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映画日記 『モリコーネ 映画が恋した音楽家』映画に音楽は必要なのか?

映画音楽の巨匠、エンニオ・モリコーネのドキュメンタリー映画だ。モリコーネの音楽というと、私の世代くらいだと、クリント・イーストウッド主演のマカロニ・ウェスタンや、アラン・ドロンの『シシリアン』などが真っ先に思い浮かぶ。

どの映画も、テレビで何度も観ていると思う。映画館で観た作品となると、ちょっとおぼつかなくなる。同じイタリア人映画音楽家のニーノ・ロータと、いまいち、区別がつかないところもある。

そのあたりが、はっきりするだろうといった程度の気持ちで、何の情報も持たず、吉祥寺オデオンに行った。



邦題は『モリコーネ』だけれども、原題は『エンニオ』だった。1928年生まれだからとっくに90歳を越えていると思ったら、2020年に亡くなっていた。

いかにも映画的な豪華なドキュメンタリーだった


ドキュメンタリーだったが、映画らしい映画だった。私はこの1年の間に、10本ほどの音楽のドキュメンタリー映画を映画館で観てきたが、それらのどの作品にも、テレビ・ドキュメンタリーと変わらないなあという印象を持っている。

それらは、映画館の大スクリーンというより、液晶の大画面か、せいぜい、ミニシアターのスクリーンサイズがちょうどいいかなという印象なのだ。しかし、今日観た『モリコーネ』は、映画館の大スクリーンで観るのにふさわしい、ちゃんとした映画だった。

昨今のドキュメンタリーは、手で楽に持つことが出来る小型デジタルカメラで撮影した素材の中から、良い部分を取り出して、それらを編集して作った、という、どこかお手軽な印象を受けるものが多い。しかし、『モリコーネ』は、必要なシーンを撮るために、スタジオを用意して、セッティングして、キチンと照明も当てて、人手も時間もかけて、丁寧に撮影したといった印象を受けたのだ。

別の言い方をすると、『モリコーネ』には、ただ撮ったといったデジタルにつきもののインスタントな感じがしないのだ。ちゃんと狙って撮ったというか。いや、今の時代、デジタル技術を使ってないはずはないから、単なる私の主観的な印象に過ぎないのだけど……。

もしかしたら私の中に、ドキュメンタリーに対して、実況中継のイメージがあったりするのかもしれない。実況中継といったら、やっぱりテレビだから、映画じゃない、なんて、どこかで思い込んでいたりするのかもしれない。

などといろいろ屁理屈をこねているが、この映画の画面は、単純に豪華だったのだ。まず、引用される映画の数が圧倒的に多い。それはモリコーネが音楽を担当した映画の数が多いからなのだが、その映画に名作が多いことも、画面をより豪華にさせている。大作も多い。必然的に、引用映画の出演者もビッグネームになる。

さらに、モリコーネの音楽が添えられている場面が、誰もが知っている名場面だったりするのだ。画面はさらに豪華になる。

コメントを寄せている人々も、知名度の高い人が多く、その人数も多い。
もちろんモリコーネ本人も出てくる。とてもチャーミングな人だった。

『モリコーネ 映画が恋した音楽家』は、適切な人に取材して、適切な引用をして、適切な時間と手間をかけて、入念に作ったことが伝わってくる作品だ。映画は、このように作るのが当たり前だった気がするが、こんな作り方が今では贅沢に感じられるようになっている。

日本映画などは、何を見ても、予算の関係でこういう撮り方、映し方をしたのだろうな、といった、何かを省略されているような印象を受けるのだけれど、この『モリコーネ』には、日本映画とは反対の、潤沢につくられている印象を受けるのだ。

これはやっぱり映画だ


家に帰ってから調べたら、監督は、『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレだった。『ニュー・シネマ・パラダイス』は、映画音楽をやめようと思っていたエンニオ・モリコーネを映画音楽業界に連れ戻した作品なのだそうだ。

それ以降、トルナトーレは全作品をモリコーネに担当してもらっているのだそうだ。映画愛が溢れる映画監督が作ると、ドキュメンタリーも、映画になるということかもしれない。

このドキュメンタリー映画は、モリコーネのキャリアの最初から直近までの約80年間!を、時代順に追いながら、その作品と人生を紹介している。その都度、証言者を登場させて、その映画のシーンと音楽の関係、音楽の効果、伝えておきたいエピソードなどを語らせているから、情報の量も多く、いくら、ひとことコメントの短いカットでも、その数は膨大になっていく。

だいたいが同じトーンで続くので、途中、ちょっと長いな、いつ終わるのかなと思った時間帯もあったが、終盤は画面に引き込まれて、長さなど気にならなくなっていた。終ってみたら、二時間半の上映時間だった。少し長いような気もするが、よくこの長さにまとめられたな、と感心する気持ちの方が大きかった。

荒野の用心棒 西部劇と日本映画


モリコーネの父親はトランペッターで、モリコーネ自身の音楽キャリアもトランペットから始まっている。その後、アカデミックな音楽学校でクラシックを学んでいる。

モリコーネは、いわゆる現代音楽の作曲家で、実験音楽を専門にやっている。その後、食べるために、ラジオやテレビといった場所で編曲、作曲をやるようになり、歌謡界のヒットメイカーのようなポジションを獲得する。

その後、縁があって、映画音楽もやるようになる。本人は、決して乗り気ではなく、やりたいのはクラシックの実験音楽であり、歌謡界も映画音楽も、生活のためだったようだ。

その後、モリコーネは、映画音楽をメインに仕事をしていくことになるが、それはマカロニ・ウェスタンの最初の大ヒット映画『荒野の用心棒』の監督が、モリコーネと小学校の同級生だったセルジオ・レオーネだったことが大きい。


『荒野の用心棒』(1964)は、黒澤明の『用心棒』(1961)を西部劇に翻案した映画だ。主演のクリント・イーストウッドはこの映画で世界的な人気者になり、モリコーネが作ったテーマ曲は大ヒットした。



ちなみに、やっぱり黒沢の『七人の侍』(1954)を西部劇にした『荒野の七人』(1960)という映画もあるが、こちらはアメリカ映画だ。

黒沢の時代劇と西部劇は相性がいいように思えるが、日本の時代劇は、もともとアメリカの西部劇をお手本にして始まっているから、相性がいいのは当たり前なのだ。日本に映画が輸入され、日本でも国産映画を作ろうと思ったとき、チャンバラ映画が参考にしたのが西部劇だったのだ。黒澤明だって、ジョン・フォードの西部劇を参考にしていたりする。

『モリコーネ』では、モリコーネと、レオーネの終生にわたる友情も描かれて、小学校から続く友情なんて、どこかロックバンドみたいだなと思った。

意外に観ていたイタリア映画


『モリコーネ』を観て、自分がイタリアのことを何も知らないことに気が付いた。例えば、街並みを見ても、フランスと区別がつかない気がする。

確かにイタリア映画はいくつか見ている。クリント・イーストウッド、ジュリアーノ・ジェンマ、フランコ・ネロなどのマカロニ・ウェスタンは、子供の頃、よくテレビで見ていたし、マルチェロ・マストロヤンニとかソフィア・ローレンの映画もよく見た。ヴィットリオ・デ・シーカ作品も相当数、テレビで見ている。

監督でいうと、ベルトルッチとかパゾリーニとかフェリーニ、ロベルト・ロッセリーニ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ヴィスコンティ、などの作品は、映画館で観ているし、『青い体験』といった初体験ものや『サスペリア』も、イタリア映画だった。

こうして並べてみると、けっこうな数のイタリア映画を見ていることに、驚く。単純に、現在の人たちが、アベンジャーズやディズニーといったアメリカ製の映画をみるように、60年代とか70年代は、イタリアの映画の時代だったということかもしれない。

そういうイタリア映画を支えていたのが、モリコーネの音楽なのだろう。それにしても、映画を観ていなくても、知っている曲が多くて、圧倒された。

映画に音楽は必要なのか?


このドキュメンタリー映画で聞こえてくるモリコーネの音楽はとても雄弁だ。画面にモリコーネが作った音楽がつくと、その画面が強い意味を持つようになる。

恐らく、モリコーネの音楽が、今そこに映っているものの本質をとらえて、その本質を、深く大きく補強しているのだろう。なんの変哲もない画面が、モリコーネの音楽がつくことで、魔法のように何かを語りだすのだ。

劇映画は、映像と音楽を積極的に合体させるジャンルだ。その積極的な部分を、推進発展させてきたのがモリコーネなのだろう。

ふと、これがドキュメンタリーなら、こういう音楽は、観る者の感情を煽って思考を停止させたり、意味を誘導したりすることになるのだろうな、と思った。モリコーネが、ドキュメンタリーに音楽をつけるとしたら、どのような曲を作っただろうか。

半年くらい前に観たウクライナの『アトランティス』と『リフレクション』という映画を思い出した。監督は、ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチという人だ。二つとも音楽のない映画だった。カメラも固定して長回しにするのが基本だった。

この二つの映画の場合、観ている側としては、画面になにが映っているのか、隅から隅まで目を凝らすようになるし、なんでそれが映っているのか、映っているものの意味を考えるようになる。音楽がないと、退屈だったりもするが、頭を使って考えるようになるのだ。

音楽をつけるのもつけないのも、効果を狙ってのことだから、どっちが良いとか悪いとかいうハナシではない。もしかしたら、モリコーネの音楽は、音楽だけで聴いた方がいいのかもしれない、なんて思ってしまった。


追伸 

モリコーネは楽器を使わず、譜面を書いて作曲をしていた。作った曲は、まずは奥さんに聞かせて、感想を聞いて確かめるのだそうだ。驚いたのは、亡くなるまで実験音楽を作り続けたことだ。

意外なところだと、クラッシュのポール・シムノンがコメントで登場していた。

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