフィクション・ライターの本として、そこそこのセールスは見込めたのではないと思う。

2 藤圭子の死で封印を解かれる


沢木耕太郎と藤圭子の本は、その後、2002年に文芸春秋社から出た沢木耕太郎ノンフィクション選集に初収録されそうになるが、諸般の事情により、この時も見送られている。

その後、 2013年8月22日の藤圭子の投身自殺の報を受け、沢木耕太郎が刊行に動き出す。

「幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。」という宇多田ヒカルのコメントを読んだ沢木が、こんなに輝いていた藤圭子さんがいたんだよ、と、本書を公開する意義があると思い直した、といったようなことが、あとがきに書いてある。

没になっていたものが、藤圭子の突然の自死によって、日の目を見るようになったという、経緯をたどった本だ。なんとなく西川一三を描いた『天路の旅人』に似ている。が、『流星ひとつ』は、1980年には完成しており、それの出版だから、ちょっと違う。

『流星ひとつ』が出版されたのは、藤圭子の死後、2、3か月後だから、かなり早い。ゲスに考えると便乗商売と思えなくもないが、沢木耕太郎だから、義務感のようなものが勝っていたのだと思う。

没にした理由の一つが、まとめ方の問題だった。沢木は、通常のインタヴューと異なって、「」であらわされる会話文のみで、本書を構成しようとした。地の文とか説明、描写が一切ないのだ。当時の沢木耕太郎は、ノンフィクションの新しい「方法」を模索しており、会話体だけで書ききるという、実験作だった。タイトルも当初は『インタビュー』だった。

私がテキトーに邪推すると、沢木は取材対象への興味より、自分の方法へのこだわりの方が勝っているのではと、ビビったのだと思う。沢木の表現欲が、取材対象=藤圭子の引退を利用したのではないか、という不安だ。自分の強引さや野心が、取材対象をゆがめているのではないかという不安だ。きっと、ゆがめたという自覚もあったのだと思う。その気持ちが少しでもあったから、いさぎよく出版を諦めたのだろう。でも、このいさぎよさは、すごいなあと思う。

3 インタビューというより対談本


実際に、本になった『流星ひとつ』は、藤圭子へインタヴューした本というよりは、藤圭子と沢木耕太郎の対談本になっている。「」の会話文のみなので、途中まで読まないと、どっちの発言かもわからなかったりするから、話者を明確にするためにも、通常のインタヴューの再現作業のほかに、かなり手が加えてあることがわかる。

また通常は黒子となるか、要点を簡素にした質問者に徹するかするインタビューアーである沢木の発言も、会話形式を自然なものとするためだろうか、分量としてはかなり多くなっている。それもあって、藤圭子へのインタヴューというよりは、沢木耕太郎との対談になっているのだ。

現在から振り返って読むと、沢木耕太郎もノンフィクション界の大御所だから、藤圭子の対談者として遜色がないが、本書が1980年あたりに出版されていたら、印象はかなり違っていたと思う。糸井重里も残間里江子も黒子だったから脚光を浴びたのだ。本文という表舞台には立っていない。

実際に読んでみると、加工と編集が著しくて、この本をノンフィクションとして受け止めていいのか、ちょっと疑問も覚える。が、芸能レポーターの質問やあまたあるタレント本と明らかに違って、対等な立場で質問している沢木耕太郎は、どこまでも真摯な態度だし、それに精いっぱい自分のコトバで答えている藤圭子も、裏も表もなく、とても正直で、それこそ等身大の女性の姿を現している。

インタヴューではなく対談だから、意見や解釈をめぐって二人が対立する緊張した場面もあるし、公式見解とか非公式とかと関係なく、藤圭子から思いもよらない言葉を引き出してもいる部分もある。

今、手元にある文庫本の帯には、藤圭子28歳、沢木耕太郎31歳とある。若い二人のその時が、固定されていて、これはこれでいい本だなと私は思った。ところで、宇多田ヒカルは本書を読んだのだろうか?

4 その後の藤圭子とその娘の「うた」


今回、この本を読んで、ネットで藤圭子を少し見てみたら、引退後の1981年に藤圭以子の名前で復帰していることがわかった。その後も、ちょこちょこ歌手活動をしているが、本格復帰はしていない感じだ。

YouTubeで、森高千里の曲を歌う藤圭子の動画を発見した。

ウィキペディアの記事によると、日本で芸能活動をしてお金を作って、一家でアメリカに行くということを繰り返していたとある。このころの一家とは、藤圭子と夫の宇多田照實と娘の光だ。アメリカで、娘を歌手デューさせるということが、一家の夢だったようだ。

そして、実際に娘がデビューすると、母親は表舞台から完全に姿を消している。その後は、忘れた頃に、奇矯なふるまいで事件を起こし、ワイドショーなどで報道されるようになる。

私は宇多田ヒカルにはまるで興味がなくて、これまで聴いたことがなかったのだが、今回、YouTubeで何曲か聴いてみて、愕然としてしまった。

歌詞に出てくる「きみ」とか「あなた」って、お母さんのことを歌っているように聞こえるのだ。

『流星ひとつ』を読んだ直後だからそんな風に感じるのかもしれないけれど、涙が出てきて困った。なんだかんだ遠回りをして、宇多田ヒカルに辿り着いてしまった。最後の最後で、まともに説明がつかないけれど、この声とこのうたがありゃー、全部、オッケーだ! って思った。

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