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治療を求めて何千里?たぶん愚痴です

現在のまま生きることに限界を感じた

治療を、専門的な治療をしたい!と思ったのは、たぶん、わたしの無意識がかなり限界に感じていたからだといまは思う。

わたしは性被害の当事者で、それにまつわるトラウマがあります。
現在、通院している病院の心理療法では手に負えないからと匙を投げられて早幾年月。
パンドラの箱にして、触れないようにして生きて行こう。
そう前の主治医に言われたときは、そうにしかならないのだ、仕方ない、そうするしかないって納得をしたつもりでいました。

でも、それから現在に掛けて、全然、パンドラの箱になってなんかいないし、触れずに見ないようにして生きられるようにもなっていなくて、解離性障害についてだって「僕は専門ではないから」と聞いてもはぐらかすというか。
そんな現主治医。

決定的に主治医への信頼がなくなったというか、わたしは精神科医に信頼感を持ったことは実はなくて、治療者であるから、人間性の部分はさほど気にしない、医学的知識やそこからの見解をくれれば十分、と考えていたけれど、それすら得られていないことに気づかない振りをもうできなくなってしまった。

まず、障害年金の診断書を(封がしてあり見てはいけないと思い込んでいたけれど見ていいと知って)見た瞬間、現状維持のための通院、予後は不良と書かれていて、ショックを受けたのです。
そりゃそうだ。治せないって言われているんだから。

そんなこんな治せる病院、現状維持でなくて、快方に向かわせてくれる治療者を求め動き出しました。


様々な機関に相談してみた

県の性被害者の相談窓口に電話

「現在通院しているところがあるならそこで診てもらってください」
「現在通っているところでは手に負えないと言われています。トラウマを専門的に治療できるところはないですか?」
「そういうことはわからないです。申し訳ございません。主治医の先生に相談してみるのが良いと思います」

マジか!

というか「監禁してくれたひとのところに帰りたい……」と泣きながら言ったら「え……聞き間違いかしら?」地味にショックでした。

主治医に相談

「専門的治療を受けたい。このままで生きるのは本当に困難です。どこか紹介いただくことはできませんか?」
「紹介状を書くことは全然構いませんが、僕は専門治療を受けられるとこを紹介なんてできません。知りませんので。意思を尊重しますので、転院先を決めたら教えてください」

マジか!
ちなみに、病院の精神保健福祉士も同じです。保健所や精神保健福祉センターに聞いてみてくださいと言われました。

地域の保健所に相談

「解離、トラウマを専門で診られるところを知りたいです」
「そういう情報は持っていません。お力になれず申し訳ないです」

マジか!

県の精神保健福祉センターに相談

「解離、トラウマを専門で診られるところを知りたいのですが。保健所に情報はないと言われてしまって……」
「私共も、病院のホームページにある以上の情報は持っていません。一つ一つに当たって聞くか、一番は、現在通院しているところがあるとのことですので、主治医の先生に紹介いただくのが良いかと存じます」

う、うむむむ……!ふりだしに戻ったじゃないか!

福祉課に相談

「専門的治療を受けたい。このままで生きるのは本当に困難です。主治医は紹介状を書いてくれると。でも自力で病院を探すようにと。保健所も精神保健福祉センターにも情報はなくて、自力でネットで探しても県内にはないのです。どうしたら良いでしょう?」
「転居してはどうでしょうか?」

がびーん!

治療のために転居することができないのは甘えか?


ちなみに転居は個人的に現実的ではありません。
現在、わたしと家族は、この20年で一番穏やかに暮らしていて、高齢の両親のささやかな幸福を投げ捨てることに繋がると考えます。
母は、地元で生まれ地元で育ち、地元で暮らしてきました。そのままに高齢になりました。
その母に、そして父に、わたしができる恩返しは、現在、看取る以外にない気がしています。経済的にたとえば二人が病気をしても、先端医療なんて受けさせても上げられず。ただ最期まで「感謝」を伝えることしか、わたしにはできない。

わたしは甘えていますか?
治療したいのに、そのために転居することを拒むのは、甘えで、治療に対する思いがそれほどではない証明になりますか?
わたしは、親によって解離になったと考えていないし、だからたくさん迷惑をかけてきた両親の幸せも大切に思うのです。
治療のために、自分のためだけに生きられない。

そんなこんな絶望をしていたら。

たまたまネットで話した人に「県外でも通える。がんばって」と言われました。藁です。藁でも縋ると、決めました!

そんなこんなで現在に至る


上記の工程を経て、現在、福祉に掛け合い中です。

わたしのTwitter(現X)を見ている方がいたら、ときどき暗黒の投稿をしていて、うわあ……大丈夫かいな?と思われた方もいるでしょう。
はい、全然、大丈夫ではないですが、大丈夫であったりするのが、たぶんハココという生物です。

希望を捨てたい、すべてを投げ出したい、自分から逃げたい。
そう願うたびに、希望がもしどこかに在るとして、みつけられる寸前で諦めるのがいまだとして、後悔しないか?

そんな風に、わたしは、希望がまったくの0である証明を「白いカラスの証明」をするという気持ちで、何かに縋っています。

福祉課の方に、どうやらわたしは最近「追い詰められているひと」を認識されました。
トラウマが全開に前面に出ているわたしで福祉課に行ったから。
いつだってわたしの内面はそれであったのに、内面にあるがため、外見は大丈夫そうであるため「大丈夫なひと」とされてきたので、こちらが引くくらいに、福祉課のひとの対応が変わりました。

見た目からして困っていることは大切なんだと思わざるを得ない。

どんなに本当に困っていても、冷静さを保っていられるひとは大丈夫だと判断されるし、わたしより困っていないひとがいたとしても、世界の終わりのように話せばものすごく困っていて緊急性を感じさせる。

わたしの内面はいつも通りなのに、いつも通りだからこその、たまたまの内面が現れた外見に、このまま手ぶらで返したら、もしや何か起きるのでは?と思わせたのかもしれない。事実、そのときのわたしは、形振り構っている余裕がなくて、泣いていました。

ボロボロ泣いて、泣きながら立ち去って、すぐさま社会福祉協議会に泣いて訴えて、おかげで福祉課のひとがすっ飛んできて謝罪がてらいろんな支援の説明をはじめました。
わたしはいつも通り自分の考えと要望をぶつけただけです。
それが泣いていたことと、悲壮な雰囲気を漂わせていただけ。内容は変わらない。

追い詰められていた部分が、毎回、追い詰められるだけで終わり「最後」にしようと思って相談に行った。何も得られなかったら、失踪しようと考えていた。

失踪したいな、なんていつも考えているし、しんじゃいたーい!っていつも思ってる。
もはや実行するしかないって思わせてくれたのは、他でもない「福祉」です。

そして、助けになってくれるかもしれない、それも「福祉」でした。

情報に疎いことは「福祉」の支援をどれだけ受けられるかにも影響します。
自分の情弱を憎みます。必死でかき集めたつもりでも、わたしは情弱でしかない。

かつて「ともだち」に言われました


「ハココちゃん、嘘無きってできる? 泣けなくても泣かないと伝わらなかったりするから、泣くことは大事なんだよね」
「できるよ!ちょっと待ってね……(深刻な表情でマジで涙をこぼしてみせる)」
「ちょっと待って! ハココ、やめて! 隣で泣かれたらあたしのせいみたいじゃん!」

そういった別の友達に、ともだちは笑顔を返して、わたしに「合格」と言いました。

「泣くことは、泣きたくない、泣けない、そんなときでも、人を動かすならときに必要だから。ハココちゃんは大丈夫そうだ!」

豪快に笑った彼女のその当時の年齢を、わたしはもう越えてしまった。
そして、今は亡きともだちの、その言葉が染みています。

わたしのお気持ちの投稿に、共感もされるのが、トラウマケアの現状です

ちょいバズりしました、わたしの正直な気持ちです。
本当に、「トラウマに苦しんで生活困難、治療できない、更に生活困難、貧困層に、治療はますます遠ざかる」の方程式、どうにかなりませんか?


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