映画日記 白石和彌/監督『孤狼の血』ヤクザの顔と昭和
ネットフリックスで『孤狼の血』を見た。
2018年公開の映画だ。
舞台は昭和の末の広島の街だ。対立するヤクザの組があって、それが全面戦争に発展してしまわないように、マル暴の刑事が奮闘するというハナシだ。
暴対法が施行される少し前だから、ヤクザを自由に描けるギリギリの時代設定だ。
ヤクザの親分役に、石橋蓮司、伊吹吾郎などが出てくる。その他の組員も、古典的なイメージそのものと言う配役と演技だ。
主人公のマル暴の刑事は、役所広司と松坂桃李だ。役所は、目的のためなら手段を択ばないはぐれ刑事の役だ。松坂は、順法精神が強く融通の利かない若い刑事の役だ。
これも映画やテレビでよくある刑事の組み合わせのパターンだ。ネットフリックスだと、最近配信されだした80年代のヒット映画、『ビバリーヒルズ・コップ』シリーズと同じだ。
暴走する役所広司がエディ・マーフィで、翻弄される若い刑事が松坂桃李だ。
最後は、役所広司の真意を知り、松坂桃李がほろりとするんだろうな、みたいな展開が最初から予想される映画の始まりだった。
映画の要所要所で、ナレーションが入る。そこでは、ヤクザの組の対立構造が説明される。どこか『仁義なき戦い』みたいで、懐かしいような古臭いような、変な気持ちにさせられた。
ヤクザ映画だから、基本的にやかましい。でもそのやかましさは、ヤクザ映画のいつものやかましさだ。どの場面もどの音も、見覚え、聞き覚えがある。
唯一新しいと思ったのは、松坂桃李の顔だ。この映画では、役所広司もヤクザの親分も子分たちも、ホステスたちも、みんな昭和の顔をしていたが、松坂桃李と、鉄砲玉役の中村倫也の二人だけが、この映画のセカイに馴染んでおらず、浮いて見えた。
二人は昭和の顔をしていないのだ。これは生まれ持ったものだからしょうがない。
役所広司が出ているからこの映画を見たのだが、あんまりすごくなかった。
もっと悪い役か、理解不能なくらい変な役をやっているのを見たいなと思った。
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