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読書日記 ヴィヴ・アルバーティン著『服服服、音楽音楽音楽、ボーイズボーイズボーイズ』女性版パンクという人生

ヴィヴ・アルバーティン著『服服服、音楽音楽音楽、ボーイズボーイズボーイズ』河出書房新社 を読んだ。この本は、英国の女性だけのパンク?バンド「スリッツ」のギターだったヴィヴ・アルバーティンが書いた自伝だ。

1 70年代の汚くて貧乏でぶっ壊れたロンドン


読んでまず驚くことは、60年代、70年代のロンドンの、労働者の家庭や母子家庭の暮らしぶりが、日本の当時と比べて、よりビンボーで、不潔で、セックスや暴力や薬物が、本当に手に届くところにいくらでも転がっていることだ。それらは何の疑問も持たれずに、子供から大人まで、普通の人々が普通に暮らしている、その生活の中に転がっている、ということだ。

普通の人々は、当たり前のことだが、快楽を求める傾向が強く、ためらいもなく、それらに手を出してしまう。歯止めとなるための道徳や倫理はほとんどなく、キリスト教の戒めがあるけど、それに縛られて遵守するか、関係ねーよと反発するか、対応は二つに分かれる。著者は、かんけーない、とはねつける人だった。ただし、はねつければ、はねつけたなりに、快楽が手に入っても、本人はしっかりと傷つくのだった。

当時のロンドンは、セックスや暴力、薬物に関しては、敷居が低いだけでなく、欲しいものが手に入らない場合は、それが食べ物なら盗むのは当然だし、食べ物じゃなくても、お金がなくて買えないものは、盗むのもありの社会だったようだ。ぬるま湯の日本に生まれ育った私などからは考えられないが、盗みを肯定する雰囲気もあったりする。

ロック・ミュージシャンは、そんな中からから這い上がってきた、というか、生き残ってきた人たち、という印象を受ける。だからタフなのだと納得したりもする。

パンクを生んだ当時のロンドンは、現在のアメリカのヒップホップの土壌に近いのかもしれない。セックスも暴力も薬物も、簡単に手に届くところにあり、破滅していく人もいるが、ヒップホップやラップで、セレブになっていく道も確実にある、みたいな感じだ。

ただし、ロンドンの場合、バンドは、金持ちになるための一つの道ではあったが、そのような長期的な展望を持った人は少なかったし、本書のヴィヴィのような人にとっては、バンドは金銭を生むものというよりも、表現の手段であることの方が大きく、それ以外には価値を見出していなかったりする。

そして、ロックに限らず、男社会の中で、女の子が、自分のやりたいことをやりたいようにする自由に表現することは、とても難しかった。この自伝は、そういう自由を、自分を曲げないで追及し続けた女性の記録だ。

2 日本語ヴァージョンもあるスリッツの隠れた名曲


「スリッツ」は、イギリスのバンドだ。ヒット曲はない。メンバーが全員女の子で、ロンドン・パンクがのしてきた、その2年くらい後にちょこんと出てきた、みたいな記憶が、私にはある。西暦だと、1970年代の末から80年代の頭にかけての頃だ。レコードは、スタジオ・アルバムが2枚とライブアルバムが1枚が出ている。

活動は短期間だったが、シーンに与えた影響は大きかったようだ。ようだ、としたのは、私にはさっぱり実感がないからだ。

今、ウィキペディアの「スリッツ」のページを見ると、やけにたくさんの文章が並んでいて、変な表現だが、至れり尽くせりの状態になっている。昔は、スリッツなんて、日本ではなんの情報もなかったから、ウィキの盛況ぶりを見て、いつの間にどうしちゃったんだろう、と私は驚いてしまう。

私はスリッツのアルバムは、ライブ以外の2枚を持っていた。私が聴いていたのは1982、3年くらいの頃だったと思う。2枚とも輸入盤だったので、ライナーノートがなく、だからバンドの情報はなにも持っていなかった。当時私は大学生で、某服飾会社の倉庫でのアルバイト代が入ったので、そのお金を持って、街で唯一の輸入盤屋にいって、入荷したばかりのスリッツの『カット』というアルバムを、ジャケ買いをしたのだった。

その当時、音楽雑誌で、スリッツ単独の記事は見たことがなかった。女性パンクやダブのアーチスト全体を扱った記事の中に、1,2行、スリッツが紹介されている程度で、それ以上の文章は見たことがなかった。だから、私はスリッツについては、なんにも知らないままだった。

その後、クラッシュやP.I.Lの記事の中に、スリッツの名前が出てきて、少し情報が加わるようになったくらいだ。

2枚目のアルバム、『リターン・オブ・ジャイアント・スリッツ』には、日本語の曲があった。「アース・ビート」という曲は、オリジナルは英語だが、日本語ヴァージョンも収録されていたのだ。人間が自然を破壊したので、大地が怒っている、大地が揺れて、そよそよしている、雲もこほこほしている、みたいな日本語の歌詞を歌っていた。

この曲が私は大好きで、一日も何度も聴いていた。友人たちにも聞かせたが、反応はなかった。結局、周囲にスリッツを聴いている人間もいなくて、いつものように私は、一人でスリッツを聴いてた。

それから最近まで40年以上の間、スリッツが話題になることはなかったが、今年の3月末に突然、書店にこの本が並んだ。現在も大型書店に行くと、大抵、平置きで積んでいる。これは読まなきゃいけないと思いつつ、他の本があって、後回しになっていた。ということで、やっと読みだしたら、止まらなくなった。ほぼ500ページある分厚い本だが、2日で読み切った。

3 狭い人間関係、狭い土地が、大きな運動を起こす


本書によると、ヴィヴは、ギターを当時付き合っていたミック・ジョンズや、ポール・シムノン、ジャー・ウォーブルなどに教わっていたそうだ。なんだか、とっても人間関係の狭い世界だが、それぞれの人が、その後にひとかどの人になっているから、なんともすごい感じがする。

狭い人間関係の、真剣なのだろうけどお遊びのようなやり取りが、ロック史に残るムーブメントとなってゆく、この時代の不思議さを感じる。その場の遊びや思い付きが、ロック史に刻印されるのだ。ロックは、たった一回の録音が、何度も複製されて、時間的にも面積的にも広がっていくという、文化だ。そしてその中には、コトバにすると陳腐だけれど、「自由」が詰まっていて、再生されることで、「自由」が波のように伝わっていくのだ。

ヴィヴは、セックス・ピストルズがピストルズになっていくのを間近で目撃しているし、クラッシュがクラッシュになっていく現場の目撃者でもある。恋多き人で、ミック・ジョーンズをはじめ、ジョニー・サンダースなんかとも親密なつき合いをしている。隠すでもなく、ひけらかすでもなく、本書では淡々とつづられている。

スリッツが解散してから、彼女は映画学校に入り、卒業後は映像制作の仕事をして、その後、イラストレーターと結婚して、田舎に引っ込んで暮らし、2000年代に入ってから、音楽活動を再開している。復帰のきっかけは、なんと俳優のヴィンセント・ギャロだ。

アメリカ人のギャロは、18歳の時に、スリッツのアメリカ公演を観て、ヴィヴの熱烈なファンとなり、後年、自分が業界の人になってから、ヴィヴの連絡先を入手し、直接、連絡をしてきて、なんと彼らは電話友達になったのだ。

その後、ヴィヴは、スリッツの再結成に参加して、離婚して、ソロアルバムを出して、女優もやって、そして、本書を出して、その後、著作の第二作目も出して、現在は、文筆と講演がメインの活躍をしているようだ。

4 自由を体現するパンクという人間性


彼女がやっていること、言っていることは、ひとことで言うと、自由を実践する個人運動だ。自由には二種類ある。一つは、相対的な自由だ。これは、不自由があることで、浮き彫りになる自由だ。もう一つが絶対的な自由だ。こっちの自由は、他人の自由に抵触する、反社会的な自由だ。

大抵の人間は、社会的な生活をしているから、相対的な自由を共有しながら、時々、絶対的な自由をすきを窺うように求めたりしている。ヴィヴも、絶対的な自由を希求しながらも、周囲と折り合いをつけつつ社会人として生きてきた。

ところが、女性の場合は、誰にも何も邪魔されないで自由を模索することは、社会的になかなか難しいのだ。世の中は、大抵、男社会だし、新しいこと、変わったことは、なかなか受け入れられない。だから彼女はぶつかったり、へこんだり、落ち込んだりする。

が、下降しても、数年、じっと息をひそめていると、上昇の機運がやってくる。それは自分の内部からだったり、友人が差し伸べてくれた手がきっかけだったりするのだけど、結局、彼女は表現の現場に復帰してくる。自由を求めて運動するしか生きられない人なのだ。

その彼女の人生には、少女だとか女だとか主婦だとか母親だとかの立場との軋轢や、交際相手や同僚、上司、夫、父親などから受けるハラスメントとか、そういった問題が、凝集されている。

彼女の場合、戦略的に攻撃に出ることはないが、その都度、直面している問題を凌いで、結果的に自分があるべき場所を、作り出している。それを支えているのが、パンクの気骨なのだと感じさせられた。

パンクの気骨は、養われたものなのか、生まれた時から彼女が持っていたものなのかは、よくわからない。もともとあったものが、70年代半ばの人間環境の中で、強固に作り上げられたものと、考えればわかりやすいだろうか。

何年か前に、スリッツのドキュメンタリー映画があったらしい。ちっとも知らず、私は見逃した。残念でならない。

5 みんなロンドンから始まった


現在、私が読みかけて中断している本に、ファッション・デザイナーのヴィヴィアン・ウェストウッドの自伝と、ザ・フーのギタリストのピート・タウンゼントの自伝がある。ウェストウッドが、マルコム・マクラーレンと出会う前に結婚していた最初の旦那さんは、ザ・フーが、フーと名乗る前の頃に、フーのマネージメントをしていた人だとあった。

ヴィヴ・アルバーティンは、ヴィヴィアン・ウェストウッドがマルコム・マクラーレンと一緒に経営していたブティック「セックス」の常連の一人で、同じく常連のシド・ヴィシャスがセックス・ピストルズに加入する前に、一緒にフラワー・オブ・ロマンスというバンドを組んでいた仲間だ。ヴィヴはギター初心者で、シドは、サックスとベース担当だったが、やっぱり初心者だった。

このセックスで店員をしていたのが、クリッシー・ハインドだ。ハインドも2012年くらいに、自伝を出している。日本では翻訳が出ていないが、クリッシー・ハインドの自伝が揃えば、既出のジョン・ライドンやスティーブ・ジョーンズ、ジョー・ストラマーの自伝もあるし、つい最近、ジョニー・サンダースの本も新訳改訂版が出たばかりなので、それらを合わせ読めば、この界隈のことは、みんなわかると思う。ハインドの自伝は翻訳の予定があるかどうかわからならないが、期待して待ちたいと思う。

とはいえ、この手の本は、往々にして翻訳がひどい。20年くらい前に出たクラッシュのジョー・ストラマーの本も、相当厚い本だったが、翻訳がひどくて、古本屋に売ってしまった。とっておけばよかったと、今になって後悔している。

2000年代にはいって、海外のロックアーチスは、こぞって自伝を出している。どれも分厚い本だ。この手の本は、日本の場合は、10~30時間程度、インタビューして、ライターが書き起こした「聞き書き」がほとんどだが、海外のものは、大抵、本人がしっかりと書いている。

そして、自伝小説といってもいいくらい、密度の濃い、読み物としても面白い本が多い。『服服服、音楽音楽音楽、ボーイズボーイズボーイズ』も、ヴィヴ本人が書いているし、そうとうに面白い。2014年に出版されて以来、いくつかのノンフィクションの賞の候補になり、現在は映画化が進められていると、あとがきにあった。

翻訳者は川田倫代という英国在住の人らしい。ついこの間、セックス・ピストルズのギタリストだったスティーヴ・ジョーンズの自伝『ロンリー・ア・ボーイ』を翻訳出版している。最近、これを原作にしたセックス・ピストルズの連続ドラマが、ネットフリックスで放映されて、Twitterなど見ていると、評判は上々だ。川田倫代の翻訳する日本語は、キレとリズムがあって、パンクでロックで、とても活きがいい。このジャンルの翻訳者としては最適だと思う。

ロックにもパンクにも興味のない人にも、このヴィヴ・アルバーティンの自伝はお勧めだ。つまづいたときに一緒に息をひそめてくれるし、立ち上がった時に、背中の一押しをしてくれる、そういう本だ。


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