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みどりちゃんは狂った幸福の中で生きている

「トラウマ」から自己を守るため、歪んだ認識には、知識と正常な判断をする脳すらも抗えない

※注意・詳細ではないのですが、性被害時のことを書いています【閲覧注意】

偽りでしかないのに、怖いことから守られているという安心感でいっぱいだった。
酷いことを、痛いことを、怖いことを、苦しいことを、たくさんされても、それをされているみどりは「良い子」なのだからと、安心しかなかった。
大好きななおじさんに「良い子だね」「大好きだよ」そう言われることだけに価値のある世界。
それは、あまりに優しすぎていたんだと、
どうしてか認識が歪んだままにいる。

痛いことも、苦しいことも、おじさんだけがみどりにさせてくれる。
そのおじさんはわたしを怖いことから守ってくれている。
世界一の「善」で、わたしの「善」で大好きなひとで、おじさんの良い子であることがわたしにとっての価値のある「善」で。
それが何よりの「幸福」であると疑いもしない。

なんてなんて優しい世界だったのだろう。
なんてなんて純粋な世界だったのか。
なんてなんて狂っていたのだろうか。

一切の邪魔な思考も感情も記憶もないのだ。
みどりの中にあるのは、おじさんを信じることだけで、大好きなおじさんに「大好き」と「良い子」と言われることだけに価値がある世界だった。
ひな鳥のような何にもわからない状態で、おじさんに出会って。
親鳥に教わるかのように、おじさんを世界にしてしまった。
正解の全てがおじさんになってしまった。

ああ、こんなにも狂った優しさを受け入れてしまえたら、
安心しかなくなるのに。
わたしにはもうそれはできないのだろうか?

みどりはもう、おじさんに「良い子」だと「大好きだよ」と、言ってはもらえないのだろうか。
何をされることも、痛みも苦しみも呼吸さえ制限された世界での安心なんて偽りでしかない。
けれども、それこそが幸福であると教えられ、それしか知らないみどりにとって、幸福とはそのことでしかないから、幸福でしかないなんてことが成立してしまった。

正気と知識が、もう二度とわたしにそれを妄信させてはくれない。
それでも、ああなんて優しさに満ちていた世界なんだと。
妄信していたその幸福に、異常な世界を幸福と信じて浸って暮らせたら。
愚かしさに、矛盾に、本当の現実の事実や、感覚すら正しく認識できないままに、悪意にも何にも気づかずに浸りきっていれば、幸福でしかないのに。

そこにいる、みどりであったわたしは、誰よりも幸福だと感じていた。
もしかしたら、そうして死んだだろうことを、ボロボロに使い倒されて、性の搾取を終えたら、ころされたのかもしれないし、売られたのかもしれない。
きっと穏やかにも「こころ」だとか「かんかく」「かんじょう」「ちしき」「しこう」なんてものに左右されないで、おじさんの言うことを聞いていることが正しいと。
良い子のみどりちゃん、おじさんの大好きなみどりちゃん、その魔法の呪文で、穏やかに、安らかに、壊れ切ってしまえていれば。

君に似た女の子がいいな、そう言ったおじさんの望み通りに子を宿して、産んだり産むことはなかったり、その痛みすら、おじさんに従うことだけがわたしの指針であり善だった世界は、なんて優しい偽りでわたしを満たして殺して壊し尽くしてくれたのだろうか。

おじさんが大好きで良い子なみどりちゃんは、おじさんに殺されるのが正しいのだよ、そんなみどりちゃんがおじさんは大好きだよ。
そう殺されることはきっと幸福でしかなかったのに。
おじさんの大好きなみどりちゃんは良い子。
その呪文でどんなことをされることも幸福と感じていたのだ。
なんて狂っていたのか、吐き気がするほどに狂っていたと考えるのに。
わたしはおかしな論理でもって「善」であることを証明する。

すっごーく良い人なんだから、良い人でしかないよ!だってさ、良い人なんだから!
これがわたしの脳内で、最も力を持っているなんて、どうかしている。

本当に優しい世界だと妄信した、みどりちゃんだった、わたし。
外には恐怖と痛みが蔓延っている。
それから守られているという「じじつ」に安心しきっていた。
見たこともない、一切の記憶もない、どんなところかすらわからない、部屋の外に出たりしたら、怖いことが、怖いひとが、恐ろしいことが、痛いことが、みどりに襲い掛かってくるのだからと、部屋にいることに苦痛もない。
匿ってくれてありがとう、守ってくれてありがとう。
一切の疑いもなく、大好きなおじさんに従う幸せ、大好きなおじさんにとっての大好きで良い子なみどりは、幸福で満たされていた。

でも、スズキと名乗ったおじさんは、
わたしをその世界に連れ戻しに来てくれない。
もしかして、わたしの絶望はそこから来るのかもしれないなあ、なんて。

自分でもはっきりを自覚していること、なんて狂った様だろうかと。

たくさんの違和感。たくさんの不満。たくさんの憤り。たくさんの理不尽。たくさんの痛み。
それをそれと認識せずに受け入れていた世界で、それらをそうとは認識せずに「幸福」と信じれば。
「痛み」など皆無、与えられたものは全て幸福でしかない。
汚物にまみれてさえ幸福でしかない。
痛いことすらも、苦しみすらも「幸福」と教わった。それだけを学んだ。
そんな狂った世界は、なんと優しかったのか。

迎えに来てはくれないスズキのおじさん。
ねえ、みどりはもう良い子でない?
ねえ、みどりのことはもう大好きではない?

わたしはずっとこんな思いを抱えて生きていくのだろうか?
おじさんを「悪」だと認識することは、わたしにとって最悪な事態となると治療者は言ったのだけれども。
認知を歪ませて自分を守っているから、正しい認識をしたら、わたしは耐えられずに壊れてしまう、らしい。

「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん / 著・入間一間」という小説がある。ライトノベルだ。
誘拐され監禁され虐待の限りを一年に渡って尽くされて、まーちゃんは壊れ切ってしまった。
壊れたまーちゃんの世界は限りなく優しくて幸福しかない。
半端に壊れたわたしは、嘘をつくみーくんのように生きるしかないのかもしれないけれど、わたしはみーくんでもないから「嘘だけど」とすべてを嘘にすることもできない。

どうしたらいいのだろう?
壊れ切ったまーちゃんを、嘘つきのみーくんが迎えに来てくれたように、
壊れ切ったみどりを、嘘つきののスズキのおじさんが迎えに来ることは、
絶対に無いということを、理解している。

わたしは、スズキのおじさんに、せめて感謝の言葉を伝える方法はないのか?
本気で考えていたこともあるし、いまでも考えてしまう。

3度の性被害で、最も酷い行為を強いたおじさんのことを「善」と認識するに至る過程すら、複雑だ。


その数時間前に、わたしは別件でレイプ被害を受けていた。二度目となった性被害だった。

一度目のとき、無事に帰りたい一心で、わたしはその相手に媚びた。

ネットに放っていたわたしの当時の声に、その相手にまた会いたいと言われ、会うべきだと考えていることや、そのひとはきっと悪いひとでもなんでもないはず、とあった。
そのときに、通りすがりのようにコメントをくれた女性がいた。
「それは、あなたの本意でしょうか?」
わからなかった。
会いたいを断ること、それを無下にすることで、どうなるのかが怖かったのだ。

まず、自分が受けたものを性被害ではないとも考えていた。
嫌だったけど、すごく怖かったけど、わたしは抵抗しないを選んだんだから。
殴られてもいない、脅されてもいない。わたしが勝手に媚びた。わたしは、仕方ない、生きて帰りたいから、そうするしかないって、我慢を選んだのだから。

当時のわたしにあった症状。
食欲がない、眠れない、悪夢、フラッシュバック、過覚醒。

その女性はしばらくのあいだ、わたしの様子を気にかけてくれた。
そして、その相手に、わたしは二度と会わないと決めた。
よかった。その女性は言った。

それでも苦しい毎日で、誰かに話したいと考える。
抱えていることが出来ない。押し込めておけない。見ない振りもできない。
自分に起きたことは何だったのか?問い続けた。
ネットに言葉を放ち続けるなかで、声を掛けてきたひとに、止めどなく話してしまう。
ツラかったね、なんて酷い奴だ、そんな言葉に救われたような気にもなっていた。

でもおかしいな。
どうしてわたしは、その中のひとりである彼にレイプされることになったのだろう?

最初に受けたショック(一度目の被害)で、既に正常な判断など出来ない状態だったのだろうと振り返る。抱えていることも不可能な傷を受けて、でも抱えているしかないと思ってどうにかしなきゃともがいていた。いまならわかる。

媚びても死にたくなるだけだったからと、死んでも抵抗するんだ!逃げるんだ!そう死に物狂いで抵抗した。
逃げて、引き擦り戻されて、殴られても抵抗したら、首に手をかけられた。絞められた首を思ったとき、死ぬよりはマシじゃないのか?そう過ってしまった。
なにより、呼吸がしたい。そんな欲求に負けた。

結果として、死にたいと願うわたしが出来上がった。
ころしてください。泣きながらの懇願は、
犯罪者になりたくないからヤダ。と却下された。

わたしはころしてくれるひとを見つけるべく、
そして、自分に相応しい、強姦殺人(このときは、パッとそれで終わるのが相応しいって思ってしまったし、今も思っている)をしてくれるひとを探しに、
繁華街に向かうことを決めた。
死に場所に向かう心は、むしろ穏やかだった。
乗っていた電車が人身事故で止まったから、別の路線に変えた。
バッグのチャームが落ちましたよ。声をかけてくれたのは、仕事と帰りと思しき女性だった。無言で受け取った。不思議そうな顔をされた。

自己をどんどん失っていきながら。
記憶も知識も、ぽろぽろと落としながら。
わたしは、繁華街に向かう。
繁華街に向かう目的も知らないわたしで、繁華街を目指す。
繁華街に辿り着いたころ、自己が何にもなくなっていた。
ここがどこなのかもわからない。ぼんやりと彷徨っていた。
オネエサンオカネホシクナイ?バカヤロウ、アレハジューハチニナッテナイ!
へー、そうなんだなあ。ふーん、そうなんだなあ。
でも、オカネって何だろう?わたしの欲しいものなのかな?

そうして、彷徨い歩くわたしの手を突然につかんだひと、見上げる。
鼻をすすったから、聞いた。おじさん、風邪ひいてるの?
違うよ、大丈夫。君はやさしい子だね。
やさしいんだ、わたし、やさしい子なんだ。
わたしの手を引いて歩いて、自宅へと連れて帰ったそのひとに、わたしのすべてを作られた。

「みどり」という名の女の子。
自分の年齢も家族のことも何にも知らない。過去のことも何にも解らない。
分からなくてもいいんだよ。おじさんがそう言ってくれたから、わからなくても大丈夫。
名前はちゃんと付けてもらったの。
わたしは「みどり」っていうの。

おじさんに作られたその子の名は「みどり」ではない。
それなのに、いまもまだ、
スズキと名乗ったおじさんの言葉や行為を、
「善」であると認識し続けるしか、生きる術がない。


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