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読書日記 大島新・著『ドキュメンタリーの舞台裏』 肝心の映画を観ないで本だけ読んだ

『ドキュメンタリーの舞台裏』(文藝春秋)という本を読んだ。著者は、映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』や『香川1区』の監督の大島新だ。この二つの映画は、現在立憲民主党の議員である小川淳也の姿を、選挙をメインに追った政治ドキュメンタリー映画だ。

私は二つとも見ていないのだが、小川淳也の本や関連本を数冊読んでいるので、結構、詳しい。だから、ちょっと、見てきたように書いてみる。

政治ドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』と『香川1区』


2017年の選挙は、民進党が小池百合子の希望の党と合流するなどの問題がでて、大いに揺れた選挙だった。前原誠司と近い関係だった小川は、前原にくっついて希望の党から立候補している。『なぜ君は』では、小池百合子に翻弄される様子や、票の取り合いになりそうな野党立候補者に出馬を取りやめるとうに電話をかけたりする小川の姿も撮られているらしい。


その結果、小川は選挙区では落選し、希望の党の比例復活で当選している。選挙後、民進党と希望の党が合流して新しく国民民主党が結成されるが、小川は参加せず、無所属となる。

映画『なぜ君は』が公開されると、原理原則を貫く愚直なまでに直球の小川の人柄が好感を呼び、妻や二人の娘も一丸となって選挙運動する姿が感動を呼び、政治をテーマにしているドキュメンタリーにも関わらず、映画がヒットする。それと共に、世間の小川の評価も上がってくる。

大島が小川を撮影しようと思ったそもそものきっかけは、大島と小川の妻が同郷で同級生だったことだ。それで大島が小川に興味をもって、撮影が始まっている。小川の最初の立候補から、17年の時間をかけて、『なぜ君は』は完成している。

撮影当初の小川は、一般的には無名だったが、この映画がヒットしたり、ライターの和田静香が、小川にインタビューして書いた『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』(左右社)という本が話題になったりして、知名度があがり、顔と名前が知られるようになっている。そうして迎えた2021年の総選挙を撮影したのが、『香川1区』だ。


こっちの映画は、香川1区を選挙区とする小川陣営と、対立する自民党の初代デジタル大臣の平井卓也の陣営と、有権者の、三者を軸に構成してあるという。平井卓也は、香川でテレビ局と新聞社を経営する一族で、地元では盤石の基盤を持っている。私が記憶しているのは、国会中に、スマホでワニの動画を見ていたことを弁明したり、デジタル大臣になってから、NECに対して、なめられたらいかん、脅しておこう、なとどと発言した姿ばかりだ…。

この時の選挙で、小川はやっと選挙区で当選している。一方の平井は、比例区で復活当選している。この映画も、ドキュメンタリーにしては、ヒットした。

この二つの映画は、私の家の近所ではかからなかったので、興味はあったが面倒で見に行っていない。メインの上映館だったポレポレ東中野は、実は苦手な映画館だ。なんで苦手なのか、…考えると面倒なので、やめる。

カメラは、ただ撮影するのか、それとも介入するのか


大島新は、映画プロデューサーでもある。『ぼけますから、よろしくお願いします。』のヒット・シリーズもプロデュースしている。だから現在の大島新は、ドキュメンタリー映画のヒットメイカーと言えなくもない。

『ぼけますから、よろしくお願いします。』も、評判の良い映画だが、私は最初のテレビ版をテレビ放送時に見ている。その時は、カメラを回している暇があったらやることがあるだろうと、批判的な気持ちにしかならなかった。今見たら違う感想を持つかもしれない。


私がいつも疑問に思うのは、ドキュメンタリーのカメラは、ただ撮影するだけの傍観者なのか、ということだ。一方で、カメラが介入することで、現実が意図的に変わる、ということもある。カメラは、撮影者なのか、それとも意図的に現実を変える活動家なのか、という問題だ。

例えば、『ぼけますから、よろしくお願いします。』のカメラは、撮影者に徹しているように見えた。逆に『ボウリング・フォー・コロンバイン』などのマイケル・ムーアは、積極介入型の活動家だ。ケース・バイ・ケースで、どっちがいいというわけではないが、日本のテレビのドキュメンタリーは、傍観型が多いような気がする。大島新がどちらのタイプなのかは、作品を見ていないので、わからない。この『ぼけます』シリーズも、続編を見れば、印象が変わるのかもしれない。

ドキュメンタリーの構成要素


本書によると、大島はもともとはフジテレビの社員だった。ドキュメンタリーやバラエティのディレクターをやっていたとあった。しかし、フジテレビのバラエティ体質が合わず、早々に退社して、独立している。

その後は、フリーのディレクターとして、フジテレビの『ザ・ノンフィクション』や毎日放送の『情熱大陸』、NHKの『課外授業 ようこそ先輩』などで、ディレクターを担当している。

独立したとはいえ、テレビのドキュメンタリーだと局の方針やスポンサーの意向、固定された放送時間による長さの制限など、様々な制約があるので、好きなようには作れないらしい。ということで、作りたいものを自由に作ることができる映画作りに、大島は乗り出したのだ。

大島が映画の世界に参入したことで、同業者からは「ドキュメンタリー映画の世界に、テレビ的な面白さを持ち込んだ」と言われるようになったと言う。私は大島新の作品を見たことがないので、テレビ的な面白さがあるのかはわからない。

著者によると、ドキュメンタリーを撮るうえで最も重要なのは、「何を撮るか=企画」だと言う。ドキュメンタリーは、実際にある何かを取材することで成り立っている。そして、テレビなら、企画段階で、「放送する意義があるのか」「高い視聴率が取れるのか」という問題が重要視される。同時に、「なぜ、今、それなのか」ということも問われると言う。

ということは、小川淳也という魅力的で旬な取材対象に出会えたことが、大島には大きかったのだと思う。同時に小川では視聴率が取れないと、テレビでは企画が通らず、それが幸いして、映画となったのだ。

撮影という行為は、被写体=取材される人にとっては、異常事態だという認識を、著者は持っている。だから、取材=撮影している現場は、日常のようであって非日常な空間だ。そして、その現場で起きていることを、もっともふさわしい画角とサイズで、映像として切り取るということが、撮影だと言う。

もっとも適切に撮影するカメラマンには、監督との共通理解と、変化する現場で状況即応的に対応できる反射神経、優れた運動神経が必要とされるのだそうだ。

現場で取材をしていると、当初、想定していなかった事態が起きる。『なぜ君は』では、急に希望の党問題が起こったり、弱気になった小川候補が、票を食い合いそうになる野党候補に立候補をとどまってくれと電話をしたり、『香川1区』では対立する自民党候補から、選挙妨害を受けたりする事態が起きたという。それらを丸ごと撮影するのが、ドキュメンタリーの醍醐味らしい。映像に撮れなかったものは、存在しないに等しいのだ。

大島にとって、カメラで撮影するということは、非日常的で暴力的な介入でもあるらしい。自分被写が体となって映画の中に登場するのは、自分の当事者性を表明しているようなものらしい。

文章からは、大島新が、積極介入型のようには読み取れない。しかし、カメラが撮影することで、それを意識した被写体が変化したり、現場が変容することは、往々にしてあることだ。当たり前だけど、そういうことに常に意識している監督であることは確かだ。…と、書いてみたが、カメラの暴力性を意識していない監督なんているのだろうか? と頭の悪い私は、いつものようにだんだんドツボにはまってきた。

ドキュメンタリーはこうやって作られる


そうやって撮影した素材を、編集して、時には再取材して付け加え、時には大胆にカットして、まとめる。それが編集作業だ。その後、必要ならナレーションを入れ、必要ならテロップをいれ、必要なら効果音を加え、必要なら音楽を入れる。

これがテレビの場合、放送時間はあらかじめ定められているし、テーマ曲も決まっている。そして何より、最終的な決定権は、制作したプロデューサーではなく、テレビ局のプロデューサーにあるのだそうだ。フリーのディレクターは出入りの業者に過ぎないらしい。

そういう制約がいやで映画に進出したのだが、テレビのドキュメンタリーは、金銭面では安定していてとても楽なのだともいう。テレビは、最初に製作費があって、その額中で実際の製作費も自分たちのギャラも配分する。だから大きく儲かりはしないが、絶対に損はしない仕組みになっているのだ。

ところが最初から最後まで自分の好きに出来る映画は、制作費は自分で集めなければならないし、作った後は、配給会社に委託して映画を公開してくれる場所を探さなくてはならないし、上映したところで興行収入が上がる保証はないのだ。ある程度、観客が入らなければ、制作費も回収できないのだ。

映画を上映すると、入場料の半分が上映館に入り、残りの半分を、配給会社と制作会社とで折半するのだという。入場料が2000円だったら、制作会社には500円しか入らない。制作費に1000万円がかかっていたら、最低でも2万人の観客が入らないと、ペイ出来ないのだ。

そして、上映してみないと、客が入るか入らないからは、わからないのだ。映画は、今時、かなり博打性の高い商売だ。で、その博打に、大島新は、今のところ勝っているらしい。といったような、舞台裏と言われたら舞台裏だが、実はすごく常識的なことが書いてある本だった。


ちなみに、大島新の父親は、映画監督の大島渚だ。母親は、小山明子だ。
大島渚の方が息子よりも変な人で、面白かったなあ、と、大島新には悪いが、この本を読んで、最後に比較してしまった。

父・大島渚も撮っていたドキュメンタリー


大島渚も、テレビのドキュメンタリーを何作か残している。1963年のテレビ・ドキュメンタリー『忘れられた皇軍』は、在日韓国人の傷痍軍人会の人たちが、日本に補償を求めて、デモをしながら首相官邸や外務省に行ったものの、無視される様子などを撮ったドキュメンタリーだ。


『忘れられた皇軍』は、大島渚が亡くなったあとに、テレビで再放送されたのを私は見ている。30分弱のドキュメンタリーだったが、目が見えない人や、手や足が不自由な人が、デモをして歩いている姿の強烈なインパクトと、それを無視する一般の通行人の様子や、行政や世間を告発するナレーションに、胃がミシミシいうような落ち着きのなさを覚えたドキュメンタリーだった。今、確かめたら、YouTubeに全編があった! 

しかし、後からやらせのような演出がたくさんあったことを知り、それにもまた圧倒された記憶がある。

例えば、6分あたりの、行進のシーン。実際に歩いているところを撮ったのではなく、ドキュメンタリー用に、本人たちに再現してもらって、撮影している。例えば、17分あたりからの宴会のシーン。デモ行進が終わってから、ご苦労さん会のように宴会になったとナレーションされているが、実際には、当日はデモが終わって現地解散している。大島サイドが、撮影素材に物足りなさを覚えて、翌日に宴会をセッティングして、カメラを持ち込んで追加撮影したものだ。ここで撮れたのが、20分あたりの、目の見えない男が涙を流す有名なカットだ。

1990年代になってから、原一男との対談で、これらを指摘された大島渚は、「やらせとかそういうものではない」ときっぱりと言っていた。「俺がカメラを持ち込んだから、あのような化学反応が起きて、あの場面が取れたのだし、セリフがあったわけじゃなく、ありのままの彼らを撮ったのだ、だからドキュメンタリーだ」といった内容のことを言っていたと思う。

大島渚は、積極介入型のタイプで、それによって変化した現場を丸ごと撮った、ということなのだろう。

大島渚はセリフのある映画に対する考え方も強烈で、「劇映画は、俳優が演技をしている様子を撮るドキュメンタリーだ。下手な役者は下手なまま撮る。演技指導などしない」といった意味の発言をしている。そのため、大島渚の現場では、段取りだけ確認して、ほとんどリハーサルをしないで本番撮影になり、最初のテイクをOKにすることで有名だ。

大島渚の喋ることや文章は、刺激的でとても面白い。それに比べて、大島渚の映画は、どれもつまらない、というのが私の記憶だ。なんで映画を作っていたのだろうかと疑問に思うほど、大島渚の映画はつまらなかった。これについても、いつか考えてみようと思う。

結局、大島新の本を読んで、その感想文を書いている筈なのに、彼の父親の大島渚のドキュメンタリーを見たくなってしまった。確かテレビドキュメンタリーを10本くらい撮っていたと思う。どうやったら見られるのだろうか? なんだかハナシがどんどん逸れて、大島新よりも、大島渚の方が俄然面白かったという失礼な結論になった気がする。が、『なぜ君は総理大臣になれないのか』と『香川1区』を見れば、また違ってくるのだろう。

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