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「統合失調症の女性の話」偏見はなくせるのか?

偏見を持っていないと思っていた、閉鎖病棟慣れしたわたしでも苦手と感じてしまう


閉鎖病棟への入院で、統合失調症の25歳だという女性に出会った。

淋しいと落ち込む彼女は、一週間もしたら笑顔になった。

それなりのブランドの化粧品で毎日整え、可愛らしい私服でウキウキして過ごす彼女。

明るい栗色の髪を美容院で染め直したい、カットしてウェーブもかけ直さなきゃ。

豊かでキレイな髪の傷みを嘆いている彼女に違和感を覚える。

同じ大部屋でベッドが向かいにある彼女との接触は避けられない。

それに既に5回は閉鎖病棟のこの急性期病棟に入院経験があったわたしは、寂しいと泣いている彼女を励ますという行為としてしまったから、どうにも懐かれていた。

ピアニストになるのが夢なの!〇〇というところに登録されたのよ!去年!いいなあ、ピアノ弾けるの憧れるなー。
テキトーに流していた。
憧れていたなら子供の頃に親に言って習わせてもらえばよかったじゃない!
笑顔で言われてギョッとした。

そのとき、確信した。苦手だ。
マトモに付き合っていたらこっちがすり減る……そう感じた。

私の家族はすごく優しいのよ!
家族との関係に悩むひとが多い中で、優しくて理解ある家族の話を、自慢するわけではなく、家族が話題になっているからと、自分も家族の話をしただけであるそんな彼女の無邪気な笑顔は憎たらしく思えた。

無神経で無邪気で心底、憎たらしい。
励ましたこちらが悪いのか、慕われてしまって、ストレスで休めない。

看護師に事情を話し、大部屋で向かいのベッドの彼女からどうにか離れられないものかと相談したが、当然どうこうなるものでもなかった。

嫌ですオーラを出すアドバイスをされたので、出してみる。
彼女は気づかないらしい。
仕方ない。本人に言うことにした。
あなたの話を聞いているとイライラして休めない。話しかけないで欲しい。
彼女は大ショックで泣いた。

ハココちゃんと同室だと怖い。ハココちゃんがあんな意地悪なこと言うなんて!もう何も信じられない!

嘆く彼女に構っている暇などない。
こちらとて患者で、休むために入院しているのだから。
どうぞわたしから離れて下さいな。そう思うだけだ。
わたしは心を休めるために入院したのだ。友達ごっこをするためでも、褒めそやされたいあなたを満足させるためでもない。

けれど、疑問が湧く。
こんなにも幼い彼女が、本当に25歳なのだろうか?

わたしは彼女と距離を取った。
彼女はわたしの姿が視界に入ると、表情を強張らせる。
取り巻きをしている子たちも、彼女に振り回されてウンザリすると、たまにわたしに愚痴を言いに来る。
微妙に安定したひとたちは閉鎖病棟ではまるで中高生女子の休み時間のようだと、よく思ったものだ。
ここでそんな「ごっこ」をしてなんになる?しかも、みんないい大人だよね?

そんな彼女の自慢の家族が見舞いに来たときのことだ。

ご両親は、同室の患者に軽く挨拶をした。
何故か、彼女は向かいのベッドで読書をしているわたしを、頭が良くてすごいの!と最初の友達だと紹介した。
仕方ないな。とりあえずご両親に会釈をしておいた。

彼女は、持ってきてもらった服が違うと文句を言って拗ねて、次回はこれを持ってきて!絶対だよ!差し入れの注文を付ける。

その後、彼女は家族と同伴外出をすることになり、大喜びで出て行った。

帰ってきた彼女は、耳に華奢な飾りを揺らしていた。
ピアスを買ってもらったの!美味しいごはんを食べたの!と上機嫌。

しかし、ピアスなど持ち込めない(閉鎖病棟には自殺や自傷に使えるものは持ち込めない)から、取り上げられてしまう至極当然のことに悲しんで、どうしてあのブレスレットしなかったのかな……と泣いた。

また来たとき買おうな、父親に宥められ約束を取り付けて彼女は泣き止んだ。
絶対だよ?彼女は店の名前を何度もくり返す。
でも、次回行ったときにも売っているとは限らないから、そのときは仕方ないよな?そう言った父親に、ああもう!どうしてブレスレットにしなさいって言ってくれなかったの!と怒った。

苦笑いをして謝る両親。今度は笑いながら謝罪したことを責められる。
面会時間の終了を看護師に告げられ、彼女の両親は逃げるように帰ろうとする。彼女は寂しさに泣きそうになる。また来るから、と宥める両親。

わたしは、疲弊した彼女の家族の顔を見てしまった。

起きている間ずっと、独り言を喋り続ける女性を彼女は馬鹿にする。
わたしは無視した。
うるさいし、気持ち悪い。オカシイよね。
と同意を求められたから、気になったことはないと答える。
すると、ハココちゃん、なんかカッコイイね!と彼女はわたしを褒めたらしいから、どこが?と睨んだ。

三ヶ月後、わたしは病棟を移動できることになった。
わたしのピリピリした空気を看護師は随分と懸念していたらしい。
そして急性期にいる必要もないからと、謎の配慮でOT(作業療法)で彼女がいないうちに!と忙しく移動した。

長期の入院となり、わたしは一年程を病棟を移りつつ過ごした。
理由は家に帰りたくなかったからだ。見舞いに来たがる家族にも、最小限にお願いしていた。

そんなある日、開放病棟で気ままに過ごしていたら、彼女と再開した。
げ!となる。頬が引き攣る思いだ。

彼女は再開の喜びで満面の笑顔である。

その髪は長期入院中とはとても思えない、豊かなウェーブで根本まで美しい明るい栗色の髪だ。
化粧も相変わらず。今日も発色のキレイなブルーのアイシャドウすらがもう憎たらしい。

この髪ね、先週美容院でオススメのトリートメントをしてもらって、いままでで一番気に入ってるの!
無邪気な笑顔を、いらないのにくれた。

めんどくせえ。マジめんどい。
幸い同室でないからと完全無視を決め込んだ。

彼女はわたしに嫌われているのだと周囲に話していた。
私は何にも悪いことしてないのに。でもきっと、ハココちゃんにとって許せないことをしてしまったんだと思う。だからってあからさまに避けなくてもいいと思わない?

あからさまに避けないと、伝わらないからそうするしかない。
と言うか、向かいの部屋から聞こえてくる彼女の話し声、まったく大きいぜ。ははは……。という困った苦笑いも聞こえてくる。

妬まれてるんだと思う。ハココちゃん、お見舞いとかもないし。カワイソウだから、私は嫌われても嫌ったりしないんだ。

勝手にどうぞと思う。わたしは嫌だから避け続けるだけだ。

わたしの目下の問題は、どうやらわたしは解離性障害であるらしいことだ。
最近の診断で、どうにか主治医から聞き出した。

そこで、ようやく自分に起きていることの説明が付く気がして、帰宅することを考えていたりする。
いままで統合失調症という診断だったのだけれども、どの書籍を読んでも違う気しかしない。
でも解離となれば説明がつく。粘った甲斐があった。

とはいえ、この先どうして生きて行こうか。診断が変わっただけだ。わたし自身も生活も何にも変わらない。
退院の二文字を浮かべ、いろいろと考える。退院を考えると言ったら、主治医は気が変わらないうちに!と急かせてきた。
状態の良いあなたを入院させておくことが間違いなんだ。それは理解できるのだが……。今後になんの目度もないのに、どうすれば?

そんな折、わたしは信じられないものを目にした

作業療法士さんが伴奏を頼めないか?とピアノが弾けることが自慢の彼女にお願いをしたのだけれども。

曲は、わたしが見ても難しくないことがわかるし、練習すればわたしも弾ける程度のもの。
その楽譜を初見で弾くことを彼女は快諾した。

そして、彼女はほとんど弾くことができなかった。
右手の指が、カチコチに動く。左手は所在なさげに。
主線すらたどたどしい。

そのとき答えが見えた気がした。

真実はわからない。
でも、彼女は統合失調症だということを思い出す。

はじめは私服すら許されず、ふくよかな体で着られるものはチグハグなジャージしかなくて、それをピチピチで着ていた。

空気の読めなさは天下一品で、話題には沿ってはいても、趣旨が違う自分の話を延々としたがる。

そんな彼女の話の中に、事実がどれほどあったのか、わたしは気にすることすらなく、無神経で無邪気と決めつけてしまった。

今日は調子が良くないみたい……。
彼女は上手く弾けなかったことをその場で謝った。
そういう日もあるよね、作業療法士は励ました。

いまでもわからない。
彼女を知らないわたしは、彼女の話す内容を、事実と受け取り、彼女の常識に苦手意識を持ち、ストレスだからと避けた。

そんなわたしに、看護師たちも下手に優しくしなくて良い、ストレスを我慢しないで遠慮なく避けていい、フォローはうちらがするからと話していた。

そうか。彼女は統合失調症なんだ……。

わたし自身もついこの前までその病名だと言われていた。違和感はありつつ、そうなのだろうか?と考えていた。

でも、彼女が統合失調症だとしたら。

それを強く感じてから、わたしの受け取り方は軟化せざるを得なかった。
彼女の話す内容は、妄想なのかもしれないし、それが彼女の中でのみ事実としてあるのかもしれない。

どう接するのが正しいのかもわからない。
先月までわたしの診断も統合失調症だったのに。

主治医は佇まいが違うからと前主治医のわたしの診断を疑っていた。

ああそうか……。と思った。
佇まい、ねえ。なんだかしっくり来る言葉に思った。

彼女は現在どうしているだろう?
現実を生きているだろうか?
ピアノのことは今も好きだろうか?
家族との関係はどうなっただろう?

一際オシャレなドレスのようなワンピースで、わたしのより一足早く退院した彼女の後ろにいたのは、庶民の普段着の両親。
異様さが一生際立つ。
自信に満ちた彼女は、退院という希望に胸を弾ませ、ピアニストになるべく頑張る!と、患者仲間に告げる。その背後にいる、疲労を浮かべ、小さく背中を丸めた両親。

彼女は現在どうしているのだろうと、なんだか最近気になるのだ。
当時でも彼女の両親はそれなりに年で、わたしの両親よりよほど老けた印象があった。
わたし自身自分の両親の老後などを考えているからか、とても小さく見えたあの夫婦を思い出してしまう。

もしかしたら、何事もなかったかのように結婚し家庭を築いて、両親にも感謝したりしているかもしれないけれど。
一年という長期入院を経ても、何の変化もなかった彼女の内面を思うと、複雑だ。

フルネームで記憶している彼女の話がフィクションであれば良かった。
ちなみに、ピアニストとして活動しているひととして、彼女の名を耳にしたことはない。
ペンネームで活動しているのだろうか。
でも有名になってはいないのだ。顔をどこかで見たこともないし、その後も何年も病院でのみ見掛けていたし。
というか、彼女が本当にピアノを弾けたのかすら、不明のままだ。


わたしは、精神障害への偏見もどこか仕方ないと思ってしまう。

まず、有名なのが、妄想などが主な症状である統合失調症(旧精神分裂病)。
その他にイメージされるのは、パーソナリティ障害、自己愛やボーダーだろう。
リストカットをくり返したり、ODをくり返している、構ってちゃん。
それが、精神障害者のイメージなのではないか、と思う。

現在も、発達障害の空気の読めなさが迷惑すぎる、無理。そう広がっている。

でも、それぞれに困難ではあり、なぜか障害年金をもらうことのハードルが高すぎるのが、PTSDと解離性障害。
このふたつがなぜ対象外なのか全くもって理解不能だ。

それに、解離性障害に至っては、解離性同一症の多重人格になりたがるひとが大量にいたりして。

偏見をなくす。そんな夢物語。
精神障害を患っているわたしですら、偏見はなくとも、どうがんばっても「友達」にも「知り合い」にもなりたくない精神障害者さんがたくさんいるのに、どうやって、心の病と無縁に生きてきたひとが偏見なく、共生できるのだろうか?

本当にそうした社会を「共生社会」を目指すのなら、避けては通れない、奇麗事ではない事柄がある。

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